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【ある夏の日の不思議な話】SIVA
盆休みに実家に帰省した山本一樹 (絵左)が出会ったのは晴れているのに黒い傘を不思議な青年夏目雷 (絵右)。二人が不思議な力で引き寄せられた、不思議なお話。
***
休みに家にしてもすることが無く、外に出ても金を浪費するだけだと思い実家にでも帰ろうかと思い立ったのが盆休みに入ってから二日目の事だった。
海と白い砂浜と民家しかないドがつくくらい田舎の港町に住んでいた一樹は高校卒業と同時に田舎暮らしを卒業した。よくある田舎者が都会に憧れるってやつで、一樹もそんな一人だった。だが理想と現実は違うもので都会に出ても毎日嫌なことばかりが続いていた。
気分転換も兼ねて実家に帰ってきたはいいものの、田舎すぎてすることが無い。仕方なくふらりと散歩に行く事にした。
暫く歩いて歩いていると雲ひとつない晴天にも関わらず黒い傘をさして海沿いの土手を歩いている青年をみかけた。
一樹はからかうつもりで近づいた彼を呼び止め腕を掴んだが、掴まれた拍子に揺れた傘の中に見えた容姿に一樹は目を奪われた。
蒼白い肌に真っ黒な髪の毛。男に対し美しいと思う事は少ないが、この時の一樹は何故だか彼を見て美しいと思った。
男は傘をさしている側の手を握りしめられ虚ろな表情で一樹を見上げるも一樹を見た瞬間目を少し見開いた。
見かけない顔に疑問を持ちながら一樹は男に話しかける。
「あんたも帰省中?」
返事を返さない男に次の質問を投げかける。
「なんで傘をさしてんの?」
暫くの沈黙の後、思案する表情を浮かべながら「……何でって暑いから」ポツポツと話し始めた男は聞かれた事は話すようになった。
「まぁ、確かに暑いな」
チラリと格好を見るが白いTシャツがボロボロで履いているズボンも煤の様な汚れがある。
(浮浪者?)
そうも思ったが端正な顔立ちからはとても想像出来なかった。
この後も一樹が一方的に話を進め気がつけば日も暮れ始めていた。
深呼吸をして視線を地平線に向けたままようやく男が話をしてきた。
「何だか今日はとても楽しませてもらったよ。ありがとう」
傘を少し上げ夕日を眺める男の横顔を眺めながら一樹はまた会えたら此処で話をしようと口にしていた。
男は戸惑いながら頷き、日が完全に沈むと同時に立ち上がり来た道を帰っていった。
「そうだっ」
一樹は立ち去る男の背中に向かって声を上げた。
「なぁ!名前!あんたの聞いてない!」すると傘をさしている男は小さく振り返り「夏目……夏目雷 君の名は?」
「俺は一樹だ」
「一樹か。覚えたよ。それじゃあまた」そう言って行ってしまった。
***
名前を聞いてから自宅に帰った一樹は既に帰省していた姉にお帰りの挨拶代わりに頬を触られ「エッ何っ冷た!一樹あんたこんな時間まで海入ったの?」と言われ自分の体を触った。
「さむっ……」
確かに体は冷え切り鏡で見た自分の唇は少し青くなっている。じわじわと冷たさが体に染み渡ったが原因が思い当たらず不思議に思い風呂に浸かりながら昼間出会ったばかりの青年、夏目雷の事を考えた。
彼はとても不思議な雰囲気の持ち主で、何故か妙に引き寄せられるような気がしていた。
風呂から上がりリビングでぼーっとしていると「一樹ぃ。帰ってたのか。また一段とでかくなったか?」背後にいつの間にか曽祖父がいて小さく肩を上げ驚く一樹。
普段は母屋に来ることは無い曽祖父が一樹が帰ってきたと聞きひょっこり顔を出したのだ。
「いや、もうでかくはならないけどね。ただいま、おおじいは元気そうだね」
「この通り腰は酷く曲がっちまったがな」
ひ孫の帰りを待ち望んでいた曽祖父は目を細めて一樹を眺めている。
そして会う度に「わしの若い頃にそっくりだ」そう言って手を伸ばし屈んだ一樹の髪の毛をわしゃわしゃとするのだった。
***
次の日もまた次の日も土手に行くと雷が黒い傘をさして歩いていた。だがここ二、三日はどうしてか声をかけることが出来ないでいた。
何処か彷徨う様に歩いているように見え、そしてどうしてか寒気を覚えた。
ようやく声をかけることに成功した今日は昨日とは打って変わった表情をしていた。
「よぉ。今日も暑いな。俺もそれに入れてくれよ」
