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第13話

「なんで……祐太くんがあやまるんだよ?」 「だって俺、あのとき追いかけなかった」  あのとき、がいつのことを差しているのかすぐにわかった睦月は、思わず顔が赤らんだ。 「あれは……っ!」 「誤解したんだよね? 彩華さんと俺のこと」  図星をさされ、穴があったら入りたい心境になるけれど、都合よくそんな場所があるわけではない。  結局、祐太の胸に顔をうずめるしか他になかった。そんな睦月を見て、祐太がクスッと笑う。 「笑うなよ……」 「ごめん。だって、睦月さん……」  可愛いから、という祐太の言葉に、睦月はますます顔を上げられない。 「睦月さん、顔見せて」 「いやだ」 「見せてよ」 「だめだよ。だって、変な顔になってる」 「どんな顔でも、睦月さんは可愛いよ」 「……いつから、そんなに口がうまくなったんだよ」 「思ってることを、素直に言おうとしてるだけなのに」  祐太が、強引に睦月の顔をのぞきこもうとする。それから逃れるように睦月は顔を背けるが、祐太の腕にがっちりと抱きしめられていては、逃げるにも限界がある。  祐太は祐太で、顔を背けた睦月の耳がほんのりと赤らんだ様を目にして、自分の理性がかなりぐらついているのを自覚していた。  だからこそ、はっきりさせたかった。  自分の気持ちを。そして、睦月の気持ちを。 「睦月さん」 「なに?」  意地でも顔を見せるもんかという態度なのに、律儀に返事してくれるところがやっぱり可愛いなと、祐太は思う。  可愛くて──たまらなく愛しい。 「顔見せなくていいから、話を聞いてくれますか?」  祐太の問いに、睦月はそのままの体勢で微かに頷く。睦月の返事を確認して、祐太は深く息を吐く。 「まず、彩華さんのことだけど、彼女はうちの会社の社員なんです」 「社員?」 「そう。調査業務専門の。いつもは、旦那さんの石井さんと組んで仕事してるんだけど、石井さんがケガしちゃったから、代わりに俺が彼女の仕事手伝っているんです」  石井とは、一度だけ見かけたことがある。どこか凄味のある30代を終えようかという見た目の男だった。  その石井と彩華が夫婦なんて、睦月は俄かには信じられない。  話をじっと聞く睦月の態度に、祐太は彩華が言っていたことが事実なんだと実感していた。  睦月さんが、俺のことを本当に──。 「ずいぶん、年の離れた夫婦なんだね」  我知らず浮かんでいた祐太の笑みを感じてムッとしたのか、睦月が不機嫌そうな声で呟く。それを聞いて、あわてて祐太は話を続ける。 「あれはね、潜入調査のために変装してたんですよ」 「変装?」 「あの人、ああ見えて、もう30超えてるんですよ」 「ウソ……」 「こんなウソついて、どうするんですか」 「だって、どう見たって女子大生とか、OLとか……そんな風にしか見えなかったよ」 「だから、大学に潜入調査するために、そういう変装してたんだって」  会話をしながら、祐太はなんとか睦月の顔をもう一度のぞきこもうと試みる。だが、睦月も意地を張っていて、完全に背中を向ける態勢になって祐太の腕からとうとう離れてしまった。 「ねえ、睦月さん」 「年上で、人妻だとしても……あんなに可愛い人なら、好きになるんじゃないのか?」  我ながら、なんて嫉妬深いことを言っているんだと、睦月は自分が情けなくなる。 「そんなわけ、あるはずないでしょう。人妻には興味ないです」  半ばあきれたような祐太の声には、いつもの明るさが戻っていた。 「俺が興味あるのは、年上で、優しくて、笑い上戸で、怒ると子供っぽくて、ちょっとヤキモチ妬きの人なんです」 「……趣味悪いな」  ため息まじりの睦月の声は、低くて少し掠れていた。だが、祐太の耳にはこの上なく甘く心地よく響く。 「そんなことないですよ。自分で言うのもあれなんですけど、すっげー趣味いいなって思ってますから」 「なに言って──」  突然、背中全体に感じた温かさに、文句を言おうとした睦月の唇が震える。  広くて逞しい胸と腕は、小柄な睦月をすっぽりと包んでしまう。 「睦月さん」  耳朶のすぐそばで、囁くように呼ばれる名前。初めて呼ばれたときから、その声は睦月の胸の奥をいつも揺さぶっていた。 「……好きです」  祐太の抱きしめてくる力が強くなった。  睦月が逃げ出してしまわないように、きつくきつく絡みついてくる。  だが、それは睦月に酩酊してしまうほどの陶酔感をもたらす甘い拘束だった。  答えなければと思うのに、睦月の唇は戦慄いてしまいうまく動かせない。  だけど、言葉を紡ぐことのできない唇の代わりに雄弁だったのは、次から次へと歓喜の雫をこぼす瞳だった。 「好きなんです。ずっと……初めて会ったときから」  囁いてくる声とともに耳朶にかかる熱い吐息が、これが夢ではないことを睦月に教えてくれた。  涙は止まることがなく、とうとうぽつりと睦月の胸にまわしていた祐太の手の甲に落ちてしまった。それに気づいた祐太は、そっと肩に手を置いて睦月を自分の方へと振り向かせた。

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