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第23話
「話を聞くだけ ってことか?」
「そう言ってるだろ? お前の結婚がダメになったのも、本音を言えば、関係ないことだって思っている。まさか、今さら僕のせいでダメになったなんて、言うわけないよな?」
「そうだと言ったら、どうする?」
翼がまっすぐ射抜くように、睦月を見つめる。だが、睦月はその挑発のような言葉に、皮肉めいた笑みを浮かべた。
「そういう風に人の気持ちを試すような言い方、変わらないよな」
「睦月?」
「僕たちは、いつもそうだった。お互いを見ているはずなのに、探り合うような会話を繰り返してばかりいた。身体は確かに向かい合っていたけど、肝心な気持ちを向け合うことは、最後の最後までしようとしなかった。……だから、終わったんだよ」
睦月が言い終えると、話のタイミングを計ったかのようにして、ワインが運ばれてきた。静かに、音もなくグラスにワインが注がれていく。
「──確かに、睦月の言う通りだな」
ギャルソンがその場を離れると、翼はそう言ってワイングラスに口をつけた。
「俺は、何かというと逃げていた。お前を好きになっても、友情という言葉に逃げて、お前と付き合ってからも、女に逃げていた。別れる時もそうだ。結婚という、常識や形式に逃げたんだよ」
翼の独白を、睦月は何も言わずにじっと聞いていた。
翼を責めることは、いくらでもできた。
彼が結婚すると言った時だって、睦月は躊躇いなくそうした。だが、いくら罵っても責め立てても、翼は背中を向けたままだった。
まるで、壁を相手に叫んでいるような虚無感。
それに疲弊して、睦月も彼に背中を向けた。
あんなに、言葉をぶつけ合っていたのに、気持ちを──心をかけらもぶつけていなかった。
だから、いつまでも心の中にわだかまりが残っていたのだ。ぶつけられず、行き場のない感情が、心の内側の底のさらに奥底に溜まってしまっていた。
『未練』なんて呼べるような、容易いものじゃない。様々な思いが溜まり、混じり合い、複雑に凝固している。
わかってしまった。
何が、睦月を憂鬱にさせていたのか。翼に会うのを避けさせていたのか。
自分が、こうして翼に相対するのは、まったくの無意味ではなかった。
『──このままだと、睦月さんだって、すっきりしないんじゃないですか?』
そう言って、自分の背中を押してくれた祐太の声が、睦月の脳裏に甘く響く。
前菜がテーブルに運ばれても、二人は黙り込んだままでいた。目の前に置かれたのは、オーソドックスなスズキのカルパッチョ。白い皿に乗せられた繊細な色合いの料理に、睦月が目を奪われていると、
「食べようか」
と、翼が静かに声をかけた。それが合図となって、二人は並べられたナイフとフォークを手に取った。
さすがに高級と呼ばれる店だ。見た目を裏切らない味付けに、自然と表情が緩む。
「うまい」
「そうだね」
頷き合って、目が合うとなんだかおかしくなって噴き出した。クスクスとひとしきり笑った後、和んだ表情で翼が言った。
「結婚がダメになったのは、お前にはまったく関係ないんだ……本当はな」
「え?」
怪訝そうに眉をしかめる睦月に、翼は肩をすくめる。
「妊娠したと告げられて、俺は何も迷わずに結婚を決めた。さっきも言ったが、常識的な事に逃げて、お前から離れたかったからだ。だが、式もあと何日後かという時に、あっさりと別の男に結婚相手を奪われた」
「それって、どういうことだ?」
「お腹の中の赤ん坊の、本当の父親の登場ってわけ」
皮肉めいた笑みを浮かべ、翼はカルパッチョの最後のひと切れを口に放り込んだ。
「二股をかけていたのは、どうやら俺だけじゃなかったらしい。その女は、俺の他に妻子ある男とも関係していて、しかも向こうが本命だった。子供が俺の子じゃないとわかっていながら、俺に妊娠を告げたのは、俺が独身で、堕胎するために相手の承諾の署名が必要だったから、という軽い気持ちだったらしい。まさか、俺に結婚を申し込まれるとは思ってなかったんだろうな」
「どうして?」
そう聞いた睦月に、翼はその程度の付き合いしかしてなかったから、と苦笑した。
「互いに本当に想っている相手から逃げ出した似た者同士だから、結婚していたら案外うまくやっていたかもしれないな。だが、女の本命が妻と離婚して迎えに来たもんだから、あっさり結婚は破談になった」
グラスを弄びながら、翼は終始穏やかに話していたが、苦味のある笑みは口角に残ったままだった。
「正式に結婚を取り止める話し合いの時に、彼女に言われたんだ」
「なにを?」
「あなたも、逃げるのはやめにしたらって……」
窓の景色へ移っていた翼の視線が、睦月に戻ってきた。
それはとても真剣で、真っ直ぐに向けられていて、逸らすことも、冗談にして笑うこともできなくて、睦月は戸惑う。
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