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第17話
「……っ! あ……やか、てめぇ!」
「その足で、どうやって仕事すんのよ? そんなこともわからないの? バカ亭主」
唸りながら文句を言う石井に、彩華はハッと鼻で笑い言い放つ。
「あの、石井さんって、まだ入院しているはずなんじゃ……」
こわごわと祐太が訊ねると、ぱっと彩華が振り返る。
「そうなのよ! この人、勝手に退院してんのよ。それも、すっごくつまんない理由で!」
「おい、そりゃ誤解だ」
勢いよくまくしたてようとした彩華を、石井が慌てた様子で遮ろうとする。
だが、そんなことで彩華の口が止まるはずがないのにと、祐太は内心で密かにツッコミを入れた。
「なんすか? 気になるじゃないですか」
祐太は、彩華に先を促す。
石井には悪いと思ったが、今の彩華には『何がなんでもぶちまけてやる』という気迫が漲っていて、逆らうと怖そうだ。
「誤解も何もないでしょ!? 2人部屋から6人部屋に移って、担当の看護師さんがベテランのおばさんだとわかった途端に、『もう、足はなんともねえ。帰る』っていうんだからっ!」
「じゃ、その前は?」
「23歳の可愛いナース」
彩華が嫌そうに、鼻にしわを寄せてしかめ面で答えた。石井は、きまり悪そうにそっぽを向く。祐太が呆れたような視線を向けるが、知らん顔だ。
「誤解だって、言ってんのによ」
ぼそっと呟く様は、普段の迫力のある立ち居振る舞いはどこへやらといった風情で、情けないくらいに弱々しい。
「誤解? そう……ふーん」
剣呑な声音で含みを持たせたような彩華のセリフに、石井の首が亀のようにすくんだ。
「体を拭いてもらっているとき、デレデレと鼻の下を伸ばしていたのは、誰だっけねぇ……?」
「さあ、誰だったかな?」
「しかも、本来ならそんなことは、看護師さんにわざわざ頼まないとやってくれないらしいじゃない? ということは、わざわざ 頼んだのよね? その、23歳のピチピチの可愛い看護師さんに」
嫌味のきいた理路整然とした指摘に、石井はついにうなだれてしまう。そのそばで、仁王立ちしている彩華。
夫婦喧嘩の勝者は、一目瞭然だ。
「彩華の勝ちですね。石井、謝りなさい」
「朝っぱらから、おめえらは犬も食わねーことやってんじゃねーよ」
入口から、冷静な調子のテノールと口汚いバリトンのハーモニーが届いた。
社長の徳倉と、その右腕の潮崎が呆れたような表情で立っている。
「おはようっす」
祐太はとりあえず二人に挨拶したが、会社の2トップにからかわれた石井夫婦は、ばつが悪いのか挨拶もせずに顔を背けた。
「おう、石井。足どうだ?」
先ほどのセリフから、夫婦喧嘩の一部始終を見ていただろうに、徳倉は底意地の悪い笑みを浮かべ、わざとらしく聞いてくる。石井もそれがわかっているのか、「はあ、まあ……」と曖昧な返事をした。
「でも、ギプスに松葉杖では、車の運転や尾行とかは無理ですよね」
潮崎は冷静に指摘する。
「そうなのよ、潮崎さん。調査業務はあたしと祐太がやるから、このヒマそうなバカ亭主、こき使っていいわよ」
情け容赦ない彩華の言葉に、石井のこめかみがピクリと引きつったが、反論しても勝てないとわかっているから、ふてくされて机に置いてあった新聞を読み始める。
「そうですね。締め日も近いことですし、溜まった伝票でも整理してもらいましょうか」
彩華の言葉を受けて、潮崎は石井の座っている机にドサッと伝票の束を乗せた。新聞から目を離して視線を向けた石井が、その量を見てぎょっとした。
「潮崎、これはあんまりじゃねーの?」
「そうですか?」
潮崎が優美に微笑んだ。
しかし、その眼は少しも笑いを含んでおらず、ある種の凄味すらあった。
「若い看護師に鼻の下を伸ばすような人には、十分すぎるくらい優しい処遇だと思いますが? それに、松葉杖無しでは歩けない怪我人に対しても」
「本当に、嫌味な野郎だな」
「嫌味を言われるようなことをした貴方が悪い」
潮崎にぴしゃりと言われて、石井は歯軋りして睨みつける。だが、潮崎の微笑は崩れない。
ざまあみろとばかりに、彩華がケラケラ笑い出した。
朝から連続でのあまりに濃いトークバトルに、祐太はただでさえ寝不足気味な頭が痛くなり、深いため息をついた。
「祐太、どうした? 元気ねーな」
頭を抱える祐太の背中を、ポン、と徳倉が叩いた。
「このトークバトルにはさまれて、元気なヤツいたら見てみたいよ」
「はあ? こんなの、バトルの内に入んねーよ。法廷の潮崎は、もっと容赦ねーからな」
カラカラ笑って社長席に座る徳倉に、そんなの見たくないと祐太は憮然として返す。
「それにしても……」
徳倉が祐太の顔をじっと見つめる。
「なんだよ?」
「目が赤いな。昨夜は家に帰らないで、どこに泊まったんだ?」
「げ!? な、なんで、知ってんだよ!」
徳倉の鋭い質問に、祐太は狼狽する。
「ふーん。本当に、どっかに泊まったのか」
「なっ……!?」
ニヤニヤする叔父のセリフに、カマをかけられたと知って、祐太は絶句した。
「へぇ……祐太、お泊りしたの? どこにー?」
徳倉と祐太のやり取りに、彩華が好奇心旺盛に瞳を輝かせて口をはさむ。
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