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【白雨の向こう】蒼月 月丸

雨音が聞こえる……。 ぼんやりと外を眺めた。 アスファルトに染みを作リ出した数滴の雨粒は、瞬く間に群れなして激しい豪雨となって街を白く飲み込んだ。 「……なぁ、聞いとんの?」 「ごめん、聞いとらんかった。何?」 向かいの席に座る友人に視線を戻すと相変わらずだと呆れられた。 「加藤って覚えとる?中学の時居ったあの大人しそうなヤツ……来月結婚するらしいで」 「……結婚?」 加藤 伊織……懐かしい名前。 結婚するのか……。 「大人しそうやったけん、意外やろ?俺は岩本が一番先に結婚すると思っとたんやけどな」 「俺?何で?」 「女と遊びまくっとるからや、突然出来ちゃった〜とかで結婚しそうやと思っとたけどちゃんとゴムしとったんやなぁ」 昼間のファミレスで大声で話す内容ではなかろうに…… ……加藤が結婚……。 降り続く激しい雨を睨みつけた。 ・・・・・・ 中学の頃の夏祭り……同級生男女7人で回った帰り道。 「香奈ちゃん可愛すぎて直視できんやった……」 結局想い人とは甘い関係には発展出来ず、男2人で歩いている。 伊織とは特に仲が良いわけでも悪いわけでもなく、誰かを挟んで話すぐらい……こうして二人きりは珍しい。 「へたれ……ガンガン行かんけん横から取られるんや」 伊織の想い人だった香奈ちゃんは他のヤツと仲良さげに帰っていった。 「うぅ……でも浴衣姿が眩しすぎやって……ドキドキして、よう話せんかったんやもん」 引っ込み思案な伊織……。 顔も悪くないし、スポーツも頭だって悪くはない。 ただ大人しくて、積極的に女の子には話しかけられなかった。 「蓮は……?好きな娘とかおらんの?」 「俺は別に彼女とかいらんかな……面倒くさいし」 「モテる男は違うわ……」 睨む様に見上げられる。 でも本当に面倒くさい。 俺の知らないところで女同士でもめるし……。 空を見上げた頬に水滴が当たった。 「雨?」 ポツポツと音を立てて大粒の雨が焼けたアスファルトに模様を作っていく。 「……ザッと来そうやな……どっか雨宿り……」 そんな事を話している合間にも雨は本降りになり、慌てて公園のトンネル型の遊具に走り込んだ。 湿気を孕んだ重い空気と、しとどに濡れた服が濡れた体に纏わり付く。 「雨……止みそうにねぇな……どうせ濡れたし……走って帰るか……」 空を見上げていた伊織の体がビクリと跳ねた。 「光った!!」 数秒置いて空気を震わせる様な轟音が鳴り響いた。 「怖いんなら手ぇ握っといてやろうか?」 耳を塞いで目を瞑る伊織。 思春期の中学生男子……格好をつける余裕もないのか。 ついその姿に笑いが漏れた。 「うっさい!!怖くないわ!!」 伊織が声を上げた瞬間、また周囲が白く染まった。 ギュッと汗ばんだ手に握られた。 「……怖いん違う……ちょっと寒くなって来ただけで……」 小刻みに震える手を握り返すと、蒸し熱い筈なのに伊織の熱を心地好く感じる。 不安げに揺れる濡れた睫毛が儚げで……。 守ってやりたいと雨に湿った肩を抱き寄せた。 「蓮……?」 密着した熱と汗の香りに……惑わされる。 「蓮……目ぇ怖い……んっ!!」 伊織の口を塞ぐ様に唇を重ねた。 噛まれない様に注意しながら舌で伊織の熱を確かめる。 口内の熱さが理性なんて奪っていった。 伊織のハーフパンツを膝まで下ろすと流石に暴れて抵抗する。 「イヤ……やめっ!!」 