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第51話

 痛みなど、忘れていた。  剣で穿たれようと、この体は蘇り、再び息を吹き返す。  些細な事だった。  小さな唇を塞いで、無理やり血を含ませた時、その痛みは甦った。  胸を、喉を、脳裏を、その痛みは奔った。  忘れていた。  この痛みに、己は支配されていたのだ。 「…傷は癒えたか。エィウルス」  闇に浮かび上がる白い頬。  金の双眸に、小さな唇。  それは、過去の亡霊ではない。  レイレス。 「…ああ」 「…そうか」  レイレスは鉄格子に寄り、何かを差し出す。  そっとエィウルスに投げると、受け取ったそれは血に濡れた布に包まれた腕だった。  この血の香り。  金の髪が、目の前に揺れる。  「…ディーグ、か…?」 「そうだ」 「なぜ、お前が…」  立ち上がり、傍へと詰め寄る。 「この、腕を…」 「殺してきた。お前が、俺の同族を殺したように」 「それは何かの間違いだ。あいつは、腕一本では死なない」 「…腕しか、残らなかった。お前がそうしたように、八つ裂きにしたんだ。…首を撥ね、腸を抉り、四肢を繋がらぬほど解いてやった」  レイレスは笑った。 「全てお前がやったことだ。覚えているだろう…?」  レイレスは囁く。  傍まで来た腕をレイレスはなぞり上げ、小さく息を吐いた。 「俺を抱く様に、お前の血は昂る。…似ていると思わないか。あの瞬間。精を吐き出す様と、命あるものが、無くなる瞬間。ただの屍に変わる、あのあっけないときを」 「レイレス」  レイレスはエィウルスを引き寄せると、口付ける。 「俺を、殺したいだろう。エィウルス」  僅かに離れた唇に、囁き、レイレスは胸元を開く。 「…この証が見えるだろう」  その指先に、刺青を辿り、エィウルスの頬を撫でる。 「俺を犯し、殺し、それを繰り返せばいい。俺は死を知らぬただの亡霊のまま、お前に抱かれてやる」

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