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第2話

「元気といえば、元気です。仕事が佳境に入って、徹夜続きではありますけどね」  田崎さんが朗らかに答える。  相変わらずなんだなと、僕は内心で苦笑した。  この会社の企画開発室でクリエイターをしている翼は、忙しい時期になると、しょっちゅう会社に泊まり込んでいた。  月の半分はそんな生活だったのに、よく浮気する時間がつくれたよな。  今思えば、逆に感心する。 「来月に結婚するんですよ。ご存知でしたか?」  田崎さんが聞いてきた。  ご存知もなにも。  それが原因で、あいつと別れたんです──なんて、言えるわけがない。 「ええ。話は聞いています」  僕は、にこやかに答える。  胸の痛みは、もうしない。  ただ、笑う時に細めた眼の下の皮膚が多少ひきつるけど。 「結婚式は出席なさるんですか?」 「いえ。仕事が入っていて、スケジュールの都合で行けないんです」  これも、嘘。  僕は翼に、新居の住所も、新しく変えたメアドも教えていない。携帯電話も着信拒否にしている。  アイツが僕に連絡が取れる手段は皆無だ。  だから、結婚式の招待状なんか届くわけがない。 「田崎さんは、出席なさるんですか?」  これ以上、変に突っ込まれたくはないので、そう聞き返してみた。  田崎さんは苦笑を浮かべながら「直属の上司ですからね」と答えた。 「あれ? 田崎さんって、失礼ですけど……」 「僕ですか? 一応、独身です。室長に、部下から先を越されたなと言われてしまいました」  軽い口調で言って、田崎さんはまたふんわりと花咲く笑顔を見せてくれた。  うーん。信じられない。  顔立ちも綺麗といえるくらい整っていて、仕事もできるかっこいい人なのに。  その雰囲気から『開発室の華』と会社の人たちから密かに呼ばれているんだと、前に翼から聞いたことがある。 「じゃあ、僕はそろそろ──」 「ああ、そこまで送ります」  ラフ画の封筒とバックを手に立ち上がると、田崎さんも同時に立ち上がった。  いつも、打ち合わせが終わった後は、エレベーターの前まで見送ってくれるのだ。  もう何度もここを訪れている僕が相手でも、本当に物腰が丁寧な人だ。  こういう人を、本当の大人の男というんだろう。僕も見習わないといけないな。  ミーティングルームを出て、長い廊下を二人でエレベーターのある方まで歩いていると、前から背の高い男性がこちらに向かって歩いてきた。  その人は、僕たちに気づくと満面の笑顔になる。 「文緒」  声をかけてきたその人を見て、僕は一瞬だけ眉間にしわが寄ってしまったのを止められなかった。  やってきたのは、技術開発室の主任で中村さんという人。  僕は、この人がちょっと苦手だ。  なぜなら、ずいぶん前のことだけど、僕はこの人から何回か口説かれたことがあるからだ。 「打ち合わせだったのか?──っと、あれ、薗部君?」  中村さんはにこやかに田崎さんに話しかけて、傍らにいた僕に気づく。僕はしかたなく、形だけの会釈をしてみせた。 「ひさしぶり。元気か?」  中村さんは、男前な笑顔で僕に話しかける。僕は曖昧な笑顔を浮かべた。 「相変わらず、細い体しちゃって。ちゃんと飯食ってる?」  そう言って、中村さんは身をかがめて僕の顔をのぞき込んできた。  僕は少しずつ後ずさりして、自然と田崎さんの肩の後ろに隠れる形になる。  だって、中村さんは僕より身長が20㎝以上も高い。なんとなく威圧感を感じてしまうんだ。 「ちゃんと食べてます。僕、太りにくい体質なんです」  ちょっと警戒しながら答える。  まさか、田崎さんがいる前で口説くわけがないだろうけど、食事に誘われても絶対に行くもんかという態度になってしまう。  中村さんはそんな僕を見て、プッと派手に噴き出して笑った。 「まんま、野良の子猫みてぇ。毛逆立てちゃってさ」  あんたの過去の所業が、そうさせるんだろ!  そんなツッコミを入れたいところを、ぐっとこらえる。 「隆司」  そのとき。  低い、冷やかな声が廊下に響いた。  僕でも、中村さんでもないその声は──田崎さん?  僕はちらっと隣を盗み見る。そこには、まったくの無表情で中村さんをにらみつけている田崎さんがいた。  なんか……。  かなーり、怖い雰囲気なんですけど!? 「あまり薗部先生をからかわないでください。彼、怖がっているじゃないですか。用があるのは、僕でしょう?」  さっきまでとは違って、かなり冷たいキツイ口調で田崎さんが言った。  端正な顔立ちで無表情のまま言うもんだから、なんだか妙に迫力がある。でも、中村さんは怖がるどころか、逆にニヤリと人の悪そうな笑みをうかべた。 「なんだ、ヤキモチか? 文緒」 「誰が誰に妬くというんですか」 「ふーん。まあ、そのへんの話は後でミーティングの時にでも聞くかな。じゃあ、第1ミーティングルームな」  中村さんの言葉に、田崎さんは剣呑な視線だけで応える。  なんか、聞きようによっては、すごいビミョーな会話をしてないか? この二人。  自分よりもはるかに大人である彼らのやりとりに、僕は内心であたふたする。

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