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「あの子は……、香久良ちゃんは…、自分よりも人の事を思って……、………っ、一緒に、連れて……っ、………っ」 もしも、娘がいたならば、こんなふうであったろうと思っていた。 お互いに励まし合って、日々を過ごしたろう。 娘でなくとも、護矢比古の花嫁にと望んだだろう。 それほどに、可愛くて愛しくて、かけがえのない存在になっていた。 せめて、獣腹でなければ…。 多くを望まなければ、慎ましく暮らしていけた筈なのに。 「そうですね。 獣腹でなければ、少なくとも自由であれたかもしれません。 でも、自由であったなら、次期さまの許嫁にされていた。 どちらがあの子にとって幸せであったでしょうね…」 「………あの人の…息子に…?」 「ええ。 里での暮らしも、さほど自由とは言いがたい。 嫁ぐ相手は決まっていますし、家を切り盛りするための素養を叩き込まれます。 たしかに、香久良さんにもその才覚はありましたが」 「………」 どうあっても一緒に暮らせなかったのだと告げられ、胸がギリギリと軋む。 「甲斐甲斐しく世話を焼く様子を見ていれば、香久良さんがどれだけあなたを慕っているかも分かります。 奥向きで暮らす者達がみな、ずっと続いてくれるよう願っていたくらいです」 「………」 「それほどに微笑ましかった。 いいですか、あなたの息子が来るまではこの木のうろに隠れていてください。 里の者には気付かれないように。 もし、香久良さんを探して社に立ち寄ったときには、ここを伝えます。 あなた方親子が落ち延びるのが先です」 「………っ」 「どうか、聞き分けてください。 …いいですか。 絶対に息子が来るまで…、いや、息子以外の人間に対してあなたの存在を、決して知られてはならない。 わかりましたね」 「………っ、はい…」 そう告げて、背の高い草葉で護矢比古の母を隠し、社の長は立ち去った。

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