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第5話

昼食を終えると、黒羽はまた生徒会の雑務があるからと慌ただしく戻って行った。悠にはまだよくわからないが、生徒会というのは大変に多忙らしい。 元来のんびり屋な性格の悠だから、なるだけ関わりたくないと思ってしまう。 学校内に関しては、授業の際の移動教室がてらに黒羽が案内してくれるというので、立花からは寮の案内と寮則の説明をしてもらうことにした。 篠宮もついてきたそうにしていたのは表情から分かっていたのだが、思うところがあって、悠は篠宮には先に自室へ戻っているように伝えた。 「簡単に教えてもらうだけですぐ終わる。後で部屋に遊びに行くから」 また頭をぽんぽんと撫でてやると、こくんとうなずく。 不服そうではなかったが、あからさまにしょんぼりとしている様子には、少し気が引けた。 立花と2人だけになると、 「俺が聞きたいことと、立花が話したいことが同じだった気がしたんだけど」 余計なお世話だった?と悠はにっといたずらっぽく笑う。 立花はほっと息を漏らして、 「義堂はすごいね。匠のこと、何も言わずに受け入れるんだね」 苦笑しながら悠にうなずく。呆れているわけではない。ただ、感嘆のため息とでもいうのだろうか。 今朝のことなんだけどさ、と切り出して、立花は匠のことを語り始めた。 篠宮は先天性の声帯溝症(せいたいこうしょう)という病気で、声帯の左右に溝があるために、上手く声が出せない。通常、声を出すときには、ごくごく薄い声帯の粘膜を振動させて音を発する。 しかし、声帯溝症のある篠宮の場合、声帯の左右にできた溝の部分が硬くなって粘膜が振動しにくくなり、声を出そうとしてもかすれてしまったり、息が漏れたような状態になってしまったりするのだ。 「声帯溝症だと、人によってはもうほとんど声が出ないこともあるようなんだけど、匠は、中等部の最初の頃は、ちゃんと会話をできるくらいには話してたらしいんだよ」 らしいというのは、中等部の頃は一度も篠宮と同じクラスになったことがなかったからだと、立花は話してくれた。 「会話をできるとは言っても、普通の人より息が続かないし、声もかすれるから、聞き取りにくくはあるんだよ。だから、それが原因で陰湿ないじめに遭ってたみたいでね」 中学生といったら思春期真っ只中だし、全寮制という閉鎖的な空間でもあるから、少し“普通”の基準から外れているだけで、簡単に他人から悪意を向けられたりする。 「中等部の1年次と3年次に、クロは匠と同じクラスでね。ほら、クロはあんな世話焼きの性格だし、3年間とも学級長も、生徒会もやってたからさ、まあ、ずっと匠の味方でいてくれてたんだよね」 黒羽の話では、1年次は篠宮と普通に会話ができていたそうだが、3年次で再び同じクラスになったときは、一言も言葉を発することなく、ほんの事務的な事柄のみ、スマホで会話するようになっていたのだという。 高等部に上がってクラスが成績順に分けられるようになると、成績優秀だった立花と篠宮は同じクラスになった。 立花は一年のときも学級長兼寮長を務めていて、そのときに担任から、篠宮が話せないこと、そのせいで中等部ではいじめに遭った経験があること、だから、注意して見てやってほしい、ということを伝えられた。 「最初はそれが自分の役目だと思ってたから、なんか困ったことがあったら俺が助けよう、くらいに思ってたんだ。だから、何かとかまってたんだけど、そのうち匠が俺に懐いてくれて、思いがけず仲良くなれて」 で、匠から聞いたんだ、と、立花は続けた。 「もう今は声、出さないんじゃなくて、出ないんだって。どんなに頑張っても」 何言ってるか分からない もっと大きな声でしゃべろ 気持ち悪い声 話しかけるな 近づくな そんな言葉で毎日毎日罵られ続けた篠宮は、だったらもうしゃべらない方が、自分のためにも周りのためにもいいと思うようになった。 声帯溝症は、症状の程度によっては、訓練で声の質が改善されることもある。それまで定期的に病院にも通っていたらしいが、篠宮は中等部でのいじめをきっかけに、病院での専門的な訓練もやめてしまった。 もうしゃべりたくない、誰にも声を聞かれたくないと、黒羽のような一部の人との会話を除いては、自分の意思で声を出すことをやめた。 初めはそうだったのだが、それがしだいに、声を出したいと思っても思うように出せないようになり、2年次に上がる頃には、何をどうやっても、自分の意思ではかすれ声すら出せないようになってしまった。 「2年になって環境が変わって、いじめも表面上は落ち着いたみたいだったんだけど、1年の頃のいじめが原因で、声を出すことそのものに恐怖心を感じるようになってたみたい」 幸いにも、2年に上がるといじめの主犯だった生徒とはクラスが分かれたらしい。だが、しゃべると、話すと、また嫌われるかもしれない。そんな不安や恐怖から、篠宮はとうとう完全に声を失ってしまった。

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