やっとの思いで後ろから声をかけると、雷は視線を向けることなく口元だけ微笑みながら「やぁその声は一樹だね。久しぶり。傘に入れてくれって?イヤだよ。これは僕しか入れない君はダメ」
口調は自分に会えた事が嬉しいようにも感じた。そう思うと自ずと一樹自身も無意識に口元が緩んでいた。
「ケチ臭いヤツだな」
「ケチ臭い?あぁそう言うものかな」
「何だよそれ」
初めてあった頃よりも他愛ない会話も弾むようになってきた。会話が途切れ特段する話がなくても居心地は悪くない。
「一樹、あれはなんだ?」
雷に言われ土手から少し向こうに見える灯りを見つけた。
「あぁあれは灯篭 だ。あそこで祀ってから海に流すんだ。明日の八月十五日の終戦記念日に。この町の伝統行事的なやつだな」
「終戦、記念」
日は少し傾き始めている。もう少しで雷が“そろそろ帰る”と言いそうな時間帯だがこの日の雷は前とは違っていた。
「灯篭……か。美しいな。はるか昔に見たことがあるような気がする」
目を細め昔の記憶をたどっているのか、無意識にほほ笑んでいるように見えた。
「暗くなればもっときれいに見えるはずだ。あっちに向かってれば日も暮れるだろう。近くで見てみるか?」
一樹の言葉が意外だったようで目を丸くした雷は返事も忘れ逆光になってよく見えない一樹の顔を見た。
「この感じ……」
「ん?どした?」
返事が返ってこない代わりに妙な言葉を発している雷の前に手を振りながら首を傾げる一樹。その振っている手を突然握りしめた雷は「行こう!」と声を上げ目を輝かせていた。
まるで誰かを一樹に重ねているかのように見えた。
「一樹、君は誰かに似ていると言われたことはないか」
「誰かに似ている?別にないけど」
「そうか」
無意識だろうか手は握られたまま、グイグイと前を歩く雷に若干圧倒されながら後ろを歩いているとまたさらに目を輝かせて辺りを見回している。
「そんなに珍しい?」
「珍しいな。見てくれ。これ、これはなんだ?」そう言って目の前のトロピカルジュースの店頭にあるシロップを手にした。慌てた一樹はシロップを急いで店員さんに返し謝りながら雷の背中を押し先に進んだ。
「なんでシロップがそんなに珍しいんだよ。あれは炭酸ジュースに入れて飲むやつだろ」
「そう言う飲み物があるのか。どんな味がするんだ?」
「なんであんなもんに興味持ってんだよ。ちょっと待っとけ」
一樹は踵を返しポケットに手を入れながら小銭を確認してから店員とぽつぽつ会話をするとコップを受け取った。
その間雷は一樹の行動をじっと見つめている。時折通り過ぎていく浴衣姿の女性たちの視線を感じながら神社を通り抜けていくそよ風に鼻をスンッとさせながら暗くなった空を見上げた。
「こんな時間になってしまって。あぁ今日は本当に気分がいい。一樹と会えた時は本当に……」
一人ごちりながら買い物を済ませこちらに戻ってくる一樹に笑みを浮かべながら見つめた。
「お待たせ。これがご所望の品だ」
透明のコップに入った鮮やかな水色の飲み物を目にした雷は掲げられているコップの前に体をくの字に曲げ顔を突き出し左右に首を傾けながら眺めている。
「そんなに眺めなくたって、飲んで見りゃいいんじゃないか?」
「それもそうだな」
ようやく一樹からコップを受け取った雷は手のひらに感じる冷たさに肩を縮める。
「キンキンだろ。まぁ味はただの砂糖水みたいなもんだけど、子供の頃はそれがすごくおいしく感じたんだよな」
一樹の話を聞きながらストローに口をつけちゅーっと音を立てながらジュースを飲んだ雷。
喉にジュースが到達したのか目を見開いて一樹の方を見た。
一樹はニッと笑いながら「美味いだろ?」と言った。
飲みながら何度も頷きあっという間に半分は飲み干してしまった。
「ちょい、雷。一気に飲みすぎじゃないか?炭酸効いてないのかな……」
雷からコップを受け取り自分も一口貰うも、ちゃんと炭酸は効いていて口の中がじんわりと熱くなった。
それからしばらくして我に返り「あ、ごめ……ストロー口付けた」口に手を当てそっぽを向いたまま雷にカップを返した。
「僕は別に気にしないのに」
コップを受け取り残りを飲み干す勢いで中のジュースが勢いよく減っていく。
何故か途端に意識してしまった一樹は火照る顔を手うちわで冷ましながら先を歩いた。
