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第13話
茅島町立茅島高等学校は、坂の上にある。
俺たちが通うこの高校は山裾の杉木立のそばにあり、春は花粉症の生徒から唾棄される立地だが、夏は涼しく、運動部の者からの評価は高い。俺も毎日バリバリと野球をやっていた日々には「中学と違ってバリ涼し~!」とのたまっていたが、ここ一カ月、運動不足な不摂生を続けてきた体には、登校時のこの坂道はかなりきつかった。
「なーに、だらだら歩いてんの?」
後ろから声をかけられ振り返ると、元香が自転車を押しながら坂を上って来ているところだった。
「俺はもうだめだ……。俺の屍を越えて行け……。ぐっはあ」
「うわ、キモ。やめてその顔。汗臭そう」
「……お前、ほんと容赦ないよな」
「いったい何を容赦してあげればいいのか想像もつきませんわね」
元香は自転車を押しながら俺の横に追い付いてくる。
「ちょっと、本当にそんなテイタラクで野球部に戻れるの?文化部に編入した方がいいんじゃない? 華道部とか」
「いや、文化部はまだわかるけど、なんで華道部なんだよ」
「あんたに一番足りてないものがウツクシサだからよ」
「きっついなあ! お前は優しさを養える部活を選べよ」
「私は栄光の帰宅部員ですから! 放っといてくださる?」
俺らは軽口をたたき合いながら校内に入る。
「じゃ、またね」
「おう」
駐輪場に行く元香と別れたところに、グラウンドから橋詰が猛烈な勢いで走って来た。
「もとかちゃん!!」
叫んで目の前を走り去ろうとする橋詰を襟首をひっつかまえて制止する。
「ちょっと待てって。お前、朝錬終わったばっかりだろ? 汗、臭う。元香にギュウギュウ言わされるぞ」
「うっそ! やっば。ちょ、制汗剤ないか、エイトフォー的なやつ!」
そんなものあるわけもなく、橋詰はグラウンドに設置された水道で頭から水をかぶり、汗を落としながら話しつづけた。
「なんでお前が元香ちゃんと一緒に登校してくるんだよ!」
「すぐそこで会ったんだよ」
「ずるいぞ、お前だけ! 俺だってばったり出会いたいぞ!」
「無理だろ。朝錬あるじゃないか」
橋詰は蛇口を閉めると、ぶるるん、と犬のように頭を振って水気を飛ばす。
「うわ! やめろ、水を飛ばすな!」
「元香ちゃーん、教室まで一緒にいこー」
叫びながら駐輪場へ走っていく橋詰の後ろ姿を「けなげなヤツ……」と言って見送って、教室へ向かった。
教室はすでにクーラーが入っていて天国に足を踏み入れたかと思うくらい足取りが軽くなった。夏の太陽は、絶対に質量をもっている。太陽の重みが頭の上にのしかかって来ているんだ、俺には分かる。
抱えてきたぺらぺらの何も入っていないカバンを机の上に置く。始業式なんてただ突っ立って話を聞くだけなんだからカバンなんかいらないだろうとは思ったのだが、慣れというものは恐ろしく、カバンなしで外出しようとすると、忘れ物をしたような気がして落ちつかず、結局からっぽのまま持ってくることにした。
席についてぼーっと外を見る。今日も気が狂いそうなほど晴れている。グラウンドには野球部の山本と菊田が整備している姿が見える。俺も今日の放課後から、野球部の練習に戻る。夏に置き去りにされたぶん、気合い入れないと秋の大会でベンチにも入れてもらえなくなる。
「あら、早かったのね」
元香が隣の席に座る。ごちゃごちゃとアクセサリーやらストラップやらキーホルダーやらがついた重そうなカバンを机のわきに掛ける。
「元香が遅かったんだろ。寄り道でもしてたのか」
「うん。ちょっとね」
橋詰と出会ったことはなんとなく黙っておいたが、元香の「ちょっと」は橋詰にとって良いほうなのか悪い方なのか。
まあ、どちらにしても決定的な出来事にはなっていないようだ。なぜだか安堵する。
「今日、席替えだわね。やっとあんたの隣から離れられるわ」
「そりゃよかったな」
微妙に剣呑な雰囲気におちいってしまったところに担任がやって来た。助かった。
始業式は暑い体育館に移動して、ながいながい校長先生の講話を拝聴する。俺はまだ入学式とこの始業式でしか校長を見た事がない。ほんとうにこの学校の人間なのか怪しいものだと思っている。
教育委員からの派遣か、もしくはダブルワークで、平日は農作業でもしているのではないかと思う。
クラスごとに男女二列に並び、直立の姿勢を取らされる。額に汗がにじみ、ズボンが太ももに貼りつく。せっかく教室で冷えた体が再加熱され、不快濃度が急上昇する。
校長の話は相変わらず要領を得ず、句読点がついているのかいないのかわかりにくい文章で喋る。よくもまあ原稿もなしにあれだけ長い文章を喋り続けられるものだと感心する。
暑さにまいって手で顔をあおぎながら辺りを見回すと、四列隣の二列前に拓斗の頭が見えた。なんだかまた背が伸びているみたいに見える。気のせいか? 俺のひがみか? 拓斗の隣のおさげ女子が小さくて、その対比なのか?
