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【今日を限りと…..】itti

 闇夜を切っ裂く笛の音が鳴り、ドォーン、と体当たりする振動を感じると、頭上に広がるのはパラパラと火の粉を落として暗闇に咲く大輪の華。それはまるで菊の花弁が燃え盛るように、やがてしな垂れて漆黒の闇夜にシュン、と消えていく。 夏の夜空には打ち上げ花火が良く映えた。 歓喜の声を耳にしながら、俺は隣の男に視線を移す。 俯き加減なうなじに目がいけば、『男のくせに』という言葉が出てしまう程、白くてしっとりとした艶やかな肌が眩しく光った。 「…..なに?」 俺の視線に気づいたのか、いささか不機嫌そうに眉を顰めるとこちらを見る。 「いや、なんにも…..。フミって夏でも日焼けしていないんだなーって思って。」と、そんな言葉でごまかした。 「ハルキと違って僕はインドア派だからね。日中は家の中で翻訳の仕事をしているし、外に出るのはとっくに陽が落ちてからだ。」 「そうだよな、それじゃあ日に焼ける訳無いか。でも、海ぐらいは行った方が健康的だぞ。」 「…..海は、…..嫌いだ。」 「….ん、……..そうだった。」 その後は、周りの雑踏にかき消されて俺たちの声は届かなくなった。 地元で開催された夏祭りの夜、俺と連れだって歩くのは幼馴染の貴文(タカフミ) 俺はコイツを「フミ」と呼び、フミは俺を「ハルキ」と呼んだ。 「なあ、フミ。今も独りであそこに暮らしているのか?」俺が自分の足元を見ながら訊く。 フミの顔は見る事が出来ないくせに、そんな確認だけはしようとしている。 もしも誰かと暮らしていたら…..? それが何だっていうんだ? 10年ぶりにフミへ連絡をして、会えなかった時間を詫びる事もせずにここへ誘いだした。 白いTシャツによれたジーンズを穿き、むさ苦しい長い髪を整える事もなく、ただひと目だけでもフミの顔が見たかった。 「独り、と言いたいところだけど、実は間借り人がいる。もちろん男の人だけど、編集社に勤めているから家にいる方が少ない。でも、部屋代はちゃんと支払ってくれている。」 「そうか…..。編集社に。…..なら丁度良かったじゃないか、仕事の話も出来るし相談に乗ってもらえるんだろう?」 良かった、だなんて心にもない事を云ってしまって、胸の奥がチクリと痛む。 「……ねぇ、良かったら今から家へ来ないか?」 フミは立ち止まるとそう云った。さっきの俺の質問には応える事もしないで。 でも、云った傍から後ろの人波に押され、思わず俺の胸にぶつかると腕を掴んで堪える。 「………..いいのか?」 「ああ、ハルキが嫌でなきゃ。」 「俺は、…..嫌な訳がない。」 「だったら帰り道でつまみとビールを買おう。」 「…..うん、そうだな。」 俺は嬉しくなった。本当は今日の日を待ち望んていたはずなのに、いざフミと出会えるかと思ったら不安がよぎる。10年前、俺はフミを置き去りにしてしまった。 ***  フミとの出会いは中2の春。同い年のフミが両親と3人で俺の住む町内へ引っ越してきた。俺より身体が小さくて、艶のある黒髪がうなじに貼りつくように馴染んで綺麗な少年だと思った。 そしてその日から、フミは俺の特別な存在となる。 親同士も仲良くなると、俺とフミも自然と二人でいる事が増えたある日。まるで青天の霹靂とでもいえる様な事件が起きた。 俺の父とフミの母親が共に失踪。中3の夏だった。俺とフミは友人たちと野外キャンプに行っていて、実家に戻ると大騒ぎになっていた。 「どういう事ですか?まさかお宅の旦那さんがうちのをそそのかして…..?」 居間で聞こえたのはフミの父親の声。俺の母親に詰め寄っていた。 「オジサン!どうしてそんな事?」と、おもわず襖を開けて食いつく俺に、「ハルキ!黙りなさい!」と母親が怒鳴る。 