22 / 34

第22話

「なんすか? 入口に何か……」 「振り返らないで!」  気になって背後を見ようとした祐太を、小さくだが鋭い声で彩華は制止した。 「彩華さん?」  戸惑う祐太に、彩華は声をひそめたまま、念を押すように言い聞かせる。 「いい? たぶん、近くを通るだろうから、そっと、さりげなく見るのよ」 「何をですか?」 「ギャルソンが今から連れてくる客よ」  有無を言わせない彩華の命令に、わけがわからなくなりながらも、祐太は素直に頷いた。ほどなくして、祐太たちが座っている席から少し離れたテーブルの間を、彩華が言った通りにしてギャルソンが二人の男を案内してきた。  さりげなく視線だけをそこに向けて、祐太は驚きで手にしたナイフとフォークを危うく落としそうになった。二人組の客のうちの一人が、睦月だったからだ。  相手は、睦月よりいくらか背の高い男だ。どこかで見たことがあるようなないような印象だが、間違いない。睦月の元恋人だという翼だろう。  予約をしてあったらしく、二人は窓際の眺めのいい席に案内された。会話が聞き取れるような距離ではないが、祐太の座る席から二人の表情は十分に窺えた。睦月の横顔が、いつもより硬質な感じに見える。緊張しているのだろうか。 「グッドタイミングなんだか、バッドタイミングなんだか……」  呟いた彩華のセリフに、祐太ははっと我に返って彼女に頭を下げた。 「すみません」 「なんで、祐太があやまるのよ?」 「いや……だって、まだ仕事中なわけだし」  そう口にはするが、一度目にしてしまえば気になってしかたないのだろう。祐太はちらちらと、忙しなく目線を窓際に移している。  それを見ていた彩華は、お手上げだといわんばかりに肩をすくめた。 「いいわ。対象者はあたしが見張っているから、あんたは愛しの睦月さんに集中しなさい」 「す、すみません」  再度祐太があやまると、彩華はいいのだと笑顔を見せる。 「レストラン(ここ)の代金、祐太に請求するから」  にっこりしたまま、さらりと怖ろしい言葉を告げる彩華に、祐太は青ざめた。 「あの、今日の食事代って、経費で落ちるはずじゃ──」  おずおずと言い募る祐太に、彩華は容赦しない。 「なに言ってんの。あんたは、今からイロゴトに走るんだから、経費でこれ出せるわけないでしょう。却下よ、却下」 「そんなぁ……」  半分泣きそうな表情の祐太をそっちのけで、彩華は対象者を見逃さないようにしながら食事を続ける。  尾行や潜入調査というのは、ただでさえ神経を使う仕事なのだ。それを一人で引き受けてやろうというのだから、このくらいの代償は当たり前だと彩華は考えている。 「ふふっ。祐太のおごりなら、ワイン頼んじゃおうかな?」 「彩華さん、仕事中でしょうが! アルコールはダメっすよ」  悪ノリする彩華を抑えながら、祐太は頭の中で必死に食事代の計算をしていた。  視線を、窓際の二人に向けながら──。 ■□■  ギャルソンに恭しく席を案内されて、睦月はなんだか落ち着かない気分でいた。  手渡されたメニューを眺めても、見たことも聞いたこともないような名前ばかりが並んで、頭痛までしそうだ。  対する翼は、落ち着いた風情でメニューを見つめている。ともすれば、視線が泳ぎがちな睦月を見てクスリと笑うと、静かな声で訊ねた。 「どうする、睦月? 無難にコースを注文しようかと思うんだけど」 「……まかせるよ」  投げやりな返事をする睦月に、翼は軽く肩をすくめると、ギャルソンを呼び出して注文する。ワインについてもあれこれ聞かれたが、詳しいわけでもないので、睦月はこれも翼に一任した。  ひと通りの注文を終え、翼はテーブルに両肘をついて手を組むと、そこに顎を軽く乗せながら、向かい側に背筋を伸ばしてきっちり座る睦月をじっと見つめた。  真正面からの視線に逃れられず、居心地の悪さも手伝って、ますます睦月は身体を強張らせる。それを見て、翼は苦い笑みを浮かべた。 「緊張しているのか?」 「……まあね」  取り繕っても仕方ないので、睦月はしぶしぶ認める。だが、翼の表情は曇ったままだ。 「緊張というより、警戒してるのか……」  図星をさした呟きにドキリとしたが、睦月は黙ったままでいた。すると、翼は大きなため息をつく。 「しょうがないよな。それだけのことをして、ダメにしたのは俺だもんな……」  翼の表情は、確かに笑顔になっている。しかし、細められた眼は泣き出しそうにも見えた。  それを見て、睦月は警戒しすぎたことへの罪悪感はわいたが、それ以上の感情が少しもないことを自覚していた。  何も、彼の方に向いていない。こうして対峙してみても、自分と彼の関係が終わった事実を実感するばかりだ。  始まりの予感は、しない。  それがわかっただけでも、ここにこうして向き合ったことは無駄ではなかったんだと、睦月は感じていた。 「翼、話があるんだろ?」 「ああ」 「ちゃんと聞くつもりで、ここにいるんだ。早く話してくれないかな?」  冷たく突き放したような睦月の口調に、翼の表情から笑みが消えた。

ともだちにシェアしよう!