どうでもいいことを考えていると、拓斗の頭は時おりふらふらと揺れ、肩が落ちるほど姿勢が悪い。気分でも悪いのだろうか。
と思っていたら、拓斗の頭が視界から、ふっと消えた。おさげ女子が小さく「きゃっ」と叫ぶ。
「拓斗!?」
列を割って駆け寄る。拓斗は床にくず折れていた。しゃがみ込んだだけで意識はあった。
「おい、だいじょうぶか、拓斗」
「う、うん……。ちょっと眩暈がしただけ」
拓斗のクラスの担任がやって来た。野球部の顧問もしているその女性教師は
「ほんとに君は宮城君の保護者みたいね」
と半ばあきれたような声で俺に拓斗を預けた。
拓斗に肩を貸して、保健室へ向かう。体育館を出ると、真夏日の炎天下だというのに涼しく感じた。どれだけ体育館が暑かったかよくわかる。拓斗が倒れたのも無理はない。校長の話はまだまだ終わりそうもなく、この調子ではドミノのように生徒達が倒れていくかも知れない。
保健室につくと、ひんやり涼しいその部屋に、教護教諭はいなかった。
「拓斗、とりあえずベッド貸してもらえ」
「……うん」
俺はハンカチを水で濡らし、拓斗の顔を拭いてやった。拓斗の顔色は白を通り越して青ざめて見える。俺はなんとかしてやりたくて、でもなんにもできなくて、もどかしさを抱いたままベッドの横に座っていた。
カラリと軽い音を立て、扉が開き、一人の女子生徒が入って来た。拓斗の隣に立っていたおさげ女子だ。
「あの……。宮城君、だいじょうぶ?」
「うん、僕は大丈夫だよ。南原さん、心配して来てくれたの?」
拓斗に聞かれて、その女子は耳まで真っ赤になった。
「あの、私、保健委員だから、あの、付き添ってます。だからあの……。あの……」
どうやらこの女子は俺に「帰っていいわよ」と伝えたいらしい。俺は拓斗とおさげ女子の顔を見比べた。拓斗は目で「行かないで」と訴えてくる。おさげ女子の目は「あなたは邪魔」と悲しそうに言う。さて、俺はどうしたら……。
「あら、あなたたちどうしたの?」
白衣を着た女性教諭が戻って来た。
「こいつが、始業式の最中にたおれたんです」
俺が言うと教諭は拓斗の顔を覗きこみ、手の平で熱を見た。
「熱中症かな。しばらく休んでいなさいね。あなたたちはもういいわよ。教室にもどってね」
俺とおさげ女子は顔を見合わせ、拓斗に小さく手を振ってから保健室を後にした。
なんとなく居心地悪いながらも、話もせずお互い無視して歩くわけにもいかず、俺はおさげ女子に話しかけた。
「えっと、南原さんだっけ。拓斗……。宮城と仲良いの?」
「席が隣だから……。あの、宮城君の幼馴染みなんですよね」
「え、俺? うん、そうだけど」
南原さんはぴたりと足を止め、うつむきがちにもじもじと、床と俺の顔の間にちらちらと視線を這わす。
「?」
しばらく見守っていると、意を決したようにこぶしを握り、顔を真っ赤にして俺の顔を見上げた。
「あの! 宮城君の好きな人って、誰ですか?」
頭の中がまっしろになった。
なんとかかんとか、へどもど言って、南原さんの質問をはぐらかして自分のクラスに帰って来た。まだ全員は体育館から帰って来ていないようで、教室の中はぽつぽつと席がうまっているくらいだった。
きっと、拓斗にあの手紙を送ったのは、南原さんだ。
ハートのシールで封がされていた手紙。中を見なくても何が書いてあるか一目瞭然なあの手紙。
拓斗は、お断りしたと言っていたけれど、彼女は諦めていないんだ。なんだか、もやもやする。
