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第31話
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部屋の呼び鈴が鳴って、翼が確かめに行ってからしばらくすると、彼の他に数人の声が聞こえてきた。
バタバタと駆け寄る足音がしたので、何があったのかと睦月がベッドから顔を上げると、そこにはスーツ姿の祐太がいた。こちらを見て、驚愕の表情を浮かべている。
「ゆう……たくん?」
途切れ途切れに呼びかけると、はっと我に返ったかのように祐太が駆け寄ってきた。
「大丈夫ですか? 睦月さん」
問いかけながら、そっと身体を起こしてくれた。祐太にもたれながらも、自分のシャツがありえない位置までめくれているのに気づいて、あわてて引き戻す。
それを見て、祐太は厳しい表情になった。
「あいつに、何かされたんですか?」
そう言ってくる声が、怒りで低くなっている。睦月は条件反射のように頭を左右に振った。
「なにも……されて、ない」
「本当に?」
疑わしげな目つきでにらまれたが、それでも睦月は否定した。
されそうにはなったが、実際にはなにもなかったのだ。だが、今の睦月には、それをきちんと説明できる状況じゃない。
「祐太、睦月さんいた?」
女性の声がしたので目をやると、このホテルの従業員がひょっこりと顔を出した。目が合うと、にっこりと微笑まれる。
その表情に見覚えがあったが、誰だったのか思い出せない。
「睦月さん、無事?」
問いかけられたのでうなずくと、女性従業員はホッとした表情になり、祐太の頭を軽くはたいた。
「ほら、いつまで抱きしめてんのよ。さっさと彼を木崎ちゃんのとこまで連れていくわよ」
女性にそう言われて、祐太はしぶしぶといった体で、睦月から離れると「立てますか?」と訊いてきた。
床に足を下ろして、意識して踏ん張るようにゆっくりと立ち上がる。多少ふらつきはあったが、歩けないというほどではない。
「だい、じょうぶみたい……」
「うん、歩けそうね。ほら、祐太行くわよ」
女性に促されるようにして、祐太は睦月を支えながら部屋の出入口へと向かう。
ドアの前には、翼が腕を組んで壁にもたれていた。
「確認したか?」
揶揄するような口調で、翼が祐太に話しかけてきた。その言葉に、祐太が顔をしかめる。
「さっきも言ったけど、睦月さんは連れていくわよ」
女性従業員が翼に声をかけた。肩をすくめるだけで、彼は動こうとはしなかった。
ドアを開けたところで、祐太が立ち止まる。振り返って、翼のことをじっと睨んでいた。
「彩華さん」
「なによ?」
「俺、この男とちょっと話があるんで、睦月さんのことまかせちゃっていいですか?」
祐太が彩華と呼んだ女性を、睦月はあらためて見つめる。
以前に会ったときとまったく違う印象だったが、表情や声に面影がある。
以前はかなり若いと思っていたが、祐太が彼女は既婚者で三十路を超えていると言っていたのを思い出した。ホテルの従業員の制服を着ている今日の彼女は、年相応に見える。
「なに、言ってんの。早く行かないと……」
「時間は守りますから。とにかく、この男と話つけたいんです」
そう言うと、祐太は睦月の身体から手を離して、真っ直ぐ立たせようとした。見上げると、スーツのせいなのかいつもより大人びた笑顔を浮かべている。
「彩華さんと一緒に、部屋から出てください。あとは、彼女が案内してくれますから」
そう言うと、祐太は部屋の中に入り睦月の目の前でドアを閉めた。
背後で、盛大なため息の音がする。振り返ると、呆れた表情の彩華がいた。
「あの……」
「まったく、あのバカはしょうがないよね。行きましょうか」
苦笑まじりにそう言うと、彩華は睦月の腕を取って、エレベーターへと向かった。
「間一髪セーフといったところかしら?」
エレベーターに乗り込むと、彩華はそう話しかけてきた。それを聞いて、笑顔を作ったつもりだったが、あまりうまくいかなかった。
「あの……どうして、ホテルの従業員の制服を着てるんですか?」
「ああ、これ? 睦月さんを助けるために用意したの」
あっけらかんと答えたあと、彩華は舌をペロッと出して「なんちゃって」と続けた。
本当は、便利屋の仕事で用意していたものだったらしい。偶然、食事をしたレストランに居合わせて、睦月たちを見かけたのだそうだ。翼が薬をコーヒーに入れたのを見て、短時間で部屋を調べて踏み込んだという。
実は現在も仕事中であり、睦月を外に連れ出したら業務に戻るという。それは祐太も同じであった。
それを聞いて、睦月は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
結果的には何もなかったが、薬を使われたのは事実だ。ともすれば、祐太には言い訳できない状況になっていたのかもしれない。
途中、トイレで彩華が着替えたあと、1階のロビーに到着すると、背の高い優男がこちらに向かって手を振りながら近づいてくる。彩華がそれに応えるようにして手を振ったので、知り合いらしいとわかった。
「悪いわね、木崎ちゃん」
「いいよ。制服やぶけてたりしてない?」
「そんな荒っぽいことはしてないわよ」
そんなやりとりを黙って見ていると、木崎と呼ばれた男性が睦月をじっと見つめる。
なんだろうと思ってぼんやりしていると、「とりあえず座ろうか」と、ソファーに促された。
腰を下ろすと、無意識に疲れたため息がこぼれる。だいぶ動けるようになったけれど、本調子ではない。薬が完全に抜けるまでは、まだ時間がかかるようだ。
「ところで、祐太くんは? 一緒じゃなかったの?」
木崎の問いかけに、彩華が渋い表情になった。
「相手の男と話つけるって、部屋にのこってるの」
「あちゃー、それはそれは……ところで、僕は彼を徳倉さんのオフィスまで運んでいけばいいわけ?」
木崎の言葉に、睦月はきょとんとする。彩華と目が合うと、安心しろといわんばかりの笑顔を向けられた。
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