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第27話

■□■  頭がぐらぐらする。  指先がしびれて、身体全体がまるで鉛を乗せられたかのように重くて動けない。自身をうまく支えることができない。 「──どうかなさいましたか?」  心配げに声をかけられて、何か言わなければと口を開こうとするが、声どころか唇すら動かすのも容易じゃない。  こうして、意識があるというのに。  気分が悪い。  自分の意思通りにならない己の身体に、睦月は苛立ちと吐き気をおぼえた。 「連れの気分が悪くなったらしい。すまないが、会計をお願いできなるかな。──これで」  落ち着いた調子の翼の声が、耳に届く。  様子を窺いにやって来たギャルソンに、彼が何かを手渡しているのもちゃんと認識していた。それなのに、現実感のあやふやな心許ない気分でいるのは、急におかしくなってしまったこの身体のせいだ。  ──まさか。僕に何かを飲ませたのか?  睦月の頭の中を嫌な考えが過り、背筋がぞくりと粟立った。  テーブルに突っ伏したまま身動きの取れない身体を、横から支えるようにして抱えられる。ふと鼻腔を掠めた香りで、それが翼だと睦月にはすぐ分かった。 「睦月、大丈夫か?」  気遣わしげな声で話しかけられ、背中に回された腕にぐっと力が入ったのがわかる。そうされないと倒れてしまいかねないくらい、睦月の足元は覚束なくなっているのだ。  翼の問いかけに睦月は応えようとしてみたが、どうしてもできない。唸り声のようなものを発するのが精一杯だった。 「う……」 「──無理するな。今のお前はしゃべるどころか、声を出すのもつらいはずだからな」  耳元にひっそりと囁かれた言葉に、睦月はすぐそばにいるこの男が自分の身体の自由を奪ったのだと確信した。  彼をにらみ返そうと、重い頭をどうにか上げてみた。不確かな視界いっぱいに翼の顔がある。その口元が僅かに微笑んでいるのを、なんとか捉えた。 「大丈夫だ。毒じゃないし、効果もそう長くは続かない。だがこうでもしないと、お前はこのあとつき合ってくれそうになかったからな。……行こうか」  深みのある低音が、詠うように囁いてくる。  重い身体を引きずられながら、睦月の意識は段々混濁していく。  翼が自分の身体の自由を奪って何をしたいのか、分からないほど睦月は初心(うぶ)ではない。  だが、ここまで無体なことをするとは予測出来なかった。心のどこかで、自分にひどいことはしないだろうと高を括っていたことも否定できない。  自分に心を向けなくなってしまった相手を、クスリを使ってまでして自由を奪うなんてことをして、何が楽しいのだろうか。  そうまでして自分の気持ちを押し通しても、心底からの満足を得られはしないのに。いや、それどころか虚しさばかりが募るのだろうに。  できれば、睦月はそう翼に説得したかった。だが、自由の利かない身体ではそれもかなわない。  翼に対してひどいという気持ちと、悲しさとが入り混じる。思考ばかりが堂々めぐりして頭の中で渦巻いている。さらに現実感も薄らいでいき、何もかも投げ出してしまいそうになる。  そんな中で、自分を保とうと睦月はひたすら愛しい男の名を声なき声で叫んでいた。  祐太くん、祐太くん、祐太──!  実際に、彼が自分を助けてくれるのは不可能に近い。翼と会って話し合うことを知ってはいるが、どこでいつおち合うのか祐太は知らないのだ。  だが、それでも睦月は彼の名前を祈りのように、呼び続けた。 「──祐太って、名前なのか。あの男は」  そう話しかけられて、睦月はゆっくりと重いまぶたを開けた。  レストランのあったホテルの一室らしい。いつの間にか、その部屋のベッドに横たえられていた。  まだ頭が揺れるような感覚はするが、先程よりもいくらか楽になった。指先のしびれも和らいでいる。そっと頭をめぐらせると、自分のほぼ真上の位置で翼が押さえこむような姿勢でのぞき込んでいた。 「あ……つ、ばさ……」 「口は、もう動くか。だけど、完全に効果が切れたわけじゃなさそうだな」  そう言って、翼は皮肉っぽい笑みを浮かべる。愛しげに睦月の長い前髪を指先でかきわけていた。 「ど……」 「ん?」  まだ少し震える舌を懸命に動かしながら、睦月はゆっくりと問いかけた。 「ど、うし……て、こん、なこ……と……?」 「どうしてかって? こうでもしないと、お前が手に入らないからさ」  答えながら、翼はどこまでも穏やかな表情でゆっくりと睦月の髪に指を差し入れる。 「逃げるのはやめて、もう一度、お前と向き合って最初からやり直したかった。それなのに、お前が逃げようとするから、こうするしかなかったんだよ」 「ぼ……く、は……」  逃げたつもりは、これっぽちもなかった。  ただ、長年傷つけ合うだけになってしまった関係を終わらせて、新しい恋を見つけただけなのに。  それが、逃げだというのか。祐太に惹かれる気持ちに、少しも偽りはないのに。

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