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忘れていて……

部屋に着くと、疲れたのか先生はすぐにソファーに横になり眠ってしまった。 「……志音、大丈夫か?」 悠さんが小声で俺の事を心配してくれる。 ……大丈夫なわけない。 「平気だよ。一時的なものでしょ? のんびり待つよ……」 俺の心の中を悟られないよう笑顔を作る。作り物の笑顔は得意だから……上手くやれるはずだ。 「陸也が俺の事を 悠さん なん言ってたのは高校の頃からこっちで再会したあたりまでだから……きっとその頃の記憶が強く出てるんだろう」 「そっか……やっぱりね。なんか陸也さん、見た目は同じなのにずっとチャラい雰囲気だなって思ってた」 そう言って笑ったら悠さんは辛そうな表情を浮かべ、そして時間だからと自分のお店に帰って行った。 「………… 」 スヤスヤと眠る先生の前に座り寝顔を眺める。 次目が覚めたら思い出してるかな? 何食わぬ顔をして「志音」って呼んでくれるよね。 そんな事を考えながら、俺もなんだか疲れてしまってその場でうとうとと眠ってしまった。 「志音?……ごめんな、風邪ひくから起きろ」 ゆさゆさと肩を揺さぶられ起こされた。 「あ……ごめん、俺も寝ちゃってた」 先生が俺の事をジッと見つめる。 あれ? もしかして。淡い期待を込め、そっと名前を呼んでみる。 「り……陸也さん?」 一瞬俺の事を思い出してくれたような顔に見えたんだ。ドキドキしながら俺は先生の反応を待った。 「ん……腹減った。志音も悠さんの店行くか?」 「……危ないから出歩くなって悠さんが言ってたし。それに後で何か作って持ってくるって言ってたよ」 どうやら俺の気のせいだったらしい。悠さんって言ってる時点で戻っていない事は明白だった。 「先生……メシ、俺が作ろっか?」 キッチンに向かおうとすると、すぐにインターホンが鳴り、悠さんがまた訪ねてきた。 持って来てくれた悠さん特製のお弁当。俺の分まで用意してくれていた。 「なんかゴメンね、俺の分まで……」 申し訳なくて俯いていると、先生に肩を叩かれる。 「志音は謹慎中なんだろ? 俺の事はいいから飯食ったら早く帰れ」 「………… 」 わかってる。先生は悪気があって言ってるわけじゃない。生徒のことを心配してそう言ってくれているんだ。 「悠さんはまだいてくれるんだろ?……てかさ、泊まってけよ」 「いや、帰るし! 何でそんな事言うんだよ。俺は飯届けに来ただけだからな」 「………… 」 そういえば、俺と出会う前は先生と悠さんは体の関係があったんだよな。 付き合ってはいないって言ってたけどさ、お互い好意がなければそんな事しないんじゃないのかな。 実際、先生の悠さんを見る目がね…… ちょっと俺には直視できないや。 事あるごとに先生は悠さんにちょっかいを出している。 腰に手を回したり、頬に触れたり。 悠さんを見つめ欲情してるのが嫌でもわかってしまう。 俺は目をそらすので精一杯だった。 キッチンに入り、いつもは先生がやってくれる洗い物を今日は俺がやる。 先生の姿を視界に入れないようにして…… 片付けも終わらせ、明日もまたここに来ると伝えて悠さんと一緒に先生の家を出た。 「……志音、なんかゴメンな」 悠さんの言いたいことはわかる。でも、悠さんだって何も悪くない。謝られる筋合いはない。 「何が? しょうがないじゃん……謝らないでよ。明日になれば元に戻ってるかもしれないし。でも陸也さんが俺の事を忘れている間の事、記憶が戻っても忘れたまんまならさ……言わないであげてね。悠さん、約束してね。俺は大丈夫だからさ」 俺を庇って怪我をして、おまけに記憶をなくして俺の事も忘れてしまった。 先生は俺の事を愛してくれてる。 大切に思ってくれてたのをちゃんと知ってるから…… だからそんな大切な人を一時でも忘れてしまったなんて事、知らない方がいいに決まってる。 そう思って俺は悠さんにお願いをした。 そして先生が元に戻った時、この時間の事をどうか忘れてくれてますように……そう願って俺は一人部屋に帰った。

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