「伊織……大きい声出すと誰かに見られんで……こんな場所で下半身丸出しで同級生に襲われてるとこなんて見られたくないやろ?」 伊織の瞳が不安げに潤む。 ゾクゾクとした感覚に襲われて……暴れる伊織の体を組み敷いて、涙を流す伊織を無視して事に及んだ。 男同士のセックスの方法はなんとなく知っているけれど詳しい事なんて知らない。 知識と実践は違う。 無理やり挿入しようとしたが叶わず、閉じさせた伊織の股に自分のモノを擦り付けた。 「イヤやって……離し……あ…」 俺のモノと伊織のモノが擦れ合って、本当にセックスをしている様な体勢に酷く興奮する。 「イヤや……イヤや……」 顔を手で覆い……嫌だと、小さく繰り返しながら泣き続ける伊織の体に無我夢中で腰を押し付ける。 俺のモノと伊織のモノが擦れ合って……。 「伊織だって気持ちいいんやろ?……勃ってる」 「違う……これは……違う……こんなん……嘘や……」 2人のヌメリで擦り合うモノの快感が強くなり……伊織のモノから精液が溢れた。 眉間に皺を寄せ、甘い声を吐いた伊織の様子に俺も達した。 はぁはぁ……と狭いトンネルの中、2人の熱の籠った吐息と雨音が響く。 欲を吐き出して……冷静になっても、罪悪感はあったが後悔はなかった。 むしろこのまま最後までしたい。 顔を背け黙り込んだままの伊織の体に手を伸ばしかけた時、伊織はむくりと体を起き上がらせ、無言で体に残った精液を脱いだシャツで拭った。 タンクトップ一枚になった薄い肩が頼りない。 俯いたままの伊織の表情は読めず……伸ばした手は払われた。 「何で……こんなん……」 しゃくり上げながら泣きだした伊織に何をどう言って良いのか分からなかった。 「ごめん……つい……」 高い音と共に頬に鋭い痛みが走った。 「お前……最低や……」 まだ雨の止まない中、伊織は飛び出していった。 追いかけたが……追いつけず……伊織の家の前まで来てしまった。 ヒリヒリ痛む頬よりも……心が痛んだ。 『つい』その言葉に嘘は無い。 本当につい手を出してしまった。 つい……伊織の匂いに惹かれ。 つい……伊織の肌に触れたくなって つい……伊織を好きになってしまっただけ。 雨に打たれながら白くけぶる伊織の家を仰ぎ見た。 インターホンを押す勇気は無く。 雨の中……しばらくその場に立ち尽くしていた。 ・・・・・・ それから伊織からは徹底的に避けられ、謝罪する事すら許されず……。 疎遠になったまま数年が過ぎた。 誰と付き合っても伊織の姿が頭から離れない……誰と寝ても伊織ほど興奮させてくれる人は居なかった。 誰と付き合っても同じなら誰でも良いと適当に付き合って、別れてを繰り返している。 ファミレスの窓の向こう……ゲリラ豪雨にあの夏の日の思い出が見えた。 「それでって訳じゃねぇけど、今度中学の同窓会があるんやけどお前どうする?」 「……加藤も来んの?」 「さぁ?幹事の奴が結構集まるって張り切っとったけんなぁ……くんじゃね?お前、加藤とそんなに仲良かったっけ?」 「結婚するんやったら……おめでとうぐらい言ってやりたいやん」 不思議そうな顔をする友人に曖昧に笑うとまた雨で白く霞んだ窓の外を見つめる。 遠くに雷の音を聞いた。 ・・・・・・ 俺の姿を見つけたらそのまま帰ってしまうかも知れない……そう思って少し遅れて入った会場。 受付の名簿で伊織がすでに参加している事は確認済み。 ごった返す人の中で、あちらこちらから話しかけられるのをかわしながらただ一人の姿を探した。 ……見つけた。 数人にと輪になって笑っている姿。 大人になってどちらかというと中性的だった顔立ちは、男らしくなったが……真面目そうな涼やかな目元は変わらない。 