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第25話
「誰のことを…見ているんだ?」
己のことを見ているのではない。
昨晩の、己ではない誰かに対する言葉。
誰かの、名を呼んだのだ。この男は。
エィウルスはレイレスの唇から手を離し、そのまま握りしめた。
瞼は閉じられ、眉は痛みを堪えるように寄せられていた。
「エ……」
その名を呼ぼうとしたレイレスを前にエィウルスは立ち上がった。
そのまま踵を返し、レイレスに背を向けた。
「夕暮れを待ち、ここを出る」
「…え…?」
言われた意を解せず、レイレスは聞き返すこともできなかった。
「お前を、お前の住んでいた地へと連れていく。少なくとも、お前たちの領地までは送り届けよう」
「俺、を?送る…?」
「そうだ。嫌か」
嫌か、と問われれば、素直に喜べない己がいることにレイレスは気付いた。
だが、それが何故なのか、掴めない。
「…できるのか?」
「ここはどちらにしろ離れなければならない。昨晩お前を追ってきたもの。…あれに、覚えがある」
「…幻朧に?」
レイレスの口にした言葉に、エィウルスは振り向き目を瞠った。
「なぜ、その名を」
明らかな驚きを見せるエィウルスに、レイレスも驚いた。
「知っているのか?」
「…いや、それはもう失われたはずのものだ。何かの間違いだろう」
「失われた?」
失われたものが、あんな勢力を持っているはずがない。
何かの間違いというエィウルスこそ、間違っている。
「あんたこそ、何を知っているんだ」
この男は、知っているのだ。
あの正体を。
エィウルスは、再び背を見せ、外へと出ていく。
「…何も。俺は、何も知らない」
その一言を残して、エィウルスは朝の光の中に消えた。
何も知らないはずがあるか。
「…エィウルス…」
明らかに嘘を、ついている。
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