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第28話
「もう、逃がさない」
まるで誓いの儀式のごとく、翼が恭しく睦月の唇にキスを落とした。
だが、睦月の感情は何も波立たない。単に触れたという感覚しかない。
唇に口づけたあと、翼はゆっくりと睦月の額や頬に口づけていく。一番の弱点といってもいい耳朶に翼の唇が触れたとき、睦月の身体がぴくりとかすかに反応を見せて、翼はうっすらと微笑んだ。
本当は、思いきり抵抗したいところだったが、薬の効き目が完全に抜けきっていないせいで、軽く身じろぐことしか睦月にはできなかった。
そんな睦月の反応も意に介さず、翼は睦月のジャケットを剥ぎとるようにして脱がせたあと、その下のTシャツの中へ手をすべらせていく。
「つ……ば、さ……」
「ん? まだ薬は残っているが、感覚はあるんだろう? ちゃんと感じろよ、俺を」
翼はそう言いながら、睦月の白い胸で一番色づいて目立つ処を軽く啄んだ。
かつて、何度も身体を重ねてきた相手だ。互いがどこでどうすれば感じるのか、充分理解している愛撫のやり方だった。
睦月は余計な声を出さないようにしながらも、なんとか翼に話しかけようとする。
「翼……ぼ、くは……」
「……なんだよ?」
「たとえ、ここで……か、身体をゆる……しても、僕は……お前とは付きあわない。もう、好き……には、なれないんだ」
どうにか言い切ると、翼の愛撫の手がぴたりと止まった。上半身を起こして、睦月と真正面から向かい合う。
「睦月……」
「に、げ……じゃない」
「睦月」
「彼を……祐太くんをす、好きになっ……たのは、逃げじゃない」
まだ、上手く言葉を紡ぐことは容易ではなかった。
それでも、睦月はなんとか伝えたかった。
かつては愛したことのある相手だからこそ、伝わってほしかった。どこまでもすれ違ったままなんて、哀しすぎる。
「抱きた…いなら、抱け……よ。でも、また抱かれ…たか…らって……、僕はお前の……ものには、なら…ない。言った……だろ。もう、おま、えに…気持ちは…ない……って……」
「睦月っ!」
これ以上聞きたくないとばかりに、翼が睦月の唇を己のそれで塞いできた。
甘さも何もない強引なキスだった。だが、睦月を自分へ繋ぎとめようと必死な気持ちが充分伝わってきていた。
翼の舌が侵入しても、睦月は自ら応えようとはしない。それに焦れたのか、無理に絡めてきて引き出して吸いついてくる。
だがしばらくすると、翼は睦月から離れて再び身体を起こした。
どうやってもキスにまったく応えてこないことで、睦月の言葉の意味を察したらしい。やりきれないとばかりに顔を歪めて、睦月を見つめている。
「……どうしても、ダメなのか」
「翼……」
「やっと……やっと、大事なものがお前だって分かったのに」
そう言うと、翼は睦月を抱きしめてきた。すがるような抱擁に、睦月はようやく力を取り戻しつつある腕でそっと抱きしめ返す。
「愛していたよ、翼」
「睦月……」
「お前が逃げていた時も、ずっと愛していた」
「じゃあ、なぜ……」
「でも、今は愛していないんだ。それだけなんだよ」
睦月のセリフに、翼は何も答えなかった。ただ、抱きしめてくる腕にさらに力を込めてきた。
時間は取り戻せない。
タイミングが悪かったとも言いたくない。
そういう簡単なことではない。
二人の気持ちがすれ違ったのは、そうなるべくしてなったのだ。
誰のせいでもない。
互いの努力や、情熱が足りなかったとしかいえない。
睦月は、その現実をしっかりと抱きしめ受け止めていた。
しばらくすると、ピンポーンと部屋のチャイムが鳴った。そこでようやく二人は身体を離して、お互いを見つめ合った。
翼の瞳も睦月のそれにも、穏やかな色が浮かんでいた。
「ルームサービスでも、頼んだのか?」
「いや、頼んではいないけど……なんだろうな」
翼は立ち上がると、ドアの方へと向かった。
睦月は、ゆっくりと手のひらを開いたりしてみる。
まだ少しぎこちないが、薬の効果はかなり抜けてきたようだ。だが、一気に疲れが襲ってきたような感じがして、服を直すこともしないまま深い溜め息をついた。
「──はい」
ロックを開錠しないままで翼が返事をすると、業務的な女性の声が返ってきた。
「加藤様でございますか? ルームサービスをお持ちいたしました」
どうやら客室係のようだが、頼んだ覚えがない。翼は不審に思って、眉をひそめる。
「ルームサービスは頼んでいないんだが。部屋を間違えていないか?」
「あの、2105室の加藤様ですよね? 確かにこちらにお持ちするようにとのことですが……申し訳ございませんが、ご確認をお願いできますでしょうか?」
確かに部屋番号も宿泊者の名前も、向こうは間違えずに把握しているらしい。何かの手違いだろうと、翼は仕方なくロックを解いてドアを開ける。
すると、あきらかにがっしりとした大きな手がドアを掴んできた。びっくりして、反射的に翼はドアを閉めようとしたが、相手の力は思ったよりも強く押し負けてドアを開け放ってしまう形になった。
そこにいたのは、スーツを身につけた背の高い青年がいた。翼を見下ろすようにして睨みつけている。彼は、怒りを抑えた声で言った。
「睦月さんを、返してもらおうか」
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