友人からの「おめでとう」の言葉に照れくさそうに「ありがとう」と応えている。 ……幸せそうな笑顔に、俺なんかが顔を見せていいものか躊躇したが……意を決して一歩を踏み出した。 「伊織……久しぶり」 「……蓮」 肩を叩き、振り返った顔は申し訳なくなるぐらい動揺していた。 「久しぶり……やな」 周りにいた友達は俺と関わりのない奴らばかりだったから、気を使ってか、評判の良くなかった俺と関わりたくないのか散り散りに去って行った。 「あの……えっと……おめでとう」 「え?ああ……知っとたんや……ありがとう」 ……重い沈黙が続く。 何か言おうとしても口が渇いて声にならない。 それは伊織も同じなのか酒を飲むペースが早い……。 「……あの日の事……ずっと話がしたくて……」 伊織の肩が揺れた。 ……忘れてる……わけないか。 「別に……もう良い……本当にシた訳やねぇし……」 その表情はもう良いという風でも無いけれど……。 「ちゃんと謝りたくて……でもこんなとこで話す事じゃねぇし……この後、別の店に行けんかな?」 「別にもう気にしとらんって……」 逃げようとした手首を掴んで引き止める。 今日このまま別れれば……次に会えた時には伊織は誰かと永遠の愛を誓いあっている。 今日しかないんだ……今日しか……。 「蓮……痛い……分かったから離せ……」 会の終わりに会場の出口で落ち合う約束を交わした。 信用してないわけじゃないけれど……同窓会の間中、伊織から目が離せなかった。 ・・・・・・ 「待たせた……」 会場の出入り口の脇に立つ俺の前に現れた伊織の姿にホッと胸を撫で下ろした。 「……何だよ、その顔?俺、約束破った事ねぇやろうが」 「うん……でも本当に来てくれると思っとらんかったけん……」 「誘っといてか……早よ行こ……お前と居ると目立つ」 伊織に背中を押され、取り敢えず会場を離れた。 出来れば誰もこちらを気にしない様な場所……適当なチェーン店の居酒屋へ入った。 店内は適度に混んでいて賑やかだった。 「えっと……取り敢えず、おめでとう」 運ばれて来たビールを持ち上げる……乾杯はしてくれなかったが、伊織も少しグラスを持ち上げた。 「……あの時の事、ずっと謝りたかった……無理やりあんなんして、ごめん」 「そやな……本番なしとは言え立派な犯罪や」 伊織の言葉に頭が重くなる。 ……でも来てくれた。 行為事態はともかく謝罪する事を許してくれた。 「悩んだ……すごい苦しんだ……でも何とか気にしない事に成功した」 淡々とした口調から伊織があの日の事を過去の事と捉え、忘れようとしているのが分かる。 ……でも、ごめん……俺は過去になんて出来ない……したくない。 「……『つい』……手を出したんじゃねぇし……」 「なんだよ?」 「……『つい』……伊織に恋をした」 真っ直ぐ伊織の顔を見つめると、伊織の視線は落ち着き無く彷徨う。 「な……恋?……は?」 真っ赤に染まった顔。 奥手なのは今も変わってないんだ……結婚までするのに。 「結婚を控えとる人間にこんなん言うのはどうかと思ったけど……俺はずっと伊織が好きやった」 「……結婚」 「誰かのものになる前に……伝えたかった……ごめん」 ずっと黙っていた伊織が急にグラスを持ち上げ、残っていたビールを一気に煽った。 店員を呼んで伊織はお酒を追加した。 ・・・・・・ 「相変わらず勝手なヤツ……そんなん言われて、俺にどうしろって?俺がどんだけ忘れようと頑張ったか分かってんのかよ……今さら蒸し返しに来るとか人が悪すぎやろ……」 呂律が怪しくなる伊織……もう何杯目だ? 