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彼の青いピアス
「渡辺ー」
放課後、正門近くで。
誰かに名字を呼ばれた気がした。
……誰か先生が呼んでいるのかとあたりを見回してみたけど、それらしき姿は見当たらない。
「渡辺ー」
やっぱり声が聞こえる。
振り返る。
そこには、クラスメートが立っていた。
「え……、あ、えっと……」
確か……名前は、江田……江田圭介だったと思う。
派手めな髪型と、髪の色でクラスではだいぶ目立っていたから、よく覚えている。休み時間には、教室の真ん中あたりで、いつも何人かのクラスメートと盛り上がっているようなタイプだ。
わりと自由な生活をしているらしくて、遅刻したり早退したり、授業をさぼって遊びに行ったりしている。
……というのは、クラスメートの噂話を盗み聞いて知った情報だけど。
それから、僕は彼が両耳にいつも青いピアスをつけているのを知っている。
いつだったか、ふとしたときに耳のピアスに気がついた。
青い宝石みたいな小さなピアスがきらきらしてて、珍しいなと思ったのが最初だった。
それは決して似合ってないとか、変だとかそういう印象はなくて、間違い探しの間違いを見つけたときのような、ちょっとした新鮮な気持ちだった。
それから、時々、僕は、何となく、彼の両耳の青いピアスを探して眺めてることがある。
意味なんかはなかったけど、教室では本当にすることもやることもなかったから。実際、今日も一度、彼の青いピアスを眺めた。
……勿論、青いピアスは知っているけど、僕は彼と今まで一言も喋ったことはない。
「渡辺、ちょっと待ってー」
江田君は、笑いながら駆け寄ってきた。
鞄を持っているから、今から帰るところなのは分かる。
分かるけど、……
……僕に一体何の用……?
よっぽど僕は、怪訝な顔をしていたらしい。
江田君は僕の前まできて、突拍子もないことを言った。
「あのさー、今日暇? 遊ばない?」
………………。
「あっ、何でそんな顔すんの? もろ嫌そう」
嫌そうとかそういう問題じゃなくて。
……江田君、本当に僕に言ってるの? 誰かの間違いなんじゃ……。
思わず、後ろに誰かいないか確認してしまう。
ひょっとして、後ろの誰かに言ってるんじゃないかって。
「何きょろきょろしてんの?」
「……え、……えっと、後ろに誰かいるのかなって」
「なんで……?」
江田君は不思議そうな顔をする。
僕は、眼鏡のフレームを指であげながら、少し視線をそらした。
視界の端に、彼の青いピアスが映ったから。……なんか、挙動不審に思われるのが嫌だった。
「江田君、僕とそんな話したことなかったから……。……あの、からかってるの……?」
「そんなつもりないよ。渡辺いつも一人だろ。だから」
僕は、意外な気持ちでそれを聞いた。
確かに僕は一人だ。いつも。
でも、それを、江田君が知っているとは思わなかった。
「俺さあ、渡辺と話が合いそうだって思ってたんだー」
「え……?」
僕のどこを見て、話が合いそうだなんて思ったんだろう……。
共通点といえば、同じクラスということぐらいしか思い当たらない。
江田君は、なぜか得意顔で、僕の鞄につけてあるストラップを指差した。
「これ、エメクエに出てくるモンスターだろ。実は俺もやっててさ」
「あ……」
僕は、思わず、鞄のストラップを触った。
確かにこれは、携帯ゲーム機で出てるエメラルドクエストに出てくるモンスターで、何かの飲み物を買ったときについてきたやつを何となく鞄につけたのだった。
「いいよなあ。それ、お茶のおまけでついてたやつだろ? 俺、気がついたときには期間終わっててさ。一個も手に入んなかった。ほしかったのに」
江田君はため息をついた。
僕は、江田君がゲームをしているところを思い浮かべようとしたけど、うまくいかなくて、まばたきしていた。
だって、江田君って、あまり……ゲームとか、漫画とか、好きな感じじゃなかったから。
江田君は、「でも」とアヒル口になった。
「エメクエ、初回限定版持ってるしな。そこは自慢」
「あ……じゃあ、フィギュア持ってるんだ」
確か、初回限定版の特典として、フィギュアがついていたはずだ。
僕が思わずぽろりと口にすると、江田君はますますアヒル口になった。
「へっへっへ、ルーティアのフィギュアはパソコンの前に飾ってんよー。箱開けてすぐしたことは、ルーティアのパンツ見たことかな」
ルーティアというのは、エメラルドクエストに出てくる女の子のキャラクターで、初回限定版にはその子のフィギュアがついていた。
僕は、江田君のあんまりにもオープンな言い方に、思わずふいてしまった。
まあ……確かに、つい下心なくても、スカートの中覗いてしまうよね。フィギュア。
「そーいえばさあ、エメクエのラストダンジョン……」
江田君が言いかけたとき、ぽつりと、空から一滴。
……あ、雨だ。
僕と江田君はほぼ同時に、空を見上げた。
「やっべ、雨降ってきた」
無意識にだろうか、江田君が僕の腕をつかんだ。
僕は、なぜかどきりとして、半歩、後ろに下がろうとした。
でも、江田君は、そんなことまったく気づかずに、腕を引っ張る。
「どっか遊びに行きたかったんだけどなー。本格的に降りそうだし、俺んち来てよ」
「……えっ?」
「雨降りそうじゃん?」
江田君は、何言ってんの、という顔をした。
僕はまだ、江田君と一緒に……遊ぶとか、返事してない。
そもそも、僕と一緒にいたって、江田君はつまらないに違いないのだから、僕はこの誘いを断るべきだと思う。
大体、
……江田君は、本当に僕と話が合いそうだと思っていて、誘っているのだろうか?
何か、他に意図があるんじゃ……?
「ほら早くー」
江田君は、僕の後ろにまわって、両肩を押した。
僕は、思わず歩き出す。
「で、でも……江田君の家って」
「うん、ここから近く。母さんいないし、遠慮しなくていーよ」
「そ、そうじゃなくて……」
僕が後ろを振り返ると、江田君が立ち止まった。
「え、もしかして渡辺、他に用事があったり?」
用事があるんだ。
……そういって、当たり障りなく断ればよかったのに。
僕は答えられなかった。
この流れで、江田君の家に行っても、多分、全然会話も弾まなくて、気まずい思いを味わうだけのは分かってるのに。
今まで一度も話したことのなかったクラスメートの家に行くなんて、無謀だ。
それなのに。
「渡辺、用事あんの?」
「……用事は……、ないけど……」
うつむいて、ぽそぽそ答えたら、江田君は嬉しそうな顔をした。
「じゃあ、いいじゃん! ルーティアのパンツ見せたげるからー」
「べ、別にそれはいいよ……」
江田君は僕の両肩をつかんで、そのまま歩き出した。
僕は流されるようにして、歩き出す。
なんかこの光景、傍から見たら電車ごっこしてるみたいに見えるかもしれない。
……なんでこうなっちゃったんだろう。
僕は、これから味わう羽目になる気まずさと居心地の悪さを想像して、ブルーな気持ちになった。
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