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第10話

「僕、ユーミン好きなんだ」 「へえ。どんな曲があるっけ」 「ほら、魔女の宅急便の主題歌とか」 「ああ、あれね」  夏休みのいいところは、平日に遊び歩けるところだ。あたりまえだが。  平日の昼下がりと言うのは、まったく優遇されている。ボーリング場もネットカフェも夕方以降に比べて昼の値段のなんと安い事か。もちろん、カラオケもだ。  そんなわけで俺と拓斗は小銭だけをもって近所のカラオケ屋に向かっている。その店はランチパックと言うメニューがあり、ランチとカラオケ一時間込みでワンコイン、500円なのだ。しかもランチ時間が午後4時まで。だらだらと昼まで寝続けてから出発しても安心な時間設定だ。  しかし、俺たちはそんな生ぬるい奴らとは違う。開店時間と同時に入店するため、規則正しい時間に起きて、早めに待ち合わせ、元気に歩いているところだ。理由は簡単。夏休みはどこだって混むのだ。    だが俺たちの読みは甘かった。11時開店の店に11時10分についたのに、すでに空室待ちの列ができていた。これから一時間、俺たちはロビーで待つ。ただ救いなのは、料金を前払いしておけば待っている間もドリンクバーが使えるというところだ。  俺はコーラ、拓斗はアイスカフェラテを飲みながら、順番を待つ。 「俺は湘南の風とか歌う。うちの母ちゃんの好みで、歌わされる」 「あ、わかるそれ。僕も美夜子さんに中島みゆき歌わさせられる」 「中島みゆき!? 渋いな、美夜子さん。女性の歌ってキー合うのか?」 「かなり低めだよ。TOKIOが歌ってる曲もあるし」 「TOKIOってなんだっけ?」  どうでもいいことをだべりながらのんびり待つ。ロビーには丸テーブルに椅子が四脚というセットが8つあり、どのテーブルも満員で、俺たち二人組は遠慮して小さくなって座っていた。 「あ、元香ちゃん」  拓斗の声に、入り口の方を見ると、元香と橋詰が受付をしているところだった。 「あ、ほんとだ。おーい、橋詰、元香」  俺が立ち上がり手を振ると、二人はこちらへやってきてテーブルについた。 「橋詰、めずらしいな、今日練習は?」 「もう終わったよ。今日、光化学スモッグ出たの知らねえの?」 「え、そうなんだ。普通に歩いてきたよ」  俺と橋詰が話していると、元香が拓斗に話しかけた。 「ねえねえ、二人はデートなの?」 「そうだよ」  拓斗があっさり答える。元香はムッとした表情で言葉を継いだ。 「夏休みなのに、あなたたち、他の友達と遊ぶとか何かないの?」 「あんまり予定にないね」  俺は拓斗の方からブリザードが吹いてくるのを感じた。 「そちらこそ、デート? 橋詰くんとお付き合いしてるの?」 「してません!」  俺のそばで二人の会話に聞き耳を立てていた橋詰が、がっくりと肩を落とす。 「おい、橋詰、しっかりしろよ」 「いや、俺はもう駄目だ。放っておいてくれ……。しかも俺、音痴なんだ……」 「じゃあ、どうしてカラオケなんかに……」 「だって元香ちゃんが行きたいっていうから」 「私が何?」  後ろから剣呑な声がした。橋詰は顔をひきつらせて言葉も出ない。俺はため息交じりにフォローしてやることにした。 「元香は歌うまいよな、って話」 「そうね! けっこう自信あるわね!」  やや背を張り気味にして元香は胸を張る。 「僕もうまいもん」  拓斗がぼそりとつぶやいたのは俺にしか聞こえなかったようだった。    順番が来て、俺と拓斗は602号室に案内された。6階には601号室から603号室までしかなく、601と603から、とても残念な歌声が響いてくる。外にこれだけ響くなら、俺も気をつけて歌おう。こぶしをぐっと握りしめた。  部屋に入ると、俺はそうそうにランチメニューを広げて見始めたのだが、拓斗はいきなり選曲を始めた。 「拓斗、メシは?」 「あとで!」  ものすごい勢いで中島みゆきを数曲入力して歌い始める。拓斗をしり目に俺はインターフォンで注文を入れる。 