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第9話

 拓斗はそれから三日寝ついた。  登山から帰ったその日に熱が41度まで上がり、夜勤の美夜子さんに代わって、俺が看病することになった。  スポーツドリンクと、ゼリータイプの栄養食、レトルトのお粥なんぞを買い漁って来て、食卓に積みあげる。それと忘れちゃいけないのが、りんごジュース。  拓斗は小さい頃から熱を出しやすい体だった。小児ぜんそくがあったせいだろう、幼稚園の頃は月に三日は必ず休んでいたように思う。そのたびに俺はお見舞いに来て、熱で食欲がない拓斗のかわりにおやつを食べてやっていた。拓斗は熱を出すと、本当に何も食べなくなる。水すら飲むのがつらそうだった。それが、なぜかりんごジュースだけはすいすいと飲む。りんごジュースがあれば、苦い薬も平気で飲む。ぜんそくの時も、おたふくかぜの時も、水ぼうそうの時も(このときはお見舞いに来させてもらえなかった)病気と言えば、りんごジュースなのだ。 「拓斗、なんか口に入れとくか?」 「……りんごジュース」  熱にうかされていても、やはりりんごジュース。俺は吸い飲みにりんごジュースを入れて、口元に運んでやる。拓斗は一口ジュースを飲むと、熱のせいで乾いてしまった唇を湿すように、ぺろりとなめた。 「もっと飲んどけ」  拓斗は大人しく、こくりこくりと何回かに分けて、吸い飲みを空にした。 「よし、えらいぞ」  そう言って頭を撫でてやると、拓斗は微笑んで、目をつぶった。  そのままねむってしまったようだったったので、俺は一度家に帰り、泊まり込みの準備をした。美夜子さんのかわりに俺が看病するのは初めてのことではなく、小学校高学年から拓斗の部屋に泊って面倒を見るようになった。ほとんど毎日、拓斗の家で遊んでいたのだから、看病の仕方は見よう見まねで覚えた。そんな事情もあり、自宅で弟妹が熱を出しても、看病は俺の仕事になってしまった。けれど、弟妹の看病をするよりも、拓斗の看病をする事の方が圧倒的に多いのだけれど。  一日目、拓斗はほんとうにりんごジュースだけしか口に入れなかった。それだけ体がきつかったのだろう。薬もうまく飲めなくて、結局、寝て治すしかなくなった。おでこの冷却シートがすぐにぬるくなってしまうので、一時間おきに代えてやる。そのたびにりんごジュースを飲ませる。  細身で体重も軽い拓斗がもっと細くなってしまう、と心配で、せめてスポーツドリンクだけでもと口元に持って行ったが、無理だった。いっそのこと、りんごジュースに砂糖でも混ぜてやろうかと思ったが、それはぐっと我慢した。  二日目にはだいぶ熱も落ち着いてきて、普通に話せるようになった。口に入れるものもゼリーまでは飲み下せた。  話せるようになると、拓斗はわがままを言うようになる。小さい頃からのクセだ。これもずっと変わらない。内容はほんの可愛らしいことだ。頭を撫でてくれとか、絵本を読んでくれとか。中学生の頃、熱を出した拓斗に桃太郎を読んでやったことはいい思い出だ。 「手をにぎって」  今回の拓斗のお願いはそれだった。お安い御用だ。握ってやると安心したのか、すうっと眠りに落ちた。俺はそのまま手を握り続ける。  落ちついたと言っても、熱はまだ高めだ。拓斗の手が熱い。顔も上気してほんのり赤っぽい。額に浮いた汗を拭ってやり、冷却シートを触って冷たさを確かめる。もうそろそろ変えた方がいいな、と立ち上がろうとしたが、拓斗の手は俺の手をぎゅっと握りしめていて離さない。顔がほころぶ。俺はそのままそばについている事にした。 「ただいま……。拓斗、起きてる……?」  美夜子さんがそっとドアを開けて顔を出した。 「あ、お帰りなさい。今寝たところ」 「ありがとね、めんどうみてもらっちゃって。いつも助かります。……あらあら。手、離してもらえないのね、相変わらず。ごめんね、甘えん坊で」 「いえいえ」 「ついでに、このまま見ててやってくれる? 私もう限界で」  大あくびする美夜子さんにうなずきを返す。美夜子さんは入って来た時と同じようにそっとドアを閉めた。  俺はすることもなく拓斗の顔をじっと見ていた。かわいらしい顔だ。細めの眉、二重で大きな目、形の良い鼻と唇。顔全体は小さくて、細い体とバランスがとれている。色白で肌がきれいだ。  そっと頬を撫でてみる。熱のせいでうっすらと汗をかいていた。拓斗が細く目を開ける。 「拓斗、一度着替えよう。起きられるか?」  