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第56話
「あ……いただきます」
「……俺も……」
20代前半くらいだろうか、笑顔が可愛いウエイトレスだ。
「全部食べちゃったのね。すごい食欲!」
彼女は、マグカップに珈琲を注ぎながら、フレンドリーに話しかけてくる。
「お客さんが美味しそうに食べてるのを、見るのが好きなの」
だけど、その目線は常にアンバーの方を向いていて、アンバーにばかり話しかけているという感じだ。
「ね、この後どうするの? 私、もうすぐ上がれるから、街を案内しようか?」
「え、いや……でも……」
彼女の押しの強さに、しどろもどろになるアンバーを見て、アンジュはちょっと面白くない。
──なんだよ……。はっきり断ったらいいだろ。
「ね、何時でもいいよ。今夜とか、会ってもらえないかな。私、この街から出たことがないの。他の街ってどんななのかな。教えてほしいな」
──……な……っ?
アンジュは、思わず二人から目を逸らし、横を向いてしまった。
──マジ、見てらんない。
時代から取り残され、よそ者を受け入れない閉鎖的な街。──それが、話に聞くノースシストの印象だった。
だけど、まったく違う。マスターもウエイトレスも、気さくすぎるくらいに話かけてくる。
店内の他の客も、目が合ったら、ニコニコと笑いかけてくる。
最初に店に入った時の、あの纏わりつくような視線は、マスターが言ったように、本当に旅行者が物珍しかっただけのようだ。
だけど、このウエイトレスは、明らかにアンバーを誘っている。
それをはっきりと断らないで、まんざらでもない感じで、鼻の下を伸ばしているアンバーが、気に入らない。
「馬鹿アンバー……」
誰にも聞こえないように、小さな声を漏らしてしまったその時だった。
いきなり、隣から伸びてきたアンバーの腕に、ぐいっと肩を抱き寄せられて、座っているスツールから尻がずり落ちそうになる。
「────っ、なんだよ」
「この人、僕の番で、世界で一番大切な人なんだ」
「……え?」
ウエイトレスの彼女とアンジュは、同時に声を漏らした。
「ごめんね。だから、君と二人きりで会ったりはできないんだ」
そう言って、アンバーはアンジュに視線を合わせると、チュッと音を立たせて唇にキスを落とした。
店内がざわざわと、ざわめいて、一斉に視線が集まってくる。
「ば、ばか! 何言ってんだよ」
ただでさえ目立つのに、こんな事したら、余計に注目を浴びてしまう。
ここで暮らすのなら、出来る限り静かに、誰にも気づかれないように、いつからここにいたのか分からないくらいに、溶け込んで生活をしたい。
──そうするのが、一番安全だから。と、思っていたのに。
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