「あ、すみません、ハンバーグカレーひとつ。お願いします」  たしかに、拓斗は歌がうまい。けれど『わかれうた』『ひとり上手』『ひとりぼっちで踊らせて』。ハンバーグカレーを食べながら聞くには、少々、その歌たちは重たかった。 「ああ、すっきりした。マイクどうぞ。僕もご飯たのもうっと」  異様にスッキリした顔で、拓斗は鶏と水菜の和風パスタを注文している。俺は、ためしに女性アイドルグループのヒット曲を選曲して裏声で歌ってみた。 「あはははは。似合ってるよー」  よかった、いつもの拓斗だ。「なにそれ、ばかじゃないの?」なんてイライラまじりに言われたらどうしようかと思っていたのだが、杞憂だった。  その後は、ゆっくりランチを堪能している拓斗のじゃまにならないような当たりさわりのない曲を三曲ほど歌ってマイクを交代。あとは一曲ずつ交代かな……と思っていると、俺が歌い終わっても拓斗は曲を選んでいない。 「次、歌わないの?」 「うん、どんどん、どうぞ」 「?」  お言葉に甘えてどんどん歌う。拓斗はなぜか俺をじっと見ているだけで動かない。  と、思っていたら、つつつ、と俺の隣に移動してきて、ことん、と膝に頭を乗せ俺を見上げた。 「拓斗、なにしてんの?」  思わずマイクに向かって喋ってしまい、あわててマイクのスイッチを切った。 「歌ってていいのに」 「いや、気になるだろ。眠いの? 気分悪い?」 「ううん、大丈夫だよ。ただ、喉仏が」 「は? のどぼとけ?」 「うん。喉仏が動くの、セクシーだなって思って」 「げほ! がほ! ぼへ!」  俺は思いっきり咳き込んだ。拓斗は「大丈夫?」と言いながら背中を撫でてくれたが、それでも膝から頭はどけない。  拓斗は俺の背中を撫でながら、喉仏にも手を伸ばしてくる。 「げほがほ……! やめ……、のどさわるな…げほ!」  喉仏をさわられると咳が止まらない事を初めて学んだ。しかし拓斗は触るのをやめてくれない。 「やめ……げほがほ」  俺が咳き込むのが面白いのか、拓斗は喉を撫でつづける。俺は力づくで拓斗の手を喉から引き剥がした。拓斗はにこにこしながら俺にお茶を取ってくれた。  俺はそのお茶を飲みながら、礼を言っていいのか、文句を言っていいのかわからず、ただ空咳を続けた。その間に俺が入力した曲はぜんぶ終わってしまった。 「……歌わないのか、拓斗」 「うん。見てるだけでいい」 「喉仏を?」 「喉仏もいいけど、口元もいい」  そう言って拓斗は俺の唇に手を触れる。俺がコントローラーに手を伸ばそうとしたら、拓斗は俺の膝の上に乗っかって来た。 「……拓斗?」 「僕のことは気にせず、どんどん歌って」  俺の目の前に鎮座して、ぬけぬけと言ってのける。  それならば、と俺は左手で拓斗を抱きかかえ体を傾けて、右手でコントローラーを操作して入力する。  曲のイントロが始まると、拓斗がキスしてきた。  目の前いっぱいに拓斗の顔。それよりなにより、口をふさがれては歌など歌えない。  俺は心の中でため息をついて、両手で拓斗を抱きしめると、触れるだけだったキスを深くした。拓斗の舌を口中に招きいれ、舌を絡め唇でマッサージするように挟む。拓斗も俺にしがみつき、俺の舌にむしゃぶりつく。俺の腹に硬いものが押しあてられる。 「……しよ」  拓斗に言われ、俺は困惑する。嫌じゃないのだ。こんな場所なのに。いつだれが入ってきてもおかしくない、こんな場所なのに。今、ここで、俺は拓斗がほし…………。  けたたましくインターフォンのベルが鳴った。  俺は拓斗を膝から下ろすと、受話器を取った。   「延長したかったな……」 「無理だろ。すごい並んでたじゃないか」 「最初からフリータイムにすればよかったね」 「500円しか持ってなかったじゃないか」 「今から、うちに帰ってお金取ってくる?」 「……そこまでして歌いたいのか?」 「う~~ん。喉仏を見ていたいかな」 「そんなのうちででもいいだろ」 「そうだね。久しぶりにお邪魔してもいい?」 「ああ。じゃ行こうか」  俺の家は拓斗の家から徒歩5分と離れていない。