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第11話

 瞬間。  ぐっ、っと手綱に力が加わるのを感じた。 「レイレス様!」  シューフの声と共に、再びレイレスは宙を舞っていた。  見開けば、シューフが己を小脇に抱え、馬から離れていた。馬が、嘶き、共に悲鳴に変わった。  並走していた獣が、同じ程の体躯をした馬を圧し倒していた。 「気づいていたのか、シューフ」  その顔を見上げ問うと、シューフは唇をきつく結んだまま頷き、そして辺りを伺っているようだった。 「まだ、他にもおります。もうしばらくご無礼を、レイレス様」 「シューフ、私は走れる」  だが、シューフは首を振った。 「申し訳ありません、レイレス様」  言うなり、レイレスを軽々と小脇に抱え、シューフは走りだした。 「私の使命は、貴方様をお護りすること。…レイレス様。私にはもう腕が一つしかございません」 「シューフ、ならば、私が…」 「いいえ。レイレス様には、還っていただく使命がございます」 「シューフ!」  声を荒げたが、シューフは背後に目を奔らせた。  駆けていた足が、止まる。 「ご無礼を。レイレス様」  見上げれば、金に輝くその瞳に、涙が滲んでいた。  「シューフ?」  その名を問い終える前に、突如地に叩き落とされた。  痛みに呻く間もなく、胸ぐらを掴まれる。 「この裏切り者め!!」  突如、罵声が響いた。レイレスは見開いたまま、その声の主を見つめた。 「シュー、フ…?」  口を吐いて出た名を掻き消すように、シューフは掴んだレイレスの胸ぐらを振り、己も首を振る。 「お前が!お前が、手引をしたのだろう?我らが一軍で人間はお前だけ!」    はっと、レイレスは悟った。  シューフのこの、言葉。あの一瞬見せた瞳。  レイレスはシューフの続ける言葉の背後で、続々と獣達が集結する様をただ見るしか出来なかった。 「許しを乞いてみせろ!私が!あの獣たちよりも先にお前を殺してやる!」    シューフが乱雑に、レイレスを突き放す。同時に、その手から短剣を奪った。  その背後で、獣達が、草より蹴り上がるのをレイレスは見た。  確かに、レイレスはシューフの思惑を読み取った。  彼に残された、主を護る最後の策。  短剣を振り上げたまま、獣達に押し倒されていくシューフをレイレスは見た。  蹌踉めく足のまま、レイレスは視界の端に映った光を見逃さなかった。  あの光の先に、シューフの残した何かがある。  樹々に身体を預けながら、レイレスは今一度唇を噛んだ。  わずかに離れた背後で、骨を砕く音が響いた。  衣の裂かれる音と、微かな、金属の響き。  レイレスは振り向くことさえなく、足を進めた。  最後に残されたもの。  そこに行けば、還れるというのか。  絶望が、重く足を沈める。  一途の望みが、再びそれを持ち上げた。  幾度、繰り返したか。  そして、眩い光がその瞳に差し込んだ。  そこには、『何も、無かった』。  レイレスは我が目を疑った。 『何も、無い』。  大地を引き裂いたが如く、深く、どこまでも底の見えぬ谷が、そこにはあった。 『神の裁き』  シューフの言葉が甦る。  これが、シューフの最後の策。  レイレスは、言葉を失っていた。  その底の知れない谷の深さよりも、シューフの思惑が理解し難かった。  だが、残された道は。  ふと、陽が、翳った。  見上げれば、幾重にも円を描く巨大な翼が羽撃いていた。 「どうする、小僧」  背後に男の声が響いた。  見れば、先ほどの男、バルが、血の滴る短剣を手に、微笑を浮かべていた。 「お前の主なら、死んだ」  言いながら、その手にあった短剣をレイレスの足元へ投げつける。 「選ばせてやる。それでもその剣を我らに向けるか。我らと共に来るか、…主ともども、死ぬか」  レイレスは、恐らく谷底から吹き上がり来るのであろう風を感じた。  賭けるか。  どちらにしろ、無い命ならば、己を護り倒れた家臣を想って。  短剣を拾い、レイレスは目を伏せる。 「どうする」  バルが、再び問いかけた瞬間。  レイレスは、地を蹴っていた。  男の驚愕に見開かれた瞳を見つつ、レイレスは嘲笑った。  深い青の空から、黒い翼が舞い降りようとしていた。レイレスは、それを斬った。  叫びを上げて、その翼を持った怪物は己とともに墜ちていく。  昏く、音も失い世界へ。レイレスは瞳を閉じた。  後に残ったレイレスの足跡を見ながら、バルは舌打った。 「…つまらぬことを」  その背後に、獣が近付く。谷底を見下ろす獣は瞬く間に人の姿を模った。  否。  人へと、変化した。変化した姿は男であり、その群青の瞳がバルを見た。 「バル。鴉が一羽落ちたが?」  問いかけに、バルは一言、答えた。 「構わぬ」  谷へと背を向け、獣の群れに入っていく。 「主の元へと帰らぬ鴉など、死んだも同然」 「捨て置け」 

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