美しいと思った横顔は今日も綺麗に整っている。その頬に口づけをしたくなるくらい透き通る白い肌。
一樹は無意識のうちにその頬にキスをしていた。
「一樹?」驚いた顔をしている雷が声を上げてようやく自分のしている事を自覚した一樹は真っ赤にさせながら雷から離れた。
「ご、ごめ!!マジで俺、何してるん、だっっっ」
慌てふためいている一樹の唇に柔らかいものが乗った。頬には冷たい何か……。
よく見れば、めいいっぱい背伸びをして一樹の頬に冷たい手を置いてキュッと目をつぶりキスをしている雷がいた。
雷の肩を持ち引き離すと自分と同じように顔を赤らめた雷が唇を抑えながら下を向いた。
「え、っと……」困惑する一樹の手を握り「先、いこ」照れるように先を指す雷に少し救われた気持ちになりながら奥へ向かった。
この時のキスは互いに触れないようにした方がいいのか、特に話題になることもなかった。
奥へ歩いている最中に後ろからドンっと音がして二人は同時に振り返った。
「あれは?」
「あぁそうだ。今日は花火も打ち上げるのか」
「花火か」そう言って向きを変えちょうど自分たちが居る所が少し小高くなっている場所だったため二人が見る花火は何にも邪魔されることなく夜空には放たれ美しい円を描き散っていった。
花火の光が仄かに雷 の顔を照らす。雷は再び目を輝かせると「花火はいつ見ても美しいな」そう言って未だ繋いでいる手に力を込めた。思わず視線を落とし握られている手を見るが一樹はそこに触れることなく再び視線を戻し雷の横顔を見つめた。
こんなにも見ていて綺麗な横顔はない。気が付けばまた雷の頬に手を触れてしまいそうで、上げかけた手をそっと下した。
ひとしきり花火を見た後、まだ上がっている花火を背に一番奥の所までたどり着くとそこには川に流す灯篭を販売していた。
「一樹。僕もこれやってみたい」
一樹の服の裾を引っ張りながら小さく言う雷。先程とは打って変わり子供のような表情を見せ灯篭に指をさしている。
「やってみたいって言って出来るもんか?」
二人の会話を聞いていた灯篭売りのおばちゃんが「願いをこの灯篭の和紙の部分に書いて明日の夜またこの神社に来てみんなで一斉に川に流しに行くから誰でも参加できるよ。書くものをあっちにあるし、持って帰るの大変だったらうちで預かっておく事も出来るから」
「……だって。雷どうする?」
聞くまでもないと思いながら雷に視線を向けるとかなり前のめり状態でいた。
「じゃあ灯篭二つ下さい」
二人はそれぞれ灯篭を受け取り隣に設置されている簡単なテーブルの上にあるマジックを持って固まった。
「願い事、か……」
ちらりと隣の雷を見るとマジックを持ったまま不安げにじっとしている。
「雷?」
「あぁえっと、一樹は字の読み書きは出来るのか?」
「はい?」
素っ頓狂な質問につい大きな声で聞き返してしまった。
「字の読み書きって、そりゃ出来るよ当たり前だろ?」
「そうだよ、な」
雷はそっとマジックをテーブルの上に置いた。
「どした?書かないのか?」
小さく頷く雷にこの時の一樹は気が付く事が出来ず灯篭に何を書こうかそれだけで頭がいっぱいだった。
「やっぱり僕はいい。君は書けるならちゃんと願い事をした方がいい」
「は?なんでだよ。雷も一緒に―――――「僕の事はいいから」
背中を向けてしまった雷が気になりマジックをテーブルに置いて持ち帰ることにして灯篭二つは一樹が持つことにした。
「場の空気を乱して済まない」
「気にすることないけど、あんなに目を輝かせてたのにどうしたんだよ」
「ちょっとそこの椅子に腰を掛けないか」
雷が指さすベンチに足を向け、まだ賑やかい参道を背にしながら二人は静かに腰を下ろした。
腰を下ろして足元にある灯篭に視線を落としながら雷はゆっくりと話し始めた。
「僕は字の読み書きが出来ないんだ。教えてもらう事が出来なかった」
「え、なんで……学校行ってなかったのか?」
「学校に通うくらいなら、違う事をしろと言われ育ってきたから。それにお国 の為にもっと大切なことをしなくてはならなかったから」
「お国?」
一樹がそう聞き返すのとほぼ同時に酷い耳鳴りに襲われ思わず目を閉じ耳をふさいだ。
ようやく音が止まり目を開けるとそこに雷の姿はなかった。
「雷、大丈夫か?……あれ?雷?」
立ち上がり辺りを見回すもそれらしき人物は見当たらない。仕方なく帰ろうと足元を見ると二つあったはずの灯篭が一つ、雷と一緒に消えていた。
