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第11話

「おじゃましやす」 「こんちは」 「おー。いらしっしゃい」  玄関先で橋詰と山本を出迎える。ともに野球部の二人は焼き過ぎて炭になる直前のトーストみたいな肌色になっていた。 「あ、山本君だ、ひさしぶりー」  俺の後ろから拓斗が顔を出し、挨拶する。 「おーす。今日は拓斗大先生のお力を借りに来ました!」 「おれも、お力を借りに来ました!」 「あはははは。二人とも面白い。どうぞ、あがって」  招かれて二人は靴を脱いで拓斗の部屋に向かう。俺も後からついていく。  夏休みもあと一週間。  野球漬けだった橋詰達と、だらけていた俺は、宿題と言う二文字をやっと思い出し、大慌てで教科書のページをめくってみたところ、一学期のことなど完全に脳みそからすっぽ抜けているということを発見し、それぞれ拓斗に電話することになったという次第だ。  拓斗は小学生のころから優等生だった。クラスで一番頭が良くて、宿題を忘れたことがなく、毎年かならず委員長をやらされる。ただ一つ、体育だけは苦手だったが。  そんな拓斗は、もちろん宿題なんぞは夏休みが始まって一ヶ月もたたないうちに終わらせてしまっていた。俺たちはそのノートを、ちょーーーーーっと覗かせていただこうというわけだ。決して、まる写ししようなどとは思っていない。  拓斗の部屋でノートを広げる。拓斗のノートは几帳面な文字でぴっちりと空間が埋められ美しいと言えるほどだ。俺たち三人は各自のノートを引っ張り出し、教科ごとに割り当てて拓斗のノートを分けあった。 「小論文はどうするんだ?」  山本の質問に拓斗が答える。 「テーマさえ決めたら、僕が手伝ってあげられると思うよ」  拓斗さま―、拓斗さま―、と俺たちは拓斗信者となって足元にひれ伏した。  俺が真っ先に借りたノートは国語。  現代文、古文、漢文、ちんぷんかんぷんだ。教科書をひらいても、じつはまったく理解できなかったのだ。ここはもう、いさぎよくまる写しだ。  橋詰は数学、山本は物理を、やはりそれぞれまる写ししているらしい。  俺も負けじと鉛筆を動かす。  そうやって腕を動かし続けて一時間。どうにもこうにも右手が痛くなってきた。ノートから顔を上げ、右手をぶんぶんと振る。 「ちょっと休憩する? 飲み物でも持ってくるよ」 「あ、俺も手伝う」  席を立った拓斗にくっついて俺も台所へ向かう。 「ねー。ほんとに君たちはまる写しだね。そんなんじゃ学期初めの試験、点数ひどいと思うよ」 「俺も、それはそうだと思う。しかしそれは、今からではどうにもできない問題だとも思う」 「もう。あきらめが早過ぎるよ」  ぶつくさ言いながらも、拓斗は毎年、宿題を写させてくれる。小学校一年からずっとだ。現在の俺はその恩恵のおかげでここにいると言っても過言ではない。  拓斗は冷蔵庫からオレンジジュースのパックを取り出しながら、ぶつくさ言う。 「もう、早く写し終わってほしいよ。僕、する事なくてヒマなんですけど」 「お前がそんな事言うの、めずらしいな」 「だって……。この一週間、会えなかったから、二人きりになりたいと思っちゃうんだもん」  そう。俺は先週からサポーターが外れ、リハビリに通っている。そのため拓斗の家に入り浸ることがなかったのだ。それが拓斗には業腹だったらしい。俺はぽりぽりと鼻の頭をかき、知らぬふりをしてみた。 「……昼間はリハビリしても、夜は遊びに来てくれてもいいじゃない」 「夜は宿題とかいろいろあるだろ」 「……まる写ししているくせに」  反論はまったくできない。俺はぐう。っと言葉に詰まり、顔を背けた。 「……ばか」  そう言うと、拓斗はジュースをもって先に行ってしまう。俺はグラスが乗ったお盆を抱えて後にしたがう。  ここ一週間、会いたくなかったわけじゃない。けれど、なにかが俺の足を止めたんだ。拓斗に会いにこようとするたびに。  二人きりで会ってしまったら、何かが変わってしまうような気がして。 「現代文、おーわりー。次、地理貸して」 「お、こっちは数学貸して」 「地理あと十分待って」  俺と橋詰と山本は忙しく手を動かしているが、拓斗はどうにも手持無沙汰だ。さきほどから雑誌をぺらぺらとめくってはいるが、気が入らない様子でちらちらと俺の顔を見ている。俺はノートに顔を埋めるようにしてその視線から逃げる。  