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第25話
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尾行調査というものは、本当に神経を使う仕事だ。
対象者と一定の距離を保ちながら、なおかつ『尾行されている』と相手に気取 られてなならない。
そのためには、対象者をただ目で追うのではなく、相手がどう動くのかある程度予測して行動しなければならない場合もある。想定外の事が起こったとしても無闇に動かず、冷静に自分がとるべき行動をとらなければならない。そして、動きがない場合は、ひたすら待機しなければならない。それも、なるだけ目立たないように。
つまり、咄嗟の判断力や忍耐力や冷静さを求められる仕事なのだ。
これは、彩華の担当する素行調査を手伝う際に、彼女の夫である石井から最初に教わった事だ。
あくまでもさりげなく、食事をしている睦月と翼を目で追いながら、祐太はあれこれと頭の中で考えていた。
席に着いたばかりの時はぎこちない空気を漂わせていた2人だったが、食事が進むにつれてちらほらと笑顔で会話を交わすまでになっていた。
一見、仲睦まじげな2人に胸が苦しくなるほどの嫉妬心を覚えたが、その度に祐太はなんとか冷静になるよう自分に言い聞かせつつ、2人の事をそっと監視し続けた。
裕太から見た睦月は、とても落ち着いているように見えた。相手の話を動揺もせず聞いている。
問題は、翼という男の方だ。
傍から見る分には、同い年である睦月よりも立ち居振る舞いが落ち着いており、余裕があるように感じる。だが、祐太はどうにも気になった。
それは、翼の睦月に向ける瞳だ。
穏やかそうな視線の奥に、何かを秘めているように見えてならない。時折、それが仄暗い色を帯びて睦月をひたと見つめているのだ。
情熱的といえば聞こえがいいのかもしれないが、もっと違うように思う。もう少し暗い感情を秘めている気がしてならなかった。
何か、気になる。
漠然とした不安が消えない。
祐太は内心で焦れた想いを抱えていた。
この場合は、どうすればいいのだろう。2人に気付かれないように注意を払ってはいるが、このままただ見ているだけでいいのだろうか?
こっそり盗み見ているよりも、睦月に自分の存在を知らせておいた方がいいのではないだろうか? そうしたら、余計な御世話と言われてしまうだろうか。
それなら、このままこっそり見ているだけにしておいた方がいいのだろうか。
「なぁんか、不穏な空気が漂っているわね」
裕太の逡巡を知ってか知らずか、デザートのジェラードを口にしながら彩華が言った。
裕太が彼女の方を向き直ると、ニッと意味深な笑みを浮かべている。
「不穏って……彩華さん?」
「祐太にもわかってるんでしょ? 睦月さんと一緒に食事してる男。ちょっと、ヤバいかもね」
どうでもよさげにあっさりと言うので、祐太はムッとして眉をしかめた。それでも彩華は鼻白むことなく、黙々とデザートを口に運んでいる。
「声かけた方がいいっすかね?」
「声って、睦月さんに?」
裕太が頷くと、彩華はデザートスプーンを口にくわえたまま、しばらく考え込むような仕草を見せた。
「うーん。そうした方がいいとは思うけど……でも、時間がないかな」
「時間って……?」
「対象者。そろそろ食事が終わりそうなんだよね」
そう言いながら、彩華はデザートをぺろりと平らげた。仕事をしながらもちゃっかりと食事を楽しんでいる彼女に、祐太は感嘆と尊敬のため息をつきながらもコーヒーを注文する。二人とも、エスプレッソではなくアメリカンコーヒーをオーダーした。
ギャルソンが席を離れたところで、裕太が彩華に声をかける。
「彩華さん」
「ダメよ」
「……まだ、何も言ってないっしょ」
「言わなくても分かるわよ。祐太、あたしたちはまだ仕事中 なのよ」
ほどなくして運ばれてきたコーヒーカップに、彩華は何も入れずに口をつけたあと、ひとつ息をこぼした。
「店内 にいる間は多少の事は目をつぶるけど、あくまでも目的は対象者の調査なのよ」
「わかってます、でも……」
「わかってないから、『でも』なんて言葉が出て来るのよ」
ぴしゃりと言われて、さすがに祐太も反論できずに唇をかみしめたまま黙りこんだ。なんとなく気まずい空気が流れるが、それをどうこうするつもりがないのか、彩華は平然とした様子でコーヒーを飲み続けている。
そんなとき、睦月が席を立つのが目の端に映った。祐太が顔を上げると、そのまま睦月が店の奥へと歩いていくのが見えた。どうやら、その先にある化粧室へと向かったらしい。
それを追いかけようと同じように祐太は席を立ったが、彩華に呼び止められてしまった。振り返ると、先ほどよりも厳しい表情で別の場所を見つめている。対象者のいる席だ。
「彩華さん……」
「行くわよ、祐太。今すぐ会計を済ませて。対象者がこのホテルに部屋を取っているのか、それとも別の場所に向かうのか確認しないと」
命令口調で彩華が言い放つ。この場合の彼女の指示は絶対だ。今、自分は仕事中なのだから。
だが、どうしても睦月の事が気になって、祐太はつい彼の姿が消えた化粧室の方へと目を向けてしまう。そして、窓際の彼が座っていたはずの席の方へも。そこには、彼の別れた恋人である翼が一人残って座っている。
その窓際の席に、ギャルソンがコーヒーを運んでいた。二人分のそれが置かれ、ギャルソンが席を離れると、翼はジャケットの胸ポケットから何やら取り出した。
それが何であるのか、祐太にはわからなかった。
ただひとつわかったのは、翼が手の中にあるその『何か』を向かい側の席に置いてあるコーヒーに入れた事だけだった。
睦月が飲むであろう、そのコーヒーに。
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