***
翌日。
昨日の出来事を誰かに話そうか迷った。こつ然と姿を消した雷と連絡を取る手段はない。
「家にちゃんと帰ったのかな」
と思えば、彼の家が何処にあるのか知らない一樹だが家に帰れたならそれでいい、そう思っていた。
八月十五日になり終戦記念日だとテレビがやたら騒いでいる中、一樹も曽祖父の部屋で戦争の話を聞いていた。曽祖父はゆっくりと立ち上がり押し入れに向かうと古びたアルバムを手に再び一樹の隣に座った。
「あ、これいつもの写真?」
曽祖父は頷きながら一枚一枚丁寧に当時の話をしてくれるのだった。それが毎年のことであっても、一樹は嫌な気持ちにならなかった。
戦争があったという事実は決して忘れてはいけない。自分たちがどれだけの人を傷つけ傷つけられてきたかをしっかりと後世に残していかなければならないのだ。
曽祖父が必ずアルバムの最後のページをめくる時に言うセリフだ。
耳が痛くなるほど聞かされてきたこのセリフももう少しでまた聞くことになると思った。
アルバムを捲りながらゆっくりと眺めていると一ページに一枚だけ納められている特攻服に身を包み飛行機を隣に腕組をしている若い青年が一人おさまっている写真に目が止まった。
こんな写真今まで見たことがなかったため一樹は手を止めその写真を眺めた。
「……おおじい、この人は?」一樹に指さされ曾祖父はアルバムを持ち上げ目を細める。
「おぉ。こいつは夏目だな。夏目雷。いい男だろう?」
名前を聞きぎょっとする一樹。
「彼は特別攻撃隊、通称特攻隊に自ら志願して零戦 に乗って自らの命を国に捧げた勇敢な男だ」
「れい、せん?」
「おぉ、一樹は“ゼロセン”と言う方が聞こえはいいか?」そう言われ授業で少し習ったような気がする戦争当時の飛行機を思い出した。
「え、ぜろせん に乗ってってこの人……」
「生死はわからん。未だに遺体は見つかってないからな。でも同じ零戦に乗って帰還した仲間が言っていた言葉を信じるなら、敵艦に突っ込んでいった―――――」
曽祖父の言葉がいまいち理解できないでいるのは、帰省してから出会った青年が戦後七十数年経っているにもかかわらず当時の面影のまま姿を現しているという事。
「雷……」
しかし、ほんのわずかな時間しか過ごしていないが冷静になって考えると不思議な事ばかりが起きている気がする。
「この人、いつも薄汚い白いシャツ来てた?」
「そうだな。容姿端麗だったが、何せ家は極貧で食べるものもままらない日もあったからうちで夕飯を食べさせてやったこともあったし、その時に雷と一緒に風呂に入ると久しぶりに風呂に入ると言っていたからな」
言葉がうまく出てこない。
自分が接していた人物は過去の亡霊なのか。だが確かに彼は存在していた。
「唇の感触あったし……」そっと自分の口に指を置いてあの時の雷がとった行動を思い出しながらゆっくりと唇をなぞる。
自分のこの何とも言えない感情はどうしたらいいのか混乱しているとふと昨日の会話を思い出した。
「なぁおおじい。もしかして、この人字の読み書きとか出来なかった?」
「どうだったか……読むことは少しは出来たかもしれんが当時は字を書けるのは学校に通えていたごくわずかな子供たちだけだったと思うが。どうしてそんな事を聞くんだ?」
“字の読み書きが出来ないんだ”
そう言いながら切なげに足元の灯篭に視線を落としていた雷の横顔が今になって思い出され一樹は顔をゆがめた。
「ここ最近ずっと不思議な感覚に見舞われてたのって……」一樹はそこまで言って口をつぐんだ。ここ数週間土手で話をしたり花火を見に行ったり、手を伸ばして頬にキスをしたりした男と、今曽祖父が話をしている人物は同一人物なのか?疑問と同時に震えが来た。
いてもたっても居られず写真を剥ぎ取り部屋を飛び出していた。
「一樹!!」
曽祖父が自分を呼ぶ声が雷の声に聞こえ一瞬振り返るもすぐに向きを変え足を前に出し走り出した。
いつもの場所に行けば雷はいるはず……そう思い全力で走った息を切らしながら膝に手を付き雷の前に立つ一樹に「どうしたのさ、そんなに急いで」穏やかな声と黒い影が頭上から降ってきた。
聞きたいことが山ほどあるのに息が上がって中々切り出せない。
「ゆっくりでいい。話したい事があるんだろう。時間はたっぷりあるから」そう言って昨日の灯篭を掲げた。