俺たちの母親どうしが幼馴染みで親友だったため、俺と拓斗は産まれた時から互いの家を行き来している。  小学生くらいまでは仕事をもっている美夜子さんが留守の間、拓斗が俺の家で過ごすことが多かったが、中学校に上がった頃から親の目がない拓斗の家に俺がたずねていくことが増えた。  親の目を盗んで密会、と言ってもとくに悪いことをしたわけではないが。 「ただいま」 「おじゃまします」  拓斗を連れて玄関をくぐると、母が台所から顔を出した。 「あら、めずらしい拓斗くん、いらっしゃい」 「おひさしぶりです」 「まあまあ、少し見ない間に身長が伸びたんじゃない? うちのが背で追い越されてからしばらくになるけど」 「母ちゃん、いいからほっといて。拓斗、部屋行ってて」 「うん。おばさん、おじゃまします」 「はいよ、ごゆっくり」  俺はあーだこーだそーだどーだ言う母を放っておいて冷蔵庫から麦茶のボトルとマグカップを二つ持って自分の部屋に向かう。俺の部屋は二階の六畳間で、一応フローリング。のわりに床に布団を敷いて寝ているのは、その方が体幹が鍛えられるという噂を聞いたからだ。  部屋のドアを開けると、妹が部屋に入り込み、拓斗に絡み付いていた。 「こら、秋美、勝手に人の部屋に入るな」 「勝手にじゃないもん。拓斗くんと一緒に入ったもん」 「拓斗くん、って言うな。拓斗お兄ちゃん、だろ」 「そんなのお兄ちゃんが勝手に決めないでよ! ねえ、拓斗くん、拓斗くんって呼んでもいいよね?」 「僕は構わないよ」  妹は、ふふん、どうだと言わんばかりの顔をする。 「じゃ、秋美も一緒に話そうか。今から兄ちゃんの野球熱について語り合う予定なんだ」  妹は顔色を変えて逃げだしていった。 「秋美ちゃん、野球嫌いなの?」 「いや、俺が暑苦しく語るのが嫌いらしい」  拓斗はくすくす笑いながらも同情してくれた。  結局、俺は野球について熱く語り、拓斗は俺の膝に寝転がってそれを聞き(喉仏を見ていただけかもしれないが)俺は時たま拓斗の頭を撫で、拓斗は猫のように目を細め、いつの間にか俺を抱きしめていた拓斗とキスをして、なんとなく夕暮れ時に、拓斗は帰ることになった。  なんとなくそこまで送って行こうかな、と思いながら玄関へ向かうと、 「外に出るならお味噌買って来て」  という母の号令で、拓斗も一緒にスーパーに行くことになった。 「ちょうどいいから材料を買って帰って夕飯を作ろうかな」 「美夜子さん、夜勤なのか?」 「ううん、でも遅くなるって言ってたから」  そう言って、拓斗は二人分の材料をカゴの中に入れていく。俺は味噌を手に後からついて行く。拓斗がはじけるような笑顔で振り返った。 「ね、こうやって買い物してると、新婚さんみたいだね」  俺は、一瞬あっけにとられた。拓斗はその間を不満に思ったのか、頬をぷくっとふくらませた。俺は拓斗のほっぺたをつんつんとつつく。 「そうだな。二人暮らしみたいだよな」  拓斗はにこぉっと笑い、俺はその笑顔につられて笑い、俺たちはにこにこと買い物を終えた。  拓斗の家の前まで来て、俺たちはなんとなく離れがたく、いつまでもそこに立って、たわいない話を続けた。今日のカラオケのこと、橋詰の恋の行方、美夜子さんの酒豪エピソード、うちの妹の成績表のひどさ。どれくらい話しても、話し足りないような気がした。 「……うち、寄っていく?」 「いや、味噌かかえてより道はないだろ」 「……今日、泊まりに来る?」 「こないだ泊まったばっかりだろ」 「……明日も、あそぼ?」  言葉を返すごとに、拓斗の顔はだんだんと下を向き、最後には地面を見つめるほどになってしまった。 「……ああ。また明日な」  拓斗は顔を上げ、にっこりと笑った。  うん、やっぱり拓斗はその顔が一番いい。  明日の約束は、今日を生きる糧になる。一人の夜を越える力になる。何度でも約束しよう。 いつか約束を裏切る日が来るかもしれない。 でも、俺はまた約束するよ。 拓斗のそばにいるって。

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