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第16話
「睦月さんだって、このままだとすっきりしないんじゃないんですか?」
静かに問いかけられて、睦月はゆっくりと頷いた。
祐太を好きだという気持ちは、確かではっきりとしたものだ。
けど、翼があんな風に自分に連絡を取ろうとしていて、それをむやみやたらに拒否しているうちは、わだかまりが残るようなすっきりしない気分でいるのは間違いない。
それなら、祐太の言う通り、一度きちんと話をした方がいいのかもしれない。
「……わかった。一度会って、話を聞いてみる。それで、翼が何をどう言ったとしても、ちゃんと……話すよ。僕の今の気持ちを。今は、他に好きな人がいるって」
はっきりとした口調でそう言うと、睦月は傍らの祐太の顔を見上げる。
すると、祐太は睦月をぎゅっと抱きしめてきた。
「──本当の本音を言えば、もう会ってほしくない」
何かを堪えるような、切ない口調で祐太が言った。
「でも、睦月さんを見てると、そうしないといけないって思ったんだ。俺に……俺のことを好きでいてくれるなら、なおさら。俺は好きだから、すごい好きだから ──100%、俺に気持ちを向けてほしい。今、身体を繋げたとしても、俺はたぶん心底喜べないと思うし、睦月さんもきっとそうだよ。絶対、俺たちの間に何か嫌なシコリを残すよ」
ただのわがままかもしれないけど、と祐太は睦月の耳元でひっそりと笑う。睦月は、祐太の言葉を黙ったまま頷いて受け止めた。
大丈夫。
さっきまでとは、ぜんぜん違う。
僕の心の方向はもうきちんと決まっているし、その先にこの人がいる。ちゃんと、僕のことをすべて受け止めてくれる。
なんでだろう──と、睦月は思う。
これといった根拠はまったくないのに、祐太の言葉を信じられる。
祐太の気持ちを疑う余地がない。何気ない言葉や仕草で、愛されていると確信できる。それが、成就したばかりの恋に更なる歓びを与えていた。
昼間、恋人との愛情の証のリングを見せた中村の得意げな顔が浮かんだ。
あの時はとても羨ましいと思ったけれど、もしかしたら歳月を重ねれば、いつしか彼らのようになれるかもしれない。
なんとなく予感めいた気持ちを抱くようにして、睦月は目の前の愛しい彼の背中に腕をまわした。するとさらに強く抱きしめ返されて、嬉しい息苦しさを感じながら、睦月はふと思いついたことを口にしてみた。
「なあ……」
「なんですか?」
「さっき、話が終わったら、嫌がろうがどうしようがとか……言ってたよね?」
どうするんだ? と目線で問いかけると、祐太は複雑そうな表情になる。それを見て、睦月は派手に噴き出して笑いだした。
「睦月さん、ひでぇ……」
「そんなことないよ」
「あんな風に言っといて、いまさらできるわけないでしょう?」
「いや、だから……」
してもいいのに、と言おうとしたら、祐太が睦月の額に自分のそれを合わせてきた。いきなりの至近距離に、思わず息を詰める。
「今すぐヤりたいっていう男の欲望より、好きな人の前でカッコつけたいっていう、男のプライドを優先したいんです」
きっぱりと睦月の目を見ながら祐太は言ったが、でも、と言い淀んで、視線が一瞬だけ泳ぐ。
「キスは……してもいいですよね?」
ぼそっと呟く祐太の唇に、睦月は笑みの形を残したまま、自分のそれを重ねたのだった。
■□■
「おはようっす」
眠気の取れない目をこすりながら祐太が事務所に入ると、すでに先客がいた。
「よう、祐太」
「石井さん……はよっす」
松葉杖を机に立てかけて椅子にどっかりと座っているのは、祐太の先輩社員である石井京平 だった。
2週間以上前に仕事で足を骨折して入院したので、休暇を取っていたはずである。その傍らには、妻の彩華が渋面で腕組みをして立っている。
「怪我、どうっすか?」
「あ? 痛かったのは最初の2、3日ぐらいだな。ギブスがしっかり固まってからあとは、もうあんまり痛まねーよ」
眼光鋭い眼を細めて、石井はニッと笑う。
「で? 彩華さんは、なんでそんなコワい顔してんの?」
祐太の質問に、眉をぴくりとさせた彩華だったが、はあ、とわざとらしくため息をつく。
「このバカ亭主が、仕事したいんだって」
「彩華。旦那様に向かって、バカとはなんだ」
じろりと目を細めて石井が彩華を睨むが、彼女は鼻であしらうように笑う。
「バカだから、バカ亭主だと言ったのよ。何が悪いっていうの?」
「あ? 俺のどこがバカなんだって言ってんだよ!?」
「そんなことがわからないから、バカって言ってんじゃない!」
「あ、あの……」
なんだか目の前で夫婦げんかが始まりそうなので、止めようと祐太が口をはさむと、彩華がキッと睨みつけてきた。
「なによ!?」
「いや……彩華さん、怖いよ」
「へっ! 言われてんぞ」
石井の揶揄に、彩華は無言で石井の怪我している足を思いきり蹴飛ばした。あまりの痛みに、石井は悶絶する。
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