地理のノートを写し終わり、橋詰に渡した時、股間に違和感を感じた。 「?」  見下ろすと、拓斗の足が俺の股間に乗っかっていた。拓斗の顔を見ると、にやりと悪い笑みを浮かべる。他の2人はノートに集中していて気付いた様子もない。  拓斗はその足をぐにぐにと揉むように動かす。 「っーーー!!」  思わず腰を引くが、拓斗はその長い脚を駆使して俺の股間を追い続ける。もぞもぞと尻を動かして逃げようとするが、拓斗の足は執拗に追いかけてくる。俺はじょじょに追い立てられて、だんだんと顔が赤くなってきている事に気付いた。 「おい、大丈夫か」  横合いからかけられたことばにビクッと身がすくむ。拓斗の足も一瞬、動きを止める。山本が心配げな顔で続ける。 「トイレいきたいなら我慢すんなよ」 「あ、ああ。うん、そうだな。そうだ、トイレいってくるわ」  俺は天の助けかと思うほど山本の言葉に感謝して席を立つ。 「あ、トイレットペーパーきれかけてたんだ。僕もいっしょに行くね」  そう言って立ち上がった拓斗がニヤリと笑ったところを、山本も、橋詰も、ノートに夢中で見ていなかった。 「トイレットペーパーがある場所なんか知ってるって」 「でも、用を足した後に紙がないって気付いたら大変でしょ。出しておいてあげるよ」 「???? おう……。ありがと」  なんとなく釈然としないまま、俺は拓斗の言葉を一応、親切と受取っておいた。拓斗は納戸からトイレットペーパーを取り出し(そこに何が入っているかは俺もよく知っている)、トイレのドアを開け、トイレットペーパーを交換し(そんなことは俺も何回もやったことがある)、トイレのドアを大きく開けて満面の笑みで振り返った。 「はい、お待たせしました。どうぞ」 「……ありがとう」  その無意味な満面の笑みが、なんかこわい。  俺はびくびくしながら拓斗の前を通り、トイレに足を踏み入れる。ばたん、と言う音がして、拓斗がドアを閉めてくれたことが分かる。腰に回された手で、拓斗がトイレに一緒に入って来たことが分かる。 「……あの、拓斗さん? 一緒に入ってこられると用を足せないんですけど」 「僕のことはかまわずに、どうぞ」 「いや、あの。腰を離してもらわないと……」 「あ、そうだよね。ズボン下ろせないよね。僕が下ろしてあげるね」 「いや、下ろさなくても、ってちょっと! ほんとにやめてっ……」  拓斗は俺のカーゴパンツをずるっと引きずりおろし、俺のものを、むんずと掴んだ。 「さあさあ。どうぞどうぞ」 「いや、どうぞじゃなくて! こんな状況でできるわけないだろ!」 「そんな細かいことは気にしないで。さあさあ、出しましょう、出しましょう」  そう言って拓斗は俺のものを根元から先に向けて扱きだした。 「ーーっ! やめっ!」  なぜか、先ほどまではなかった尿意が起こってきて、拓斗の手の中のものが、一際ちぢんだような気がする。拓斗はそんなことお構いなしで揉み続ける。 「やっ……。無理だって!」 「そう? じゃあ、こっちはどう?」  指が俺の体内に挿しこまれる。久々の感覚に、体が大きく反応する。びくん、と跳ねた俺の体を、拓斗はぎゅっと抱きしめる。 「あいたかったんだよ」  拓斗が耳元でささやく。俺はその感触にピクリと体をふるわせる。 「君にふれたかったんだ」  言葉だけで、俺はぴくぴくと震える。耳から入る拓斗の声が、俺の中心をとろかすようだ。  縮こまっていたものがむくむくと立ち上がる。拓斗はそれを、そっと撫でる。俺はもっと強くさわってほしくて、せつなくて、拓斗の腕をぎゅっと握った。  拓斗はその手に答えるようにゆるゆると扱き始めた。体内に入った指も前後に動き始め、俺は声を押し殺す為に唇を噛んだ。拓斗はそれを見ぬいたのか、耳朶を噛んでくる。ぞくりと背筋に電流が走る。身をのけぞらす。拓斗の舌が耳に首にうなじに、と俺の弱いところばかりせめてくる。両手は俺のイイ所を往復する。もう、たまらなかった。  爆発した俺の精を拓斗の指が掬いとり、俺の口へ運ぶ。  少し生臭く、粘るそれを唇を割り入れて俺の舌に擦りつける。俺は自分で自分のものを味わう。苦く生温かく、体毛が逆立つように感じた。一度口にした拓斗のものとはくらべものにならないほど酷い味だった。  ずるりと指を引き抜かれ振り返ると、拓斗が俺の精がついた指を舐めとっていた。 「やっ、やめろよ、そんなまずいもの!」 「なんで? おいしいよ」 「うそ、まずいだろ……」 「甘くておいしいよ」  拓斗はにっこりと笑う。  