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第11話
「田崎さんに怒られないなら、ご一緒します」
笑いが止まらない睦月は、肩を震わせながらもそう答える。
「だーかーら! そんなつまんないことで妬くような男じゃないよ、文緒は」
呆れ顔で中村が言った。だが、そのセリフに恋人への揺るぎない信頼が見え隠れする。
うらやましいと、素直にそう思った。
翼とは、友人だった期間を含めてかなり長い間付き合っていたのに、そういうものは持てなかった。
祐太とは、信頼云々の前に自分から距離を置こうとしている。
にわかに、言い知れぬ寒々しさが睦月の心を覆いつくす。ひとりなんだと、今更ながらに自覚した。
「──寂しそうな顔しちゃって」
図星を刺した揶揄する声が耳に入って、睦月は我に返った。
喫茶店の向かい側の席に座った中村が、頬杖をつきながらこちらをじっと見ていた。口調とは裏腹ないたわるような優しい眼差しに、睦月は戸惑わずにいられなかった。
「そうですか?」
睦月は空惚ける。口に入ったコーヒーの苦みが、じわじわと心を侵食していく気がした。
「薗部くんってさ」
「はい?」
「加藤と、付き合っていたのか?」
「……っ!」
直球でいきなりの質問に、睦月は飲みかけのコーヒーを派手に吹きこぼしてしまった。
「あーあ。汚ねーな」
「だ……っ! な……ゴホッ、ゴホッ!」
言葉にならず意味不明な声を上げていたら、今度は口の中に残っていたコーヒーが喉に詰まって、激しく咳きこんだ。
「ハイハイ。落ち着こうな。ほら、おしぼり。それと、水飲んで」
あわてさせた張本人のはずなのに、中村はいけしゃあしゃあと睦月におしぼりと水をよこした。
「大丈夫? 薗部くん」
「……誰のせいで、こうなったと思ってるんですか」
怒りを抑えるために、唸るような低い声で睦月が抗議すると、
「俺だな」
あっさりと、中村は非を認めた。その様が余裕綽々としていて、小憎らしい。
「話って、それだけなんですか?」
「うーん。そうともいえるし、そうともいえない」
「なんなんですか……まったく」
さらに思わせぶりな言い方をされて、腹が立って仕方がない。睦月は顔をしかめてふてくされる。
「ありゃ、怒った?」
「……怒ってませんよ」
「悪いな。そんなつもりじゃなかったんだよ」
クックッと喉の奥で笑いながら、中村が左手を拝むように前にかざして謝ってきた。その薬指に、キラリと光るものがある。
「な、中村さん。それって……」
睦月が指さすと、中村はちらっと己の薬指にある指輪に視線をやって、
「いいだろー」
と、芸能人よろしく見せびらかした。
銀色のシンプルなデザインの指輪は、どう見てもマリッジリングだとわかるものだった。
「もしかして……」
「あ? そう、文緒とおそろい。今度、打ち合わせの時にでもチェックしてみれば?」
後ろめたさなど微塵もなく、嬉しそうに中村は言った。睦月の口から自然とため息まじりに言葉がこぼれた。
「いいですねぇ……」
信頼と将来を誓う銀色の輪。
単なる恋人ではなく、人生のパートナーという証。
「俺らのことはいいんだよ、薗部くん。話そらすなよ」
「そらしてなんかいませんよ」
「そうかなー? さっきの俺の質問にも答えてないし?」
「うっ! そ、それは……」
中村が意地悪げな目線で「早く答えろ」と、睦月を急かす。観念して、睦月は大まかに翼との関係を説明した。
「ふーん。それで、別れた原因って、やっぱり加藤の結婚なわけ?」
「直接の原因は、そうですね」
「他にもあるのか?」
「まあ、いろいろと……。もう、いいじゃないですか」
ばつが悪くて、睦月は顔をしかめる。だが、中村はからかうこともなく何やら考えこんでいる。
「……中村さん?」
「薗部くんは、知らないのか?」
「何をですか?」
「加藤、結婚がダメになったらしいよ」
急に胸を締めつけられたような感覚に、睦月は無意識にシャツの胸元をぎゅっと握りしめていた。
「ダメになったって、どういうことですか?」
「けっこう前かな。あと何日かで式を挙げるって時期に、文緒に本人から報告があったらしいよ。『結婚を辞めることになりました』ってな」
「そう……ですか」
先ほどの翼の声が、頭の中によみがえった。
『話があるんだ』
なんで?
なんで、結婚やめたんだよ……。
頭の中が軽く混乱する。
自分にはもう関係ない。翼のことは完全に終わったことだから、関係ない。
そう言い聞かせても、睦月は動揺を抑えきれなかった。
翼の声と同時に、背の高い愛しい後姿が睦月のまぶたの裏に浮かび上がる。
祐太に、無性に会いたかった。
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