どうして俺が怒鳴られなきゃいけないんだ。と、拳を握りしめて二階の部屋に上がって行き、部屋のドアを力任せに開けるが、目の前には俺のベッドに腰掛けるフミの姿があった。 「何してんだ、こんな所で。お前のオヤジ、どうしちゃったんだよ。うちのオヤジが悪いみたいに思ってんのか?」と、俺はフミに八つ当たりをする。 「ごめ、ん…..。そんなつもりは….ただ、母さんはハルキのお父さんが好きだったんじゃないかって、….そう思うんだ。」 「はあっ?なに云ってんの?!」 ふんっ、と鼻息を荒げてフミの身体を押しのけると、ベッドの上に大の字に寝転んだ。  二人が居なくなって、駆け落ちしたと思っているのか。何の手紙もメモもないのに。 俺はただ悔しくて仕方がなかった。みんなは憶測でものを云う。何も知らないくせに汚い言葉で蔑むように。 親の事があって、自然と俺たちは距離を置くようになった。 学校でも町内でも、俺とフミが二人でいると陰口を言う奴がいて。俺たちは悪くないのに…..。 独りで時間を持て余すと、俺はコンビニに行く為フミの家の前を通りかかった。 そしてその時、家から裸足で飛び出してきたフミとぶつかってしまってビックリする。 裸足のフミのTシャツは袖が裂けていて、艶やかな黒髪はボサボサのまま。 スウェットパンツの紐が伸び切って地面につきそうになっていた。  「…..ど、どうした?」と俺はフミの肩を掴むと顔を覗き込む。 「……….ハルキ、………….何でもないよ。ちょっと喧嘩して…。大丈夫、お父さんちょっと酔っぱらっているだけで。…..大丈夫だから。」と、俺の顔を見ながら後ずさりした。 「…..フミ、….」 俺は名前を呼ぶ事しか出来なくて、家の中に消えたフミが心配だったけれどそのままにしてしまった。でも、後になってその頃から父親に暴力を振るわれていた事が分かる。 フミから誰にも云わないでと懇願されて、俺は黙っていた。 かくまう事も出来ず、日に日に増える痣を横目で見ながら、ただフミの父親が憎くてたまらなかった。あんなに綺麗で輝いていたフミが、陰を落として暗く沈んでいく。 でも、俺にはどうする事も出来なくて。 母親にそっくりなフミは、きっとおじさんの目には憎い女に映ったのかもしれない。 だからあんな事を………..  俺は見てしまった。学校を休んだフミに宿題を届ける為家まで行った。 玄関は鍵がかかっていなくて、声を掛けたが返事がない。勝手知ったるフミの家にあがると、いつものようにフミの部屋を覗く。 そこで目にしたものは……。  まるで女の様な声で切ない吐息を漏らすフミの姿。おじさんは裸のフミを組み敷いて、まるで獣のようにフミを犯していた。 床に落とした宿題には目もくれず必死で家までの道を走ると、ひとり部屋に籠って泣いた。 怖くて悲しくて、そして悔しくて………、あんなフミの顔を見た事が無くて、悲しいのにどこかでゾクゾクと背筋を伝うものが俺の中に宿ったのを感じる。 『フミは俺のものだ』 心の中でそう叫んでいた俺は、来た道をまた引き返していた。  あの時の俺はきっと心が壊れていたんだ。 フミに乗っかったまま、酔っぱらってだらしなく眠っているおじさんの両足を持つと、おもいきりその身体を引いてベッドから引きずり落とした。 一瞬鈍い音がして、フローリングの上におじさんの頭から出た血だまりが広がっていく。  それをじっと眺めていると、同じように微動だにしないフミの顔が目に入った。 俺たちはそこから動けなくて、救急車を呼ばなきゃいけないのに足が固まってしまった。 「 フミ、…..お前ここから逃げろ。」という俺に、「ううん、逃げない。….ねえハルキ、シャワー浴びて来てもいい?」と、そんな事を云われ、俺は返す言葉がない。  「一緒に来て。」と、ベッドから立ち上がるとおじさんの身体を跨いで俺の手を取った。 「フミ、….?」 