11 / 34

第11話

「田崎さんに怒られないなら、ご一緒します」  笑いが止まらない睦月は、肩を震わせながらもそう答える。 「だーかーら! そんなつまんないことで妬くような男じゃないよ、文緒は」  呆れ顔で中村が言った。だが、そのセリフに恋人への揺るぎない信頼が見え隠れする。  うらやましいと、素直にそう思った。  翼とは、友人だった期間を含めてかなり長い間付き合っていたのに、そういうものは持てなかった。  祐太とは、信頼云々の前に自分から距離を置こうとしている。  にわかに、言い知れぬ寒々しさが睦月の心を覆いつくす。ひとりなんだと、今更ながらに自覚した。 「──寂しそうな顔しちゃって」  図星を刺した揶揄する声が耳に入って、睦月は我に返った。  喫茶店の向かい側の席に座った中村が、頬杖をつきながらこちらをじっと見ていた。口調とは裏腹ないたわるような優しい眼差しに、睦月は戸惑わずにいられなかった。 「そうですか?」  睦月は空惚ける。口に入ったコーヒーの苦みが、じわじわと心を侵食していく気がした。 「薗部くんってさ」 「はい?」 「加藤と、付き合っていたのか?」 「……っ!」  直球でいきなりの質問に、睦月は飲みかけのコーヒーを派手に吹きこぼしてしまった。 「あーあ。汚ねーな」 「だ……っ! な……ゴホッ、ゴホッ!」  言葉にならず意味不明な声を上げていたら、今度は口の中に残っていたコーヒーが喉に詰まって、激しく咳きこんだ。 「ハイハイ。落ち着こうな。ほら、おしぼり。それと、水飲んで」  あわてさせた張本人のはずなのに、中村はいけしゃあしゃあと睦月におしぼりと水をよこした。 「大丈夫? 薗部くん」 「……誰のせいで、こうなったと思ってるんですか」  怒りを抑えるために、唸るような低い声で睦月が抗議すると、 「俺だな」  あっさりと、中村は非を認めた。その様が余裕綽々としていて、小憎らしい。 「話って、それだけなんですか?」 「うーん。そうともいえるし、そうともいえない」 「なんなんですか……まったく」  さらに思わせぶりな言い方をされて、腹が立って仕方がない。睦月は顔をしかめてふてくされる。 「ありゃ、怒った?」 「……怒ってませんよ」 「悪いな。そんなつもりじゃなかったんだよ」  クックッと喉の奥で笑いながら、中村が左手を拝むように前にかざして謝ってきた。その薬指に、キラリと光るものがある。 「な、中村さん。それって……」  睦月が指さすと、中村はちらっと己の薬指にある指輪に視線をやって、 「いいだろー」 と、芸能人よろしく見せびらかした。  銀色のシンプルなデザインの指輪は、どう見てもマリッジリングだとわかるものだった。 「もしかして……」 「あ? そう、文緒とおそろい。今度、打ち合わせの時にでもチェックしてみれば?」  後ろめたさなど微塵もなく、嬉しそうに中村は言った。睦月の口から自然とため息まじりに言葉がこぼれた。 「いいですねぇ……」  信頼と将来を誓う銀色の輪。  単なる恋人ではなく、人生のパートナーという証。 「俺らのことはいいんだよ、薗部くん。話そらすなよ」 「そらしてなんかいませんよ」 「そうかなー? さっきの俺の質問にも答えてないし?」 「うっ! そ、それは……」  中村が意地悪げな目線で「早く答えろ」と、睦月を急かす。観念して、睦月は大まかに翼との関係を説明した。 「ふーん。それで、別れた原因って、やっぱり加藤の結婚なわけ?」 「直接の原因は、そうですね」 「他にもあるのか?」 「まあ、いろいろと……。もう、いいじゃないですか」  ばつが悪くて、睦月は顔をしかめる。だが、中村はからかうこともなく何やら考えこんでいる。 「……中村さん?」 「薗部くんは、知らないのか?」 「何をですか?」 「加藤、結婚がダメになったらしいよ」  急に胸を締めつけられたような感覚に、睦月は無意識にシャツの胸元をぎゅっと握りしめていた。 「ダメになったって、どういうことですか?」 「けっこう前かな。あと何日かで式を挙げるって時期に、文緒に本人から報告があったらしいよ。『結婚を辞めることになりました』ってな」 「そう……ですか」  先ほどの翼の声が、頭の中によみがえった。 『話があるんだ』  なんで?  なんで、結婚やめたんだよ……。  頭の中が軽く混乱する。  自分にはもう関係ない。翼のことは完全に終わったことだから、関係ない。  そう言い聞かせても、睦月は動揺を抑えきれなかった。  翼の声と同時に、背の高い愛しい後姿が睦月のまぶたの裏に浮かび上がる。  祐太に、無性に会いたかった。

ともだちにシェアしよう!