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足掛かりがある訳ではない。
ただ、滔々(とうとう)と水を湛えた泉の上だ。
しかも、底が何処にあるか分からぬ位に深いと聞いて育った。
怖い。
でも、それに打ち克たねば咲耶が贄にされてしまう。
踏み出した足は決して沈まぬと己に言い聞かせ、咲良はもう一歩踏み出した。
……しゃりん。
神職が鳴らす鈴とは違う、更に清らかな鈴の音が響く。
「………………っ、浮いて……る……」
足の下は清らかな泉の水があるだけだ。
足掛かりなどない水の上へ、咲良は立っていた。
「泉が呑まないということは、お前が我の対だという証だ。
さあ、我の元へ来い」
「はい」
差し出されたままの手に誘われるように、咲良は一歩一歩歩いていく。
月を背にした鬼が怖くない訳ではないが、シルエットを見る限り無体な真似をするような人物には思えないのだ。
神職や両親が固唾を飲んで見守る中、足を踏み出す度に可愛らしい鈴の音が辺りに響く。
目を凝らせば、泉の周りに咲いた鈴蘭水仙が風に揺れる度に、チリチリと清らかな音を奏でているのだ。
まるで、怖れる必要はないと語りかけるように。
普通の人と同じ、5本の指。
形も指も、違和感は一つもない。
「………………」
見上げれば、少し毛先の跳ねた髪も艶のある漆黒。
二本の角も然程大きくはなく、恐ろしさを感じさせない。
『大丈夫。
きっとこの方は、無体なことなどなさらない』
確信はないけれど、漠然と感じる。
必死で引き止めようと叫ぶ付喪神達の声に胸は痛むが、引き返すことは許されない。
迷うことなく、咲良は差し出された手に自分の手を重ねた。
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