手を引かれて浴室へ行くと、フミはシャワーの湯を頭から浴びた。 裸のフミを目の当りにしたら、俺は自分のした事を忘れてフミの身体を求めてしまった。 シャワーの下で互いのくちびるを貪り合うと、フミの透き通る様な首筋に舌を這わす。 俺は初めて自分がこんな風にフミを抱きたかったんだという事を知った。ずっと好きだった。友達の域はとうに超えているほど。 俺たちがむつみ合っている間におじさんの息は完全に絶えてしまった。 フミは身支度を整えると、俺に自宅へ帰れと云う。 「俺がやった。だから俺がちゃんと説明するよ。」と云ったが、首を横に振ると悲しそうな顔で「僕が父親に犯されていたって、…..それを見たって云える?」と俺の顔を見た。  「云えない…….」 そんな事、云える訳がない。 「僕はこれから隣の家のおばさんに救急車を呼んでもらうつもりだ。それから救急隊員に説明する。酔って自分でベッドから落ちたんだという事を。」 やけに静かな物言いで、フミは俺にそう云った。 「けど、それじゃあフミが疑われて….。」 「大丈夫。だって僕は何もしていない。お父さんが勝手に死んだんだ。…..そうだろ?」  俺を見るフミの顔がみるみる蒼白になって行く。 「早く、ハルキは家に帰って。そして、ここから先は僕に近づかないで。」 「え?!….なんで、」 「お願いだから僕のいう事聞いてよ。そしてもし僕を好きでいてくれるのなら、10年後、10年後にまた会おう。…..それまでは、僕らは離ればなれになってもいつか又会える日を楽しみに生きて行く。」 「フミ……………」 俺はうな垂れるとフミの言うとおりに自宅へ戻った。 その頃フミはひとりで気丈に救急隊員へ説明をしたのだろう。 町内ではかなり大騒ぎになったが、おばさんが失踪して以来酒浸りだったおじさんを周りの人も知っていて、フミの言う通り自分でベッドから落ちて頭を打ったという事になった。 外傷はそれだけで、他に不審なところは無くて。唯一息子のベッドから落ちた事以外は特に事件性がないと判断されたのだった。 俺は怖かったが、フミに云われた通りアイツには近づかないで高校生になると引っ越しをした。 母の実家が東京で、祖父母と暮らすことになったからだったが、フミには何も云えずアイツを置き去りにしたまま今日まで生きてきたんだ。 「この家は変わっていないな。」 10年前に目にした門構えがそのままで、中に入るとあの中学生の頃が蘇る。 俺が昔を思い出していたように、フミもまた俺の顔をじっと見つめると、居間の畳の上で遠い目をして肩に頭をもたれかけた。 「僕の夏の思い出はねぇ、ハルキたちと行った野外キャンプが最後だった。あの後の事は正直あんまり覚えていないんだ。でもね、今夜の花火は目に焼き付いた。ハルキと一緒に見る事が出来て、10年経ったんだなぁって実感したよ。」 そう云うと、フミはビールの缶を開けてクイッと一口飲む。 それから俺のTシャツの裾をめくって身体を這わせるように密着すると、唇に吸い付いて来た。 「俺、ホントはフミがもう此処には居ないんじゃないかって思ってた。何処かへ引っ越ししているとばかり…..」 フミの細い腰に手を掛けながら俺が云えば、「僕はここで待っていたんだ。きっと大人になったハルキは僕を迎えに来るだろうと。本当に来てくれた。逞しい男になって…..」と微笑む。 「フミを置き去りにした後の10年は長かった。本当はもっと早く会いたかったのに…」 「長かった日々は今日で終わるよ、僕らはまた出会えたんだから。これからは一緒に生きていける。」 そう云うと、フミの熱い身体は潮を吹くように俺を呑み込んでゆく。 永遠に口にする事のない「秘密」を抱えて、フミと俺の人生はまた此処から始まるのだろう…..。 ___完___

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