今日は朝から何やら心を揺さぶられる出来事ばかりだ。落ちつこう。瞑想でもしよう。
「あーら。拓斗くんのナイト様はもうお戻りですかあ? お姫様は回復したの?」
俺は閉じていた目を片方だけ開ける。元香が真面目な顔でこちらを見ている。冷やかすような口ぶりだが、拓斗の具合を心配しているのだろう。
「教護の先生が見てくれてる。熱中症だろうってさ」
「そう、ひどくないなら良かったわね。拓斗くんは病弱だからねー。ナイトさまは心配でしょう」
「ナイトって言うな」
だらだらと喋っているとクラス全員揃ったようで、担任の号令のもと、席替えが始まった。公平性を重視してくじ引きで決めるそうだ。
俺の席は廊下側の真ん中あたり。まあまあのポジションと言える。
「あの、よろしく……」
隣の席になったのは金子芙美と言う名の女子。ストレートの長い髪で顔がほとんど隠れ、メガネも相まって表情がよくわからない。
「こっちこそ、よろしく」
なんとなく、よろしくしたくない雰囲気のお隣さんができてしまった。金子は席に座ると、なにもない机の上をぼーっと見つめている。時おり肩が小さく揺れるのは、笑っているのだろうか、泣いているのだろうか、それすらわからない。
ただ一つわかったのは、近寄りたくないキャラだということだけだった。
終礼が終わり、俺は保健室へ顔を出した。
すでに南原がやってきていて、俺を見ると、何か言いたげな表情をしたが、俺は気付かないふりで拓斗のそばに近づいた。
「拓斗、どうだ、気分はよくなったか」
「うん、だいぶいいよ。ごめんね、心配かけて。南原さんもありがとね」
「そんな、私はなにも……。あ、そうだ、私、宮城君のカバン、取ってきますね」
南原はパタパタと小走りに保健室を出ていった。
「拓斗、もうほんとにいいのか? 帰れそうか?」
「うーん。もう少し元気が欲しいかな」
「なんだ? 元気が欲しいって」
「ちゅーしてくれたら元気になるんだけどな」
俺の動きがぴたりと止まる。そーっと振り返り、扉を確かめ、そーっと首を回し、窓の外を確かめた。
それから俺はゆっくりと、拓斗の唇に触れた。
拓斗が手を伸ばし、俺の体を抱きしめる。まだ拓斗の体は熱を帯びたままで、クーラーの冷気になれた皮膚に圧迫感さえ与える。
拓斗の唇は少しかさつき、俺はそこを舌でなぞる。少しでも湿り気をあげたくて。拓斗に体を引かれるまま、上半身が徐々にベッドに近づいて行く。
ガラリ、扉が開いた。俺たちはパッと体を離す。
「お待たせしました。宮城君、これ……。あら、また顔が赤くなっちゃってますよ。もう少し休んでいた方が……」
「いや、南原さん、もう僕はだいじょうぶだから! カバン、ありがとう! 気をつけて帰ってね!」
「え、でも……」
「拓斗のことなら心配いらない。俺が送っていくから。家がすぐ近くなんだ」
「そう、ですか。じゃあ、また、明日。さよなら」
南原はぺこりと頭を下げると、とぼとぼと出ていった。俺はなんだか悪いことをしたような気になって、扉が閉まるまで南原の背中を見つめていた。
「……帰ろうか」
「うん」
拓斗のカバンを持ってやって、二人並んで歩く。グラウンドの脇を通ると顧問の先生の姿が見えた。
「先生、俺今日も休みます! こいつ送っていくんで!」
遠くから声をかけると、顧問は両手で丸印を返してきた。
「なんか、ごめんね、また野球部休ませちゃって」
「いいよ。遅れついでだ。それに俺は大器晩成型だからな。焦ってもしょうがないだろ」
