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そっと。

 それからしばらく、僕と江田君はリビングでテレビ眺めたり、漫画読んだり、二人でババ抜きしてやっぱり二人でババ抜きはつまらないという結論を出したりして過ごした。  江田君は、エメクエの詰まっているところを何とかしたいと思っているようで、何度か口にしかけていたけど、そのたびに言葉を飲み込んでいた。何故なのかは僕も知らない。  どのへんで詰まってるか教えてくれたら、攻略方法教えられると思うよ、と言ってみたけど、江田君は攻略とか!というわけのわからないところでわけのわからない衝撃を受けていて、今ひとつよくわからなかった。  江田君は、なんかやっぱり変だった。  リビングの壁掛け時計が六時半を指して、僕は立ち上がった。  そろそろ、家に帰らなくちゃ江田君に迷惑だ。 「あ、渡辺帰るの?」  江田君が残念そうな顔をする。  僕は、あいまいにうなずいた。  正直、  結構な時間を江田君の家で過ごすことになったけど、この時間が苦痛に感じなかったのが自分でも意外だった。  友達っていうのは、こんなものなのかな。よくわからないけど。  ……なんか、ちょっと、くすぐったくて困る。  「雨」江田君は立ち上がって、リビングの窓を開けた。「……雨、やんでる」  そういえば、ぱたぱたという雨音が聞こえない。 「じゃあ、俺、途中まで送るよ」 「え、いいよ。大丈夫……」 「いいよー。別に他にすることないし。夕飯買いに行くついで」  ……友達っていうのは、こういうものなのかな。  外はすっかり、暗くなっていた。  空には、一つ二つ、星が輝いている。  夜道に、学ラン姿の江田君と僕。  江田君は、自分の部屋に行けないとかで、家にいたのに制服を着替えなかった。  何故自分の部屋に行けないのかは、よくわからない。……エッチなものがあるからかもしれない。エッチなもの強いな。  僕の少し前を歩く江田君は、空を見上げながら歩いている。 「星が出てるし、明日は晴れるなー」  言われて、僕も空を見た。  本当だ、星がよく見える。  江田君の言うとおり、明日は晴れだ。  雨があがったあとの、すんと澄み切った空気。  いつもより星がきらきらしているようにも見える。  江田君が歩く速度を緩めた。  僕はそれに気がついて、江田君を見た。  今、多分だけど、僕の歩調に合わせてくれたんじゃないかな。  僕から見える江田君の耳たぶには、青いピアスが光っていた。  街灯の、薄淡い光をきちんと反射して、きらきら光っていた。  僕は、それを見ていた。  今日、学校では出席確認の際の返事しか声を出さなかった。  多分、床に転がってる消しゴムのかけらとおんなじだった。  でも、今は自分が違うものになれてるような気がした。  消しゴムのかけらじゃないなら何なのかっていうと、それは分からなかったけど。  江田君が、僕の隣に並んだ。  彼のほうが、僕より頭一つ分も背が高い。  横顔から見える彼の幅広な二重とか、少し太めの眉とか。  あごから耳までのラインの先の、青いピアスとか。  ……これほど近くで見たこと、そういえばなかったな。  なんか、迫力があって、すごい。  ……みとれてるとか、そういうんじゃないけど。  する、とおろした手に何かが触れた。  あ、と反応するより前に。  さ、とまた指と指が触れた。  え、と聞き返すより早く。  きゅ、と手を握られた。  どきりとして、道路見つめながらそのまま歩いて。  どういうつもりなんだろう、  どうしたんだろう、  こういうのはどういう意味なのか訊いたほうがいいのかな、と考えて。  言葉が迷子になった。  握られたその部分が、やけに意識的でリアルに感じられて困ったから、僕はようやく、問うつもりで江田君を見た。  江田君は、僕の視線に気づいて、こちらを見た。 「あのさ。俺のどこ見てるの?って、聞こうと思ってたんだよね」 「……え……?」  かすれた声が出た。  立ち止まる。  江田君も立ち止まる。 「俺のこと、学校でよく見てたでしょ。見つめられてるかって言えば、そうじゃない。にらまれてるかって言えば、そうじゃないし。服装見てるわけでもないし……?」  どきりどきりとした。  すごく、恥ずかしい秘密を暴かれている気がした。  だから、何も言い返せない。 「渡辺、俺のどこ見てるの?」 「あ……」  ぴくっと握られた指が痙攣した。  うかがうように、ちょっと小首を傾げた江田君の髪の合間から、青いピアスが見えた。  ああ、きらきらして宝石みたいだ。  夜色になった青いピアス。  僕は反射的に、さっと顔を背けて、眼鏡のフレームを指であげるしぐさをした。  逃げようとした僕の手を、江田君の手が強く握る。 「何でかなって思ってたら、髪長いの何でかなとか、鞄についてるストラップなんだろうとか、いつも一人で寂しくないのかなとか、窓際の席から何見てるんだろうとか、いろいろ思っちゃってさあ……」  僕は言葉をなくしたまま、江田君を見上げた。  江田君は小首をかしげて、僕をしげしげと見つめるようにして、続けた。  ……無意識に喋っているみたいだった。 「……それで、俺、なんか、渡辺のこと好きになっちゃったみたいなんだよね」  ……え……。  ええ……?  今、なんて。  ……なんて言った……?  手を握りながら好きって言われれば、それが単なるお友達としてじゃないのはさすがの僕だって分かる。  でも、  それは、  それじゃあ、 「……!」  江田君は言い終わって二呼吸後ぐらいに、目を見開いて驚いた顔になった。  ぱっと握っていた僕の手を離して、口に手を当てて、真っ赤っか。 「あっ、……あ、いやっ、……そ、……さっきのは……!」  江田君があんまり真っ赤になって、あわてるものだから。  僕も恥ずかしくて、真っ赤になった。 「……そっ、わ、渡辺、ごめん……」  江田君は、頭を抱えて、今にもうずくまりそうだ。  江田君の反応が大きければ大きいほど、僕は僕でどうリアクションすればいいのか分からなくなる。  顔を赤くして、ただ江田君を見つめてるだけだ。 「さっ、さっきのは忘れて。言うつもりじゃなかった。……男から言われてもきもちわるいだけだよな。分かってるから、あんまり追及するのやめて……」 「……きもちわるい……?」 「お、俺だって、自分が男好きになるなんてびっくりしてるところなんだよ……」  きもちわるいとか、そんなこと。  ……あ、そう思う人も、いるのか。  そっか。  ……そうだ。  僕は男だし。  江田君も男だ。  ……男同士なんだ、そういえば。 「ホント、ごめん……!」  江田君は、僕の目の前で深々と頭を下げると、そのまま、僕の顔を見ないで走り去っていった。  僕は、ぼんやりと、江田君の後姿を眺めていた。  ……江田君が、僕のことを好き?  江田君は、やっぱり何か変なものを食べてしまったんじゃないだろうか。  だって、そうじゃなきゃ。  江田君みたいな「勝ち組」が、床に落ちた消しゴムのかけらを拾うなんて。変だ。

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