たっぷりなんてない。一樹はそう思った。
この時期が……盆が終われば雷は居なくなる。誰かに呼び寄せられたのか、はたまた成仏できずに彷徨っているのか分からないが雷には時間は無いはずだ。
「夏目雷。本当はあんたもうこの世に存在しないんだろう。おおじい……山本元治 が言ってた。特攻隊に所属していたって」一樹は持っていた写真を雷に見せた。
「元治……山本元治。そうか一樹は元治のひ孫か。あいつの若い頃にホントによく似ている。僕は元治が迎えに来てくれたのかと思って一樹と出会った最初は胸が高鳴ったよ」
「じゃあ雷、お前やっぱり」
雷は切なげに微笑み頷いた。
「君との会話は毎日が楽しかった。夏祭りも久方ぶりに楽しめた。僕はいつの間にか一樹に心奪われていたんだな。『また明日』と言ってくれ去っていく一樹の背中をこっそり見ているのが幸せだった。叶わぬ恋と分かっていたのに頬に口付けを貰い涙が出るのをこらえるのは大変だった」
雷の頬には一筋の涙が伝っていた。一樹は無意識に手を伸ばしそれを拭いとってその頬に唇を乗せていた。
「もう、お別れだ一樹。これは良き夏の思い出になるな」
「あぁ。永遠に忘れられない思い出だ」
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「またいつか─────一樹」
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ゆっくりと目が覚めた一樹の目の前には心配そうに眉を下げた姉がいて、傍には灯篭が二つ並んでいた。
姉はまだ意識が朦朧としている一樹の肩を掴み「いっちゃん!?しっかりしなさいっ!!大丈夫!??」と叫んだ。つい昔の呼び方に戻ってしまう程気が動転しているようだ。
「ねぇ、ちゃん?」
「ばかっ!なんで服着たまま海にはいってんのさ!死ぬ気!?」
「は?海?俺が?雷は?雷は何処?」
「はぁ?何言ってんの?誰よライって。あんた手を前に伸ばして、何かに引っ張られるみたいに海に入ってったってお隣の佐々木さんが言ってたんだよ」
雷が自分を海に連れていこうとしたのかと思ったが、そんなことを言ったところで信じて貰えそうになく「ごめん……」とだけ謝っておいた。
腕で顔を隠し「もう大丈夫だからちょい、一人にして……」そう言って姉達を部屋から出し一人になった一樹は嗚咽を漏らした。
「連れて行ってくれても良かったのに……」
こんなに切ない気持ちになるなんて思わなかった一樹は握りしめられている右手を開いた。くちゃくちゃのそれは曽祖父が持っていたアルバムから引き剥がした雷の写真だった。
写真の中の雷と一樹が出会った雷は同じ顔をして同じようにほほ笑んでいる。
後にも先にも雷が姿を現したのはこの年の夏だけで、毎年実家に帰って土手沿いを眺めるも黒い傘を持った青年は二度と現れる事はなかった。
***
「え、一樹、それって幽霊に恋しちゃったって事?」
「そうだね。お前みたいに綺麗な肌で綺麗な唇で、体の線もこのくらい細かった」
時は経ち一樹にも恋人が出来き、ふと夏の日の不思議な思い出をベッドで語りだしていた。
恋人を愛撫しながら「不思議だったけど、恋心って生まれるもんなんだなって思った」
「それ、今ベッドで言う事?目の前に恋人の俺が全裸でいるって言うのに」
「ふはっ。そうだね。ごめん。でもそれだけ衝撃的だったって事」
「一樹?」
「ん?」
「なんで涙流してるんだ?」
恋人に言われ体を起こして頬を撫でた。
何故かと問われ、わけなど分からない。だけれど、ふとあの日の一瞬舞い上がった恋心が未だに一樹の心の深くに刻み込まれ忘れられない記憶として残り続けているんだと思えば涙の理由は一つしかない。
「あぁ……きっとあれだ。俺は雷 を思い出す度にこうやってわけもなく涙を流すんだと思う」
恋人は首を傾げ意味がわからないといいながら体を横に向け眠りについた。
その後ろにピッタリと寄り添うように一樹も横になりながらも、未だ昨日の事のように思い出される雷の事を密かに想っていた、永遠に忘れる事は無いだろう。
『雷……またいつか─────』
……fin
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