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4会.12月25日

『先生……また来週、会ってくれる……?』 先週、彼に囁かれた言葉を思い出し、私は溜め息をついた。 彼が思っているのは私ではなく、もう亡くなっている『先生』だと、分かっているのに―― 絶頂の余韻(よいん)に浸(ひた)って、何も考えずに、夢中で頷いた自分を殴ってやりたい。 それでも彼は、私が頷くのを見て、にっこりと笑っていた。 本当に嬉しそうな顔で…… その笑みに感動して、私の胸はキュ〜ッと締め付けられた。 彼の事を思うと、一足早く春が来たように浮かれて、何も考えられなくなってしまう。 40歳過ぎたおじさんのくせに、恋愛小説に登場する乙女のようだと、我に返っては苦笑した。 いつの間にか、ずいぶんと嵌まっていたらしい。 私は彼が好きだ。 例え半分は歳が離れていても。 早く彼に会いたくて、会いたくて…… ついつい今日を心待ちにしてしまっていた。 ――身代わりでも良いから、彼に触れたい。 そう願っていた。 しかし、約束をした後の彼の行動を思い返すと、やっぱり不安で気が重くなる。 ――先週の行為の後。 出すモノを出して、すっかり萎(しぼ)んだ一物をしまい、彼はまた私の後孔に指を差し込んできた。 「うっ、は……あぁ……はぅ……あぁ、ん……」 二度目とは言え、彼の指に白濁を掻き出されると、私はどうしようもなく喘いでしまう。 ずっと自慰をしながら、彼の指を想像していた。 それが本当に私の内を弄(いじ)っている。 自分の意思が及ばない動きに、何度でも感じてしまう。 そんな私に、彼は少し困った顔をして、溜め息をついた。 『そんなに煽らないでよ、先生……また襲いたくなる……』 堪えるように呟いた彼は、すぐに指を引き抜き、私の衣服を整えてくれた。 仕事に差し支えなくて良かったと考える反面、もっと彼に襲われたいとも思ってしまう。 それが私の顔に出ていたのか、少し困った顔をした彼は、しっとりと甘いキスをしてくれた。 蕩(とろ))けるようなキスに、胸が幸福で満たされていく。 『……今日はここまで。また来週、楽しみにしてるから』 そして公園の入口まで並んで歩き、彼は左に、私は右に分かれて家路についた。 後になって、冷静に振り返ってみれば―― 酔っているものと思い込んでいた彼は、いつの間にか、完全に正気に戻っていた気がする。 一体いつから、気が付いていたのだろう? 私が『先生』でないと分かって、どんな気持ちになっただろう? やっぱり『先生』だと思っていた相手が、私のようなおじさんで、幻滅したかも知れない。 いや、それでも一応、欲情しているようには見えた。 もちろん私も―― と言うか、自分より一回りも歳下の彼に、散々喘がされた! 年甲斐もなく乱れ、悶えていた己の恥体を思い出すと――穴を掘って埋まってしまいたい。 『先生……また来週――』 ……なぜ彼は、私を『先生』と呼んだんだろう? 正気に戻っていたなら、私が別人だと、わかったはずなのに。 やっぱり、死んだ『先生』の身代わりなのだろうか……   *  *  * 深夜の23時―― いつも通りに残業を終えた私は、通い慣れた公園の近道を歩いていた。 『先生……また来週、会ってくれる……?』 ――約束した手前、無視する訳にはいかない。 何より、今日こそはちゃんと話をしなければ。 そう思いつつも、足が重い。 決意は固めたはずなのに、今日でこの関係が終わりになるかも知れないと思うと、どうしても寂しくなってしまう。 彼を知らなかった頃の生活に、戻れるだろうか…… いつものベンチが見えてきて、私は一度足を止めた。 ベンチに座る黒い影を認め、深く息を吸う。 よし。 心を決めた私は、ゆっくりと彼のもとへ歩み寄る。 私の足音に気付いたのか、振り向いた彼は、穏やかな笑みを浮かべた。 今日は、酒を飲んでいないらしい。 おもむろに立ち上がった彼は、真っ直ぐに私と向かい合う。 「来てくれたんだね……先生」 「違うよ。私は――」 「知ってる。本当は『先生』じゃないって事」 私の否定を遮った彼に、やっぱり――と思った。 でも、それならどうして? 私の疑問を察したのか、彼は少し寂しそうに微笑んだ。 「他に、呼び方を知らなかったから」 ――そう言えば、私も彼の名前を知らない。 それを言い出せないまま、彼は話し始めた。 「本当の『先生』は、俺の通ってる大学のゼミの講師だよ。俺のバイトが休みになる水曜日、必ずデートしてた」 その『先生』が亡くなったのは、三ヶ月前―― 奇しくも水曜日だったらしい。 「交通事故……だってさ。道路に飛び出した子供を助けて、代わりに――良い人だろ?」 「そうだね……」 そんな人との思い出を、私は汚してしまった。 私が彼を好きになるなんて、おこがましい。 ――そう、責められているような気がした。 「先生が亡くなってから、俺、ショックで悲しくて――もう誰も好きにならないと思ってた」 その悲しみを紛らわせるため、特に水曜日は、酒に走っていたらしい。 そして私と出会った。 彼が私に、深く頭を下げる。 「……ごめんなさい。あんたに酷い事をして――」 「酷い事なんてされてない!」 謝り始めた彼を遮り、私は何も考えずに叫んだ。 「た、確かに、あんな事は初めてで、凄く驚いたけど――けど、嫌じゃなかったから」 むしろ途中から期待していた。 寝ぼけて勘違いされているのだとしても、初めての快楽に溺れて、病み付きになった。 