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第32話
「この木崎ちゃんの車で、うちの会社まで送ってもらうから。まだ状況もよくわかんないでしょうけど、あたしたちはこのあと仕事があるから、詳しいことはあとでね」
そう言うと、彩華は素早く立ち上がって、エレベーターの方へと行ってしまった。おそらく、翼と祐太がいる部屋まで戻るのだろう。
「さ、行こうか」
のんびりとした口調で、木崎が言った。睦月は頷いて、じっと木崎を見つめた。すると、苦笑いされてしまう。
「僕も詳しいことは知らないんだよ。キミを徳倉さんとこまで送ってほしいとしか言われてないしね。彩華さんたちが戻ってくるまで、徳倉さんとこで待ってなよ」
そう言うと、木崎は睦月を支えるようにして駐車場まで連れていってくれた。
何も言わなくても、睦月が具合が悪いと判断したのか、余計なことはいっさいしゃべらない。
ただ、ちらっとホテルの制服について睦月が口にすると、突然たがが外れたように制服について語りはじめた。
半分以上は呪文のようでわけがわからなかったけれど、軍服についての話はイラストの参考になりそうだと、こっそり思った。
トクラサービスカンパニーのドアを木崎がノックすると、中から凄みのある顔立ちの男性が出てきた。
彩華の夫である石井だ。まともに対峙したのは初めてで、社長の徳倉とも潮崎ともちがう独特の雰囲気に、睦月は怖じ気付いてしまう。
「こんばんはー、石井さん。足はどうですか?」
「見ての通りだよ。――あんたが睦月とかいうのか?」
よく見ると松葉杖をついていたが、それでも凄みが消えたわけではない。睦月は黙ったまま頷いた。
役目を終えた木崎がその場を辞すると、「入れよ」と石井に促された。
事務所に足を踏み入れて応接セットのソファーに腰を下ろすと、その目の前にどっかりと石井が座った。
「悪いな。この足だから、茶も出せねぇ。潮崎も留守だしな」
悪いと思っているような態度には見えなかったが、気遣うような言葉に「おかまいなく」としか言えなかった。
「今日は、災難だったな」
そう声をかけられて、この男は事情を知っているのだと理解した。問いかけるように石井へ視線を向けると、あっさりと答えを返してくれた。
「彩華から、だいたいの話は聞いてるし、さっきメールも届いた。何もなくてよかったな」
「はい……」
「薬は? もう抜けたか?」
「あ、ちょっとまだ指先とか痺れてますけど……」
「そうか。効果が切れる時間からして、キツいのは飲まされてないようだが、薬ってヤツは飲んだ人間の体質によっては、副作用なんかで命に関わることもあるからな」
淡々と言われて、余計にぞっとした。
翼には、悪意で睦月に危害を加えるつもりはなかっただろう。だが、薬を使おうと考えるほど思い詰めていたのはたしかだ。
「経験上、別れた相手と話をしたいという男に、ろくなのはいないな」
「それは、ろくな目に遭わなかったという経験からですか?」
睦月のセリフに、じろりと石井がにらみつける。
あわてて口を閉ざすと、しばらくして「警察にいたときの話だよ」という言葉が返ってきた。
「警察……刑事さんだったんですか?」
睦月の問いかけに、石井は黙って頷いた。
「彩華さんから話を聞いたって言ってましたけど、具体的にはどのへんまで……」
「祐太があんたに惚れているということと、あんたが別れた男と話し合うためにやってきたホテルのレストランに、偶然仕事中のうちのやつと祐太が居合わせたこと、別れた男があんたの飲み物に薬を入れたらしいということ、かな」
石井は、すらすらと事も無げに答えた。それでは、この夫婦に自分と祐太のことはほぼ筒抜けということになる。
「あの……つかぬことをお聞きしますけど」
「なんだ?」
「僕と祐太君のことを、彩華さんと貴方以外でこの会社で知ってる人はいるんですか?」
「たぶん、社長と潮崎は知っているはずだぜ」
あっさりと言葉を返されて、睦月はどっと冷や汗をかく。
週末に、祐太と出かけるために何度かここを訪れていたが、まさか徳倉たちにそう思われていたなんて、夢にも思わなかった。
そんなに、自分の祐太に対する態度はあからさまだったのだろうか。
神妙な顔で俯いてしまった睦月を見て、石井が元気づけるような口調で言った。
「俺は彩華から話を聞いただけだ。たぶん、あんたのせいじゃないよ。祐太の態度が分かりやすかったんだろ。それに、徳倉と潮崎は元からデキてんだ。もう長いこと一緒に暮らしている。祐太は知らんらしいがな」
偏見はねぇから心配するなと、石井は言ったが、気持ちは晴れない。
たとえ、徳倉と潮崎がそういう 関係であったとしても、徳倉は祐太の叔父なのだ。身内が同性と付き合っているというのは、あまりいい気分ではないのではないだろうか。
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