「なんか、言葉の使い方が間違ってるような気がするよ」
拓斗が苦笑いする。俺もなんとなく笑いを返す。
なんとなく、話すこともなくだらだらと坂を下る。
蝉の鳴き声が頭の上に降ってくる。自転車通学の生徒が自転車で坂を駆け下りる。風にはためくシャツが白く目に眩しい。
「なあ、南原さんって、あの手紙の……?」
「そう。よくわかったね」
「あのさ、彼女に聞かれたんだけど」
「なに?」
「拓斗の好きな人って誰ですか……、って」
「……なんて答えたの?」
俺は言葉が出て来なくて、空を見上げた。馬鹿みたいに青い空がどこまでも広がっている。太陽の重みで俺の体は地面に沈んでいきそうだ。
「なんて言えば、良かったんだろう」
拓斗は何も答えなかった。
拓斗の家の前で、カバンを手渡す。拓斗は黙ったまま家に入ろうとする。その背中が俺に何かを訴えているようで、俺は拓斗に話しかけた。
「拓斗」
「なに」
振り返らずに拓斗が答える。
「明日、一緒に学校に行こう」
「なんで」
「なんでって……。お前まだ本調子じゃなさそうだし……」
「僕なら平気だから」
そう言って扉を開ける。
「拓斗!」
拓斗が振り返る。
「明日、一緒に学校に行こう!」
「……なんで」
「一緒に行きたいから!」
拓斗はにっこり笑うと、元気よくうなずく。
「僕も一緒に学校に行きたい!」
俺は安心して腹から力が抜けるのを感じた。どうやら緊張していたようだ。
「ねえ、うちよってく?」
「おう。おじゃまします」
俺は拓斗に続いて玄関に入った。
拓斗はやはりまだ体調が万全ではないようで、部屋に入るとベッドに倒れこんでしまった。
「おい、ほんとに大丈夫か? 医者行かなくて平気か」
「大丈夫。と思う。ちょっとまだだるいけど」
「水分とかとった方がいいんじゃないか」
「そうだね。悪いけど、なにかとって来てくれる?」
「おう、まかせとけ」
冷蔵庫を開けてスポーツ飲料はと見渡してみたが、なかった。しかたなく常備してある麦茶を取り出す。
「麦茶でいいか」
部屋にもどり聞くと、拓斗は寝そべったままうなずく。
「なんでもいい」
俺はグラスにお茶をついで拓斗に渡そうとしたが、拓斗は受け取らない。
「口移しで飲ませて」
はいはい、と言いながら麦茶を口に含む。拓斗の、まだ熱がこもったような唇にそっと口づけ、一滴ずつ口中に落としていく。ぽたりぽたり、少しずつ。
拓斗は胸の上で手を組んだまま大人しく飲み下す。こくりこくり。
何度かそれを繰り返し、拓斗の唇が潤いを取り戻したころ、拓斗の意識はもうろうとしているようで、俺は布団をかけてやって、そっとベッドから離れた。すぐにすうすうと寝息を立てはじめた。
拓斗の国語の教科書に手を伸ばす。
その手紙はまだそこに挟んだままだった。かわいらしい封筒、可愛らしい文字。
『あの! 宮城君の好きな人って、誰ですか?』
そんな事知らない。でも、そんな事知ってる。
今まで見ないようにしていたことを目の前に突きつけられて、俺はどうしたらいいのかわからない。
それを知って、彼女はどうしようというのだろう。
それを知ってしまって、俺はどうしたらいいのだろう。
答えを教えてほしくて、拓斗に目をやる。うっすらと笑みを浮かべて幸せそうに眠っている。俺が好きな、その笑みを浮かべて。
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