拓斗はぼんやりうなずくと、一生懸命、身を起こそうとする。俺は背中に手をかけ力を貸す。  拓斗のタンスからパジャマと下着を取り出す。今着ているパジャマを脱がせ、タオルで汗を拭いてやる。拓斗は起きているのか寝ているのかその半々なのか、されるがままになっていた。新しいパジャマを着せてボタンを留めてやると、一旦ベッドに寝かせ、膝を曲げさせる。腰を片手で持ち上げ、下着ごとパジャマを抜き取る。またタオルで汗を拭いてやって、下着を履かせる。ボクサータイプの下着を履かせかけて、ふとその場所に目がとまった。最近何かと関係が深くなったそれをまじまじと見つめる。小さい頃から知っているのに、なんだか急に違う生き物になってしまったような感じがする。  首を振って馬鹿な考えを振り落とし、拓斗にパジャマを着せ終わった。拓斗は目をつむっていてどうやらすでに眠っているようだった。布団をかけてやる。  手持ち無沙汰に拓斗の本棚から何か本を借りて読もうと思ったが、天体の本は専門書のようで難しくてどうにもならない。しかたなく、机の上に立ててある教科書を読む事にした。  国語の教科書を手にとり、ぱらぱらとめくっていると、一番後ろのページから何かがぽろりと落ちた。封筒だった。ピンク色で花柄模様。ハートマークのシールで封がしてある。表面には拓斗の名前が書いてあった。 (こ、これは……! ラブレター!?)  俺は思わず振り返って拓斗を見た。すやすやと穏やかに眠っている。封筒に目を戻す。差出人の名前はない。拓斗が女子ウケするということは知っていたが、まさかラブレターをもらうほどとは思ってもみなかった。  なんだか、もやもやした。 それから二時間ほどして、拓斗は目を覚ました。熱を測ると、38度まで下がっていた。 「お粥食べられそうか?」 「うん、食べる」  レトルトのお粥を湯せんして、拓斗の部屋に運ぶ。 「食べさせて」  俺は手慣れた動作でお粥をレンゲですくい、ふうふうと息を吹いて冷ましてから、拓斗の口へ運んでやる。拓斗は、あむ、とレンゲごとお粥を口に入れ、二、三度軽く噛んで飲み込む。それを繰り返していて、俺はいつもツバメのことを思う。巣の中でぴいぴい鳴いているヒナにエサを運ぶ親鳥。いつかはヒナも大きくなり、自分でエサを取るために飛び立つ。その時、親鳥はどんな気持ちでいるのだろう。嬉しいだろうか。寂しいだろうか。それとも俺がまだ知らない他の気持ちがあるのだろうか……。  拓斗はぺろりとお粥を食べてしまった。どうやらもう安心のようだ。  ここまで快復すれば一人で寝かせておいても大丈夫なのだが、俺はなんとなく去りがたく、拓斗を寝かしつけてもまだ帰る気になれなかった。  三日目、拓斗の熱は37度まで下がった。平熱が低い拓斗には、それでも辛い体温ではあるが、ふらつきながらも食卓で食事を取ることができた。それでもまだ甘えたい病は続いていて、お粥を食べさせて、りんごジュースを飲ませて、薬は苦いから嫌だ、などなどなどなど、とにかくすべてにおいてわがままを言ってみせる。俺は、はいはい、と片っぱしから聞いてやり、甘やかす。  普段はもう少し厳しくするのだが、今回はちょっと甘やかしたい気分だったのだ。登山の間、体調不良に気付いてやれなかったこと、親父さんのこと、それらが俺の甘さに拍車をかけている。それとなぜか、あの手紙のことが頭をよぎると、なぜか、言うことを聞いてやらなきゃと思う。 「歩けない。運んで」  背負って行こうとすると 「お姫様だっこがいい」  それも今回はやってやることにする。ひょい、と抱え上げると、拓斗は嬉しそうに俺に抱きついてきた。そのままベッドまで連れていき寝かせてやり、体を起こそうとしたが、拓斗が首に抱きついたまま離れない。 「おい、拓斗、手を離せよ」 「いや」  俺はため息をついて、聞いてやる。 「次はなんのお願いだ?」 「添い寝して」  そう言う拓斗の体を壁際に寄せ、その隣にもぐりこむ。どうせのこと、腕枕もしてやる。拓斗は嬉しそうにニコニコ笑いながら、俺の頬にキスをした。 「もうすっかり元気みたいだな」 「まだだよ。まだまだ。だからずーっと看病して」 「ずっとって、いつまでだよ」 「ずーーーーっと」 「ずーーーーっとじゃ、わからないだろ? 今週中?」 「もっと」 「夏休み中?」 「もっと」 「一年中?」 「二年も三年も四年も五年も、ずーーーーっと」  俺はふと笑う。 「そんなにずーーーっと病気じゃ困るだろ。早く良くなれよ」 「ん……。