同じ内容を繰り返す伊織に同じように謝罪を返し続けた。 伊織は怒りからかグラスをハイピッチで空け……寝た。 寝た? あんな事した俺の前で……好きだと告白した俺の前で……これは誘われているのか、または罠か……。 店員にタクシーを頼み、どうすべきかを考えた。 「伊織が悪いんや……俺に隙なんか見せるけん……」 伊織の手を取り、その手に唇を押し付けた。 ・・・・・・ 伊織が今どうしているかは知らないが実家は知ってる……それでも俺は伊織を自分の家に連れて来た。 俺のベッドで眠る伊織。 「伊織……最後にするけん……最後に思い出だけ……頂戴……」 どうせ叶わぬ恋。 ならばあんな疑似じゃなく、本当に体を繋げた思い出が欲しい。 その思い出だけを胸に生きていける。 覆い被さっても顔を寄せても伊織は目覚める気配はない。 突然、窓を叩く雨音に心臓が跳ねた。 伊織の頬に水滴が落ち、伝って流れた。 ……俺は伊織からそっと体を離し自分の頬を伝う涙を拭った。 雨音にあの日の伊織の涙が頭に浮かんだ。 子供だったあの時はそれにすら興奮させられたが……密かに育て続けた伊織への想いに止められた。 傷つけたいわけじゃない……。 幸せになって欲しい。 ……それが俺との幸せじゃなくても構わない。 「俺も結婚でもすれば忘れられるんかな……」 心にもない言葉を溢し、掛け布団を伊織の体に掛けてやると、眩しそうに細められた瞳と目が合った。 「……やらんの?」 「起きとったんや……俺を試しとった?」 伊織は起き上がりベッドの縁に腰掛けた。 「やるんやと思った……高校入ってからの蓮の噂はよく耳にしとったけん」 ……伊織は何を言っている? 何をしようとしてるんだ? 動揺する心を隠して努めて冷静なふりをした。 「俺が簡単に手を出すと思っとって寝たふりしとったって事はやられてもいいと思ったって事?婚約者いながらそうやって人を誘う様な奴やったっけ?それとも俺の気持ちを知って、からかおうとしたん?」 伊織は俺の顔を見ない。 否定して欲しい……自分の事は棚に上げて俺の中の伊織を崩さないで欲しいと勝手な事を願う。 「酔った勢いなら……いけるかと思った……お前を悪者にして自分の気持ちにケリをつけようかと思ったんや……」 ポツリと吐き出された台詞。 「気持ちにケリ?」 俺が悪者になって伊織の何かの役に立つのなら喜んで悪者でも何にでもなるけれど……。 俯いた伊織の膝が濡れていく。 「ずっと……誰と付き合っても蓮の顔が浮かんでくる……どれだけ忘れようと思っても……忘れようと思えば思うほどお前が心に焼き付けられる」 ギュッと握られた拳に伊織の葛藤が見える。 「伊織……」 手を伸ばそうとして、伊織が顔を上げた。 「お前は高校に入ってから女の子達と遊びまくっとたのにな……『つい』で手を出されただけやのに……蓮にとってはおふざけの延長ぐらいなもんやったろうに、俺は蓮に囚われとった」 泣き笑う伊織の表情に胸が痛んだ。 俺は……何で伊織を好きだと気付いていながら不誠実な事を繰り返していたんだろう。 伊織は一人でこんなに悩んでくれていたのに……。 「必死で忘れたにぃ……今さら好きとかねぇやろ……」 「ごめん……ごめん……」 立ちつくし、ひたすら謝り続ける俺の手を伊織が掴んだ。 「蓮……あの日の続き……やってくれん?」 結婚前に……ケリを付けると言った伊織。 俺とやって気持ちにケリは付くのか? 逆に悩みの種になるだけでは……そう思いながらも、ずっと想い続けていた人からの誘いを断れる訳もなく……伊織の体をベッドへゆっくり押し倒した。 