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第34話
そう言って、マシューはアンバーの目の前に封筒を差し出した。
「これは?」
その厚みのある封筒を見て、アンバーは不思議そうにマシューを見上げた。
「ひとまず当面の生活費にと、イアン様は仰っておられました」
「…………」
──ひとまず当面の生活費。
その言葉を聞いて、アンバーは黙り込んでしまう。
兄の番候補だったアンジュを、アンバーが攫うようにして、あの家から逃げてきたのだ。
イアンは、自分達を連れ戻すために、マシューを送り出したのではないのか?
それなのに、何故イアンが自分達にこんな事をしてくれるのか、その真意を測りかねた。
「……アーロン様?」
「……それは……受け取れない」
それに、理由があったにせよ、自分は兄を裏切ったのだ。これが好意的な物であったとしても、受け取ってはいけない気がした。
「アーロン様、イアン様は貴方達のことをとても心配しておられましたよ。そして、もしもお二人が番になっていたとしたら、引き離すのは酷だとも仰っておられました」
「え?」
俯いてしまった頭の上から落ちてきたマシューの言葉に、アンバーは驚いて顔を上げた。
「兄さんが……そんな事を……? 僕のことを怒っていて当然なのに……」
しかしマシューは、そんなアンバーに首を横に振ってみせる。
「アーロン様、貴方は間違ったことをしたのですか?」
「……間違ったことはしていない……つもりだ」
ティカアニ家は、表向きは一企業だが、実際は裏で100年以上も深く関わってきたマンテーニャファミリーが糸を引き、財政界との繋がりも深く、常時開いていたパーティなどで、高級娼婦や男娼をVIPにあてがってきた。
そして、何よりもアンバーが家を出るきっかけとなったのは、子孫を残すために連れてきたΩ達に、法律で禁止されている“ 発情促進剤”を使っていた事だった。
アンバーも、前から薄々勘付いてはいたが、実際にそれを目にすると、どうしても許せなかったのだ。
しかも、自分の愛する人が、まさにその毒牙にかかるところだった。
あの優しい兄までが、そんな事に手を染めていたなんて、信じられなかった。許せなかった。
そうしなければ、あの街では生きていけないとしても、アンバーは、そんなしがらみから抜け出したかったのだ。
そして、そんな所にアンジュを置いておくわけにはいかなかった。
────だから……
「僕は、アンジュと幸せになる為に、あの家を出たんだ」
アンバーの言葉を黙って聞いていたマシューは、厳しい口調で切り返した。
「それならば、余計にこのお金は受け取らなければいけません」
薬を使って無理やりに番にさせられたとしても、あの家に留まれば、アンジュは衣食住に苦労する事もなく、暮らす事はできたのだから────と。
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