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第8話
悲鳴と恫喝が混じった戦場に、不可思議な空間があったものだとレイレスは感じた。
囚われるとはこういうことか。
戦線を離脱させられたのだ、己は。
最悪の方法で。
だが、懐に、最後の一手が残されているのをレイレスは思い出していた。
「おい、貴様。貴様は人間か」
男の声は、レイレスに向けられていた。
「答えろ」
ベリル、と男の声が再び黒い影に命じるなり、レイレスはまるで猫の様に、摘み上げられた。
藻掻こうにも、力が入らない。
「おい、小僧。再び問おう。貴様は人間か」
声の元をたどり、首をわずかに動かせば、眼下にその男は立っていた。
黒い髪と、同じ漆黒の瞳。白い肌に、それが引き立っていた。
「…ぐ…、く…っ」
何事かを答えようとレイレスは口を開いたが、呻きしか出なかった。
「それでは答えられぬか。ベリル、降ろせ」
男の命じる言葉と同時にあっけなく、レイレスは地に落とされた。
「貴様…!」
レイレスが睨み上げると、男は剣を抜きざまいきなり斬り上げた。
己の胸から血が吹き上がるのをレイレスは仰け反りながら見た。
「答えぬなら、確かめるまで。殺しはせん。小僧、もう一度睨んでみろ」
言われた真意を確かめるまでもなく、レイレスは睨み上げた。
斬られた傷は確かに深くは無かった。
だが、脈を打つほどに痛みが全身を覆っていく。
男は静かにレイレスの双眸を覗き込み、やがて微笑を浮かべた。
「小僧、お前を救ってやろう」
レイレスは己の耳を疑った。
「な…」
「その胸の傷も癒えるようにしてやる。我々の元へ、来い」
「貴様…は…」
「私の名はバル。バル・スウェイデル。『幻朧騎士団』といえば、分かるか」
「なに…?そ…」
そんなものは知らぬ、と答えようとしたところでバルと名乗った男は続けた。
「知らなくとも、構わぬ。我々は、それでよいのだ。闇より出、影のように彼奴らを征服する」
「彼奴ら…?」
「そう、この大陸を支配し、同じ形をしたお前のような人間の血を啜る悍ましき存在。お前が王よ姫よとすがる吸血共を成敗する。それが我々『幻朧騎士団』だ」
「吸血…?」
「お前もじき歳相応ともなれば召し上げれるのだろう。供物として」
「供物…?」
レイレスには意味がわからなかった。
「お前はまだ何もしらぬか。よい、我らと共に来い。すれば全てを知るだろう。ベリル、連れて行け」
男が、踵を返した。
その瞬間をレイレスは待っていた。
懐に仕舞った短剣を引き抜き、男に斬りかかった。
僅かな間合いを、男は向き直った。
「おもしろい。名を名乗ってみろ。覚えてやる」
「ほざけ!」
「その傷と、出血でどうする。立っていることさえやっとだろう」
斬れなかったのは、己にその力が残っていなかった為なのだと、笑い出す膝にレイレスは気づいた。
「ほう、その短剣」
男はレイレスの手元を見るなり目を細めた。
「貴様…、…なるほど」
男が手を差し出す。
「案ずることは何もない。恐れることもない。我々と共に来い」
男の黒い双眸は真っ直ぐにレイレスを見ていた。嘘や誤魔化しなどは一切無い。そう語っているようだった。
「…な…」
「さあ…」
バルはもう一足進め、レイレスに手を差し伸べた。
朦朧とした瞬間。
蹄が鳴った。
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