そうする。でも今日も泊まって」 「わかったよ」  拓斗は嬉しそうに笑って俺に抱きつく。俺も拓斗を抱きしめてとんとん、と背中を叩いてやる。そうやってしばらく添い寝していると、拓斗はまた眠ってしまった。  三年も、四年も、五年も……。そのころ俺たちは何をしているんだろう。何を考え、どんな人と出会い、どんな人生を歩んでいるだろう。  その時、俺は拓斗と共にいるだろうか……。  考えてみても答えが出るわけはなく、俺は拓斗の隣で目をつぶった。  唇になにかがあたる感触で目が覚めた。目を開けると、拓斗が俺にキスをしていた。  ぺろりぺろりと唇を舐められている。口を開き、拓斗の舌を舐め返す。拓斗はびっくりしたようすで顔を離した。 「おはよう。元気そうだな」 「うん、お陰さまで元気になりました」  そう言って、また唇を落とす。俺はキスに応じる。キスはだんだん深く激しくなり、拓斗の両手が俺の首に回される。俺も拓斗の体に手を回す。  拓斗がふと顔を離す。 「どうしたの? なんか積極的じゃない?」 「なんだよ、積極的って」 「なにかあった?」  なにか、に該当することがたくさんあるような気がする。でもそれらは明確な言葉にはならず、俺は黙ったまま拓斗の唇を吸った。拓斗がキスをしたまま俺の服を脱がせようとする。 「おいおいおい、病人が何をしてるんだ」 「もう治ったよ」 「うそつけ。まだ体ぽかぽかしてるぞ。ほら、体温はかれ」  体温計を脇にはさませている間も拓斗はキスして離れない。電子音が鳴る。見てみると、体温は36度台まで下がっていた。 「ね。平熱でしょ」 「……まあ、いつもよりは高めだけどな」 「じゃ、いいよね」  俺に襲い掛かる両手を握って封じる。 「治りかけに無理したらぶりかえすだろ。大人しく寝てろ」 「無理だよ、だってこんなだよ」  拓斗が俺の手を股間へ導く。そこは硬く熱くなっていた。俺は頭を抱えたい衝動に駆られたが、なんとか踏みとどまった。 「ね、だから」 「だめだって、汗かくような事は」 「じゃあ! 手でして。お願い」  ここ三日で、俺は拓斗を甘やかすことに慣れてしまっていた。拓斗のわがままは何でも聞いてやっていた。拓斗が良くなるまで面倒をみると決めていた。  だから、これはしょうがない事なんだ。  下着ごとパジャマを抜き取る。体を拭いてやった時と同じ行動なのに、なぜかどきどきしてしまう。下着の履き口が、一部分にひっかかる。そこは、病気だったとは思えないほど元気だった。  そっと両手で包みこむ。芯があって、外側をぬめる袋で包まれているような感触のもの。下から上へそっと撫でる。ぴくぴくとそれは震える。  根元から先の方へ。先端部分からぬるっとした液体が滲み出す。それを手に塗りつけ、全体に塗り広げる。そうして何度も撫でさする。  拓斗は赤い顔をして目を閉じている。熱のせいか、興奮のせいか、恥ずかしがっているのかはわからない。  片手は撫でさする動きを続け、片手は先端をくりくりといじる。ぴくぴくと跳ねる回数が増える。 「拓斗、気持ちいいのか?」 「うん。すごくいいよ。気持ち良すぎて死にそう」  ふっと笑う。 「死ぬなよ、こんなことで」  撫でさする手に力を込め、きゅっと握り込むようにして、上下にこする。拓斗の呼吸が早くなる。くちゅくちゅという音がする。  俺は手を止めず、さらに速度をあげる。 「--っ」  息を吸うような吐くような小さな声をあげ、拓斗は白濁したものを俺の手に吐き出した。  荒い息を吐く拓斗を見下ろしながら、俺はそれをぺろりと舐めてみた。それはほんの少し、甘いような気がした。  拓斗のわきに添い寝したまま、恐る恐る聞いてみた。 「あのな、さっき国語の教科書借りようと思ってめくってたんだけど……。あの、あれさ……」 「ああ、見たんだ、手紙」  拓斗はさらりと言う。怒る様子も驚く様子もなかった。 「断りはしたんだけどさ、ああいう手紙って捨てていいのかどうしたものか迷っちゃって。そのまま放置してた」 「断ったって……。なんで」  拓斗が俺の方に体を向け、俺の目を見つめる。 「なんでだと思う?」  俺は返事をすることができない。答えてしまったら、なにかが壊れてしまうような気がして。なにかが変わってしまうような気がして。何かを捨てる事になるような気がして。  何も答える事ができなくて、俺は黙って、目を閉じた。

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