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しまぱん
「じゃあまあ、適当にあがってよ」
江田君の家は、平屋の一軒家だった。
江田君は玄関先で靴を脱ぎ捨てて、どたどたと上がる。僕はどうしようかと迷ってから、玄関の隅っこのほうに、靴をそろえて脱いだ。
「なんか飲むー?」
遠くから、江田君の声。
僕は、挙動不審になって、口を開いて閉じた。なんて答えればいいかわからなかった。
喉は渇いてなかったし、何より、麦茶ーとかお茶ーとか、答えるのもなんか変な気がしたし。
僕はおずおずと玄関からあがった。
スリッパとか探したほうがいいんだろうか? でも勝手に探し回るのも失礼な気がする。
人の家にあがったことが今までなかったので分からない。
僕は、そこまできて、はっと思い出して、あわてて口を開いた。
「お、お邪魔します」
多分、僕の声は、奥の江田君には聞こえなかっただろうけど、江田君は僕の声を聞いたかのようなタイミングで姿を現した。
両手には、冷たいお茶の入ったグラスが二つ。
「そんな遠慮しなくていーよー。母さんいないし。多分しばらく帰ってこないよ。新しいパパりんとこに入りびたりでねー」
「え、パパ……?」
「うん、うちの母さん、季節ごとにパパりん変えるんだよ。今ちょうど新しいパパりんできたとこ。だからしばらく家帰ってこない」
江田君はあっけらかんと言い放って、玄関上がってすぐ左側の部屋に入った。
しばらくして、顔だけひょっこり覗かせて僕に向かって言う。
「何してんの? 早くこっち来てよ」
「う、うん……」
僕はできるだけ足音を立てないように、廊下を進んで、左側の部屋に入った。
そこは、大きなテレビが置いてあるリビングだった。
テレビの前にソファが置いてあって、その前にガラスのテーブルがある。
テーブルの上には、江田君がさっき持っていたお茶の入ったグラスが二つ、置かれていた。
……リビングの大きさのわりに、テレビとテーブル、ソファがやけに立派だ。
床には、花柄のカーペットが敷いてある。
全体的に、自分の家とは明らかに違うにおいがした。
どんなにおいかといわれると、説明しづらい。
でも、確かに、僕の家とは違うにおいだった。
真正面に、白いレースのカーテンがかかった引き戸の窓があった。
外は薄暗い。
僕は、今日の曇り空を思い出した。
窓の外から、ぱたぱたとかすかな音が聞こえてくる。
「雨降ってきたな」
誰ともなしに江田君がつぶやいて、テーブルに置いてあったグラスを一つとって一口飲んだ。
立ち尽くしている僕を見て、「座りなよ」とソファを目で示す。
僕はおっかなびっくり、ソファの隅のほうに座って──鞄を、ひざに載せた。
なんか、落ち着かなかった。
「……なんでそんな端っこ?」
「え、あ、別に、意味とかないけど……」
何となく気後れするから。
いつも、僕は隅っこだ。そのほうが安心する。
卑屈なつもりではない、と思う。多分、性質なんだろう。
江田君は、僕のぱっとしない受け答えに何も思わなかったようだった。
普通に、世間話みたいな調子で続ける。
「そうだ、なんか食べる?」
「え、い、いいよ……お腹空いてない……」
「そう? あ、さっきの話の続きだけどさぁ。エメクエのラスダンで……」
江田君は話しながら、全然普通に、自然に、僕の隣に腰をおろした。
ソファの沈む感触に、思わず座りなおす。なんか、ますます落ち着かなかった。
「……どうかした?」
「え……」
顔を向ける。
江田君の少し幅太めの二重が目に入る。
優しそうな顔してる、と思いながら耳に視線を向ける。……きらきらした青いピアス。
「……渡辺? 大丈夫?」
「え? あ、……ああ、うん。いや、……うん、大丈夫」
僕は眼鏡のフレームに触りながら、ぎこちなく笑った。
「……なんか、こういうの初めてだから」
「え、こういうの?」
「人の家に来たり」
「あー」
江田君は、大仰なリアクションで笑ってソファの背もたれにもたれた。
「渡辺、結構一匹狼だもんな」
一匹狼……
言いようによっては、そうなんだろうけど、その表現はなんか違うように思えた。
一匹狼は、することがないからといって教室のクラスメートを眺めたり観察したりしないだろうし。
たぶん、江田君は気を使ってくれているのだろう。
……本当に、江田君は何のために僕に声をかけたんだろう?
気を使って、家にまであげて。
江田君が、楽しい気持ちになってるとは思えない。
「あのさー。前から聞きたかったんだけど」
「え、何……」
「髪、のばしてんの?」
髪。
思わず、僕は中途半端に伸びた自分の髪に手をやった。
毛先の傷んだ感触がする。……オシャレ目的でのばしているわけではないことは、誰が見ても分かる。明らかに手入れしてない髪。
なんで……と聞かれても。
気がついたらこうなってた。
散髪に行くのも億劫で。……店の人が話しかけてくるから。
視線を感じて、僕は江田君を見た。
江田君は一瞬、ちょっと驚いた顔をした。でもすぐに、テーブルの上のグラスを一つとろうと、顔をよそへ向けたので分からなくなった。
彼が何を見ていたのか分からない。
江田君は、手にしたグラスを僕に差し出した。
僕は、お茶の入ったそれを受け取る。喉は渇いていなかったけど、何をすればいいのか分からなかったので、お茶を一口飲んだ。
……珍しい。ドクダミ茶だ。
「あー、そうだ。ルーティアのパンツ見る?」
いきなり言われて、お茶を吹きそうになった。
あわててお茶を飲み込んで、江田君を見る。
江田君はなぜか、そうそう、とうれしそうに続けた。
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