「例え『先生の身代わり』だとしても、君を責めたりしない!」 君が好きだから―― その言葉だけは、なんとか呑み込んだ。 「ありがとう……」 静かに呟いた彼は、私を品定めするように、上から下までしげしげと眺めた。 「こうして見ると、やっぱり先生とは全然違うな」 「……ガッカリしただろう? もっと早く訂正していれば……」 彼の大切な思い出を、汚さずにすんだのに―― 私は申し訳ない気持ちにうつむいた。 彼は何を思ってか、真っ直ぐに私を見詰める。 そしてやっと口を開いた。 「後悔……してる?」 後悔――その言葉が、グサリと胸に突き刺さる。 「そうだね。……君を傷付けてしまった」 きっと私の方がずっと酷い。 弱っている彼に付け入って、自分の欲を満たしていたのだから。 そう言うと彼は、また困ったような顔をして微笑んだ。 「あんた、本当に優しいね……それともお人好し?」 「え……?」 彼の言葉に、私は困惑した。 罵られても仕方がないと思っていたのに、なぜお人好しと言われたのか―― 動揺する私に呆(あき)れたのか、彼は静かに溜め息をついた。 「だってそうだろ? 俺は……あんたをレイプしたようなもんなんだから」 彼の発言に、私は目を見開く。 確かに、流されたとはいえ、一方的に抱かれたのだから、レイプと言えなくもない。 そんな風に考えた事なんて、一度もなかったけど。 なんと言って良いか、言葉を探していると、彼は悲しげに顔を歪めた。 「本当に、ごめんなさい……」 「謝らないでくれ。私は――」 なんと言葉を続ければ良いか、わからない。 彼の謝罪を受け入れれば良いのか? しかし、どうしても酷い事をされたとは思えない。 むしろ慰めてやりたいのに―― 「………どうして……」 静寂に堪えきれなくなったのか、彼の方から先に口を開いた。 「どうして……俺を責めないんだよ?」 どうして、と言われても困る。 「私に、君を責める資格なんて無いよ」 私の言葉が予想外だったのか、彼は怪訝な顔をした。 そんな顔も愛しいと思うのだから重症だな。 「私は、望んで君に抱かれた。あの行為は、レイプなんかじゃないよ」 彼は大きく目を見開く。 「どうして……」 また『どうして』か―― なんと答えよう? いっそ、この思いを伝えてしまった方が良いのか? 迷っていると、急に彼がソワソワとし始めた。 「……期待しても良いのか?」 「え……?」 彼の言葉に、今度は私の方が目を丸くする。 そして理解が追い付くと共に、ボッと顔が熱くなった。 期待――と言う事は、彼も私を意識してくれている、と考えても良いのだろうか? さっきまでは『身代わり』とか、『思い出を汚した』と思って、落ち着いていた気持ちが、ジワシワと高揚してくる。 彼と目を合わせる事すら気恥ずかしく、私はうつむいて、視線をさ迷わせた。 こんな時、どうしたら良いのだろう? 彼がクスリと笑った。 「なぁ、どっち? 期待して良いの?」 ――もう、すでにバレている気がする。 冬だと言うのに、顔が熱い。 緊張して言葉が出ない私は、ギュッと目をつぶり、ようやくコクンと頷いた。 胸がドキドキする。 「俺、スッゴク嬉しい!」 「うわっ……!」 興奮して叫んだ彼が、急に抱き付いてきて、思わず目を開けた。 少し遅れて彼の温もりを感じ、胸の高鳴りがピークに達する。 そこへ彼が、トドメの一言を言った。 「俺も、あんたの事が好きだ」 自分の耳が信じられない。 「先生の身代わり……とか?」 「身代わりなんかじゃないよ。最初に寝ぼけてたのは、謝るけど――」 一度言葉を切った彼は、少し上体を離して穏やかに微笑んだ。 「たぶん、寝ぼけてなかったら、ショックで何も見えてなかったと思う」 そう呟いた彼は、私の手をそっと持ち上げ、甘えるように頬を擦り寄せる。 「暖かくて、優しい手……。先週、先生の夢だと思っていたから、知らないおじさんと繋がってて、凄く驚いたんだ」 彼の告白に、私の胸は少しだけツキリと痛んだ。 彼が寝ぼけているのは、分かっていたはずなのに―― もう『先生』は亡くなっているのに、少しだけ嫉妬してしまう。 それが顔に出ていたのか、彼は私を見て小さく苦笑する。 「ヤバい事しちまった、と思って、内心焦っていたら――あんたは優しく『大丈夫か?』って」 ――その時、私を好きになってくれたらしい。 「一目惚れ――って言ったら、変だけどさ……急にあんたが可愛くなって、もっと感じさせたい、って思ったんだ」 私の手を握ったまま、はにかむ彼が可愛い。 もう彼の言葉が嬉し過ぎて、顔と言わず全身が、ドカドカと熱を上げていく。 不謹慎かも知れないが、私は『先生』に感謝したくなった。 まるで『先生』が、私と彼の縁を結んでくれたように思うから。 それと同時に、やはり嫉妬してしまう。 恋人を残して逝くのが心配で、自分の代わりに、私を選んだと言う事だから。 選ばれた事に感謝しつつ、それほど愛している事実に嫉妬する。 私は心が狭いのだろうか? 「……どうか、した?」 いつの間にか考え込んでいた私の顔を、彼が心配そうに覗き込んでくる。 艶々した彼の瞳に、私の思考は一瞬で吹っ飛んだ。 恥ずかしさで顔に熱が集まる。 「――やっぱり……あんた、可愛いな」 「っ……!?」 不意に触れた唇は、今までやったどんなキスより甘く感じた。 どうしよう…… 嬉し過ぎて、どうにかなってしまいそうだ。 「……ねぇ、俺んち来ない?」 …………End.

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