アルコールのせいで赤く染まった肌がシーツの白に浮かび上がり……誘われる様に舌を這わせた。 女とは違う薄い胸。 それでも舌で転がすと刺激に突起が固く立ち上がる。 「ん……ふっ……」 鼻を抜ける甘い吐息に誘われながら体全体を舐める様に手を這わせていく。 伊織の体……余すところなく覚えておきたい。 「伊織……夢みたい……いや、夢でも良いかも」 こんなリアルな夢なら毎晩でも……夢から目覚めなくても良い。 熱に浮かされた様にその体を手のひら全体で堪能していると伊織の手が伸ばされて俺のモノを掴んだ。 「……もう準備万端かよ……俺で……勃つんやな」 「伊織の体が一番興奮する。どこもかしこも全てが可愛い……」 「なっ!何処見て言いやがった……もうお前、目ぇ瞑っとれ……」 そんな勿体無い事出来るわけないし……。 少し迷って、ベッド脇の棚からゴムとローションを取り出す。 流石だな……と伊織に呆れられたが、なるべく伊織に負担をかけたく無いので使わない訳にはいかない。 丁寧に塗り込んで……まだ触れた事の無い場所へ……指を刺し入れた。 暖かいその場所はきつく俺の指を締め付けてくる。 狭い……けど俺を受け入れてくれている……。 指を少しずつ動かしながら解していくと、伊織の方も慣れてきたのか少しずつ強張りが緩んで俺の指を二本飲み込んでも余裕がみえ始める。 「……蓮……しつこい……早くお前のいれて」 終わりなんて来なければ良いと、始める事を先延ばしていたのに、催促をされ……。 「やっぱ……いれるのは無理か?」 そう、寂しそうに言われて入れない訳にはいかない。 ゴムの上にさらにローションを追加して……ゆっくりと伊織の中に自分のモノを押し当てた。 伊織の体が俺を飲み込んでいく……締め付けられる感覚に伊織との繋がりを感じ、胸が痛くなる。 これは伊織と別れる為の行為。 この行為の終わりはこの恋の終わり。 俺が腰を動かす度に眉間の皺を深くする伊織の顔を見ながら想像していたのと違う……と心に穴が空いていく。 体が受ける快感に反比例して心が冷めていく。 最後……最後……最後になんかしたくない。 ずっとこのままでいたい。 ずっと繋がっていたい。 「ん……あぁ……蓮……俺……俺……」 伊織の目に溜まっていた涙が溢れてこめかみへと流れていく。 一度溢れた涙は後から後から流れ落ち、枕へ滲んだ。 伊織……涙の訳は何? 痛み?苦しみ?後悔? 「伊織……出るっ……」 「俺も……俺もっ!!くっ!」 二人で同時に果てた……。 俺の下腹部に暖かな濡れた感触。 挿入したままでいたかったけれど、ゆっくりと引き抜いた。 事後の気だるさにベッドの上で並んでいると 「蓮……ごめんな……」 伊織はポツリと呟いて目を閉じた……。 謝る必要なんて何も無い。 むしろ謝らないで欲しい。 何も悪いことなんて無い。 ……今夜の事を過ちになんてしないで……。 伊織の体を抱き締めて……俺もいつしか眠りに落ちていた。 ・・・・・・ 肌寒さに、ふと目を覚ました。 「……伊織?」 仄かに明るい室内……雨はまだ降り続いているのかパラパラと音が聞こえる。 布団に顔を埋めても伊織の温もりも匂いも何処にもない。 伊織はこれで俺との事にケリはついたのだろうか? 伊織はその腕で俺の知らない誰かを抱く。 俺もケリをつけなければ……。 立ち上がり、ノロノロとシャワーを浴びに向かう。 少しでも長く伊織の痕跡を残していたいとそのまま眠りについた体に残っていた伊織の名残はお湯と共に排水溝へ吸い込まれていく。 