そうだ。  拓斗が言うなら、そうなのだろう。俺が拓斗のものを甘いと感じたように、拓斗は俺のを甘いと感じるのだ。 「じゃあ、ごゆっくり。僕は先にもどるね」  いい笑顔のままそう言って、拓斗はトイレから出ていった。  ため息、ひとつ。  なんだか俺は、踏み込んではいけないところに踏み込んでしまったみたいだ。いや、そんなことはもうとっくに起こっていたのに、気付かないふりをしていたのだ。俺はしゃがみ込んで、口のわきに残った自らの精を拭き取った。  拓斗の部屋に戻ると、山本と橋詰はすでに宿題をすべて終わらせていた。 「あれ!? 二人とも早いな」 「なに言ってんだよ、お前が遅いんだよ。なんだ、下痢か?」 「それとも便秘かだな」 「ばっ、ちっげーよ」 「違うなら三十分もトイレに籠らないだろ」 「え、俺、三十分も入ってた?」 「尻がしびれてないか?」 「うるせえよ」  軽口をたたき合いながらも、橋詰と山本は帰り支度をちゃくちゃくと進めている。 「え? 二人とも帰るの?」 「ああ。ラブラブ夫婦の邪魔したら悪いからな」 「それにこれ以上教科書もノートも見たくない。アップアップだ。外の空気を吸いたい」  気持ちはわかる。俺ももう文字を追うのはいっぱいいっぱいだった。 「じゃあな、拓斗、ほんとにありがとな。この礼はいつか返す」 「おれも、何かあったら言ってくれ。力になるから」  拓斗はくすくすと笑う。 「もう、二人ともそんな真面目な顔しないでよ。おかしいよ」  くすくす笑い続ける拓斗に見送られ、二人は帰っていった。取り残された俺は一人でノートに向かった。俺の正面に座った拓斗の足が、俺の股間に乗せられる。 「拓斗さん? 勉強にならないんですけど」 「勉強なんかしていないよね。まる写しでしょ」  たしかに仰る通り。俺は諦めてシャーペンを置いた。  拓斗は嬉しそうに笑いながらずりずりと床を這って俺に近寄ると、俺の膝に頭を乗せた。俺は拓斗の髪を撫でてやる。さらさらの感触。ずっと長いこと触っていなかったような気がする。拓斗の頬を撫でる。するりとした肌ざわり、やわらかな弾力。拓斗は俺の手を取ると、その手にちゅっとキスをした。 「君の手が好きだ」  拓斗が言って、俺の手を抱きしめる。俺はもう片方の手で拓斗の髪を撫でつづける。拓斗が俺の腕に頬ずりする。俺は拓斗の手をぎゅっと握る。拓斗は俺の顔を見上げる。 「ずっと一緒にいよ」  俺は答える事ができない。目をそらす。拓斗の顔が下を向いたような気がする。ぎゅっと俺の手を抱く力が強くなる。  ふと拓斗の手から力が抜ける。拓斗の顔を見下ろすと、拓斗は寂しそうに笑っていた。そうして黙ったまま俺から体を離す。膝からふっと体温が消える。俺はそこに何か大事なものがあった気がして、それを失ってしまうような気がして、手を伸ばした。  拓斗の腕を掴み、抱きしめる。拓斗は身をよじって逃れようとするが、俺は離さない。 「どうしてだきしめるの?」  俺は答えられない。 「抱きしめてどうしたいの?」  俺は答えられない。  拓斗は俺の腕に手を這わせ、ゆっくりと撫でる。 「僕のこと、ずっと抱きしめていてくれる?」  俺はゆっくりと拓斗を抱いていた腕から力を抜く。  拓斗は俺の手を追いかけるように手を伸ばしたが、それを掴む前に手を下した。しばらくうつむいてじっとしていた。  急にくるりと振り返って、にっこりと笑う。 「ねえ、宿題、まだ終わってないでしょ? 明日もうちに来てよ。一緒に宿題しよ」  俺は苦笑いして答える。 「一緒にて言っても、お前はもう全部すんでるじゃないか」 「うん。だから僕は監視するよ。居眠りしたり、変な妄想しないようにさ」 「変な妄想ってなんだよ!」 「変な妄想は変な妄想だよ」 「しねえよ! そんなこと」 「うそだあ。ぜったいしてるよお」 「してないって」  馬鹿なやりとり。楽しい口げんか。こんな気持ち、忘れていた気がする。俺たちは、ずっとこんな関係だったのに。なぜか心の底がもやもやする。それはデジャヴに似ている。この先、何が起きるかよくわかっているのに、同じ行動を繰り返すしかない。そんな状態。  俺たちは、その一点に向かって収束していっているのかもしれない。  人の気持ちにも決壊があるのだとしたら、それはすぐ近くにある。  そんな気がしていた。

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