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第22話
「なんすか? 入口に何か……」
「振り返らないで!」
気になって背後を見ようとした祐太を、小さくだが鋭い声で彩華は制止した。
「彩華さん?」
戸惑う祐太に、彩華は声をひそめたまま、念を押すように言い聞かせる。
「いい? たぶん、近くを通るだろうから、そっと、さりげなく見るのよ」
「何をですか?」
「ギャルソンが今から連れてくる客よ」
有無を言わせない彩華の命令に、わけがわからなくなりながらも、祐太は素直に頷いた。ほどなくして、祐太たちが座っている席から少し離れたテーブルの間を、彩華が言った通りにしてギャルソンが二人の男を案内してきた。
さりげなく視線だけをそこに向けて、祐太は驚きで手にしたナイフとフォークを危うく落としそうになった。二人組の客のうちの一人が、睦月だったからだ。
相手は、睦月よりいくらか背の高い男だ。どこかで見たことがあるようなないような印象だが、間違いない。睦月の元恋人だという翼だろう。
予約をしてあったらしく、二人は窓際の眺めのいい席に案内された。会話が聞き取れるような距離ではないが、祐太の座る席から二人の表情は十分に窺えた。睦月の横顔が、いつもより硬質な感じに見える。緊張しているのだろうか。
「グッドタイミングなんだか、バッドタイミングなんだか……」
呟いた彩華のセリフに、祐太ははっと我に返って彼女に頭を下げた。
「すみません」
「なんで、祐太があやまるのよ?」
「いや……だって、まだ仕事中なわけだし」
そう口にはするが、一度目にしてしまえば気になってしかたないのだろう。祐太はちらちらと、忙しなく目線を窓際に移している。
それを見ていた彩華は、お手上げだといわんばかりに肩をすくめた。
「いいわ。対象者はあたしが見張っているから、あんたは愛しの睦月さんに集中しなさい」
「す、すみません」
再度祐太があやまると、彩華はいいのだと笑顔を見せる。
「レストラン の代金、祐太に請求するから」
にっこりしたまま、さらりと怖ろしい言葉を告げる彩華に、祐太は青ざめた。
「あの、今日の食事代って、経費で落ちるはずじゃ──」
おずおずと言い募る祐太に、彩華は容赦しない。
「なに言ってんの。あんたは、今からイロゴトに走るんだから、経費でこれ出せるわけないでしょう。却下よ、却下」
「そんなぁ……」
半分泣きそうな表情の祐太をそっちのけで、彩華は対象者を見逃さないようにしながら食事を続ける。
尾行や潜入調査というのは、ただでさえ神経を使う仕事なのだ。それを一人で引き受けてやろうというのだから、このくらいの代償は当たり前だと彩華は考えている。
「ふふっ。祐太のおごりなら、ワイン頼んじゃおうかな?」
「彩華さん、仕事中でしょうが! アルコールはダメっすよ」
悪ノリする彩華を抑えながら、祐太は頭の中で必死に食事代の計算をしていた。
視線を、窓際の二人に向けながら──。
■□■
ギャルソンに恭しく席を案内されて、睦月はなんだか落ち着かない気分でいた。
手渡されたメニューを眺めても、見たことも聞いたこともないような名前ばかりが並んで、頭痛までしそうだ。
対する翼は、落ち着いた風情でメニューを見つめている。ともすれば、視線が泳ぎがちな睦月を見てクスリと笑うと、静かな声で訊ねた。
「どうする、睦月? 無難にコースを注文しようかと思うんだけど」
「……まかせるよ」
投げやりな返事をする睦月に、翼は軽く肩をすくめると、ギャルソンを呼び出して注文する。ワインについてもあれこれ聞かれたが、詳しいわけでもないので、睦月はこれも翼に一任した。
ひと通りの注文を終え、翼はテーブルに両肘をついて手を組むと、そこに顎を軽く乗せながら、向かい側に背筋を伸ばしてきっちり座る睦月をじっと見つめた。
真正面からの視線に逃れられず、居心地の悪さも手伝って、ますます睦月は身体を強張らせる。それを見て、翼は苦い笑みを浮かべた。
「緊張しているのか?」
「……まあね」
取り繕っても仕方ないので、睦月はしぶしぶ認める。だが、翼の表情は曇ったままだ。
「緊張というより、警戒してるのか……」
図星をさした呟きにドキリとしたが、睦月は黙ったままでいた。すると、翼は大きなため息をつく。
「しょうがないよな。それだけのことをして、ダメにしたのは俺だもんな……」
翼の表情は、確かに笑顔になっている。しかし、細められた眼は泣き出しそうにも見えた。
それを見て、睦月は警戒しすぎたことへの罪悪感はわいたが、それ以上の感情が少しもないことを自覚していた。
何も、彼の方に向いていない。こうして対峙してみても、自分と彼の関係が終わった事実を実感するばかりだ。
始まりの予感は、しない。
それがわかっただけでも、ここにこうして向き合ったことは無駄ではなかったんだと、睦月は感じていた。
「翼、話があるんだろ?」
「ああ」
「ちゃんと聞くつもりで、ここにいるんだ。早く話してくれないかな?」
冷たく突き放したような睦月の口調に、翼の表情から笑みが消えた。
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