最後に思い出だけ下さい……そうやって繋げた体は、虚無感だけを募らせた。 ・・・・・・ 「ねぇ蓮~今日は朝まで一緒にいようよ~最近誘っても全然相手にしてくれないしぃ~」 仕事帰りにセフレの女に捕まった。 雨が降ってスーツのズボンの裾が濡れるので早く帰りたいが、俺の腕に腕を絡ませて上目遣いで甘えてくる。 何度か誘われていたが伊織を抱いた体を上書きしたくなくて断り続けている。 「お待たせ、蓮」 その声に驚いて振り返ると一人の男性が立っている。傘を少し持ち上げて見せた顔は……伊織だった。 「ごめんね、今日は蓮と約束してて……蓮を借りていっても良いかな?」 こちらに近づいて、にこやかに彼女に微笑みかける。 女の扱いにも少し慣れたんだな。 「そうなの蓮?」 「ああ……だから今日は悪い……また連絡する」 軽いが馬鹿な訳ではない彼女は約束があるなら、と大人しく引いてくれた。 「えっと……ありがとう、伊織」 俺が断りあぐねてたから助けてくれたんだよな……? 「礼を言われる筋合いはねぇよ……俺がお前をナンパしにきただけやけん」 ナンパ? 呆然とする俺の耳元に伊織が唇を寄せる。 「俺の部屋……来てよ……」 「伊織?あの……誘ってくれるのは嬉しいんやけど……奥さん……」 そわそわと落ち着かないが……伊織の部屋女の影は何もない……と言うかワンルーム? 一緒に暮らしてはいないのだろうか? 「一人暮らしやし……奥さんなんかおらん。人を上げたのは蓮が初めて……」 ベッドに腰掛けた伊織の横に座るよう促され腰を下ろす。 ……えっと……誘われてるよな……勘違いとかじゃ無いよな? 「蓮……俺の事を好きって言ったのは今も?」 此方を見る伊織の視線から逃げるように顔を逸らした。 「……ごめん……最後にするって言ったのに……」 伊織の手が俺の手に重ねられる。 「最後にされたら、俺が困るんやけど……これから蓮と……距離を縮めていこうと思っとるのに……」 「あの……えっと、なんかそれって俺の事が好きみたいに聞こえるんやけど……」 「……なんかじゃねぇ……好きやって言いよるんや」 伊織の言葉に慌てて顔を上げた俺の目に飛び込んだのは見たこと無いぐらい真っ赤に染まった伊織の顔。 なにかを堪えるように唇を噛み締めている。 「え……やけど、伊織……結婚するって……」 「俺じゃねぇよ。結婚するのは加藤 健一……あっちの加藤やろ」 加藤 健一? 記憶に無い……加藤といえば伊織しか思い付かなかった。 「でも皆、おめでとう……て……」 「あの日は俺の誕生日やったけん……」 「誕生日!?ごめん……知らんかった」 「まぁ、男同士なんてそんなもんやわ」 誕生日……全部俺の勘違い……。 勘違いで突っ走った、自分の青さ加減に逃げ出したくなり立ち上がろうとした体をベッドへ押し戻された。 「蓮が勘違いしとるのわかっとった……最後にって思い詰めとるのも気付いたけん……利用したった。誕生日プレゼント……自分から奪ったろうと思った」 俺の膝の上に跨がり、艶やかに腕を首に絡めてくる。 「ケリはつけた……過去のグダグダ悩んどった自分とはさよならした。好きならガンガン行かんと……なんやろ?」 伊織は俺の唇を奪い、にやりと笑う伊織の手は……震えていた。 忘れなければと思っていた、あの夏の日の思い出が……永遠の思い出へと変わろうとしていた。 街を白く烟らせるような雨はもう止んだ……その雨の向こう側には……きっと太陽が輝いている。

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