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第16話

 日曜日の夕暮れはなんだかけだるい。  野球部の練習が早く終わってしまい、予定をぽっかりすっぽかされたような気分で田んぼの中の道をとぼとぼと歩いていた。  学校のグラウンドの金網の、改修工事が始まって、俺たち野球部は町営球場で練習することになったのだが、さすが町営。午後7時までしか使えない。なもんで、これからしばらくは練習は7時には終わってしまう。  部活を休み続けてなまった体にはちょうど良いくらいの練習量だけれど、こんなにちんたらやっていて、来週の練習試合に、果たして勝てるのだろうか? なぞである。  日暮れが早くなってきたな、と空を見上げると、一番星が輝いている。たしかあれは金星だ。天文に興味のない俺でも、それくらいは知っている。  天文部に所属してる拓斗だったら、金星について知っている事は俺とは比べものにならないくらい多いのだろう。  などと、考えるともつかないことを頭の中で転がしていると、後ろから声をかけられた。 「おにーいさん、寄ってかない?」  振り返ると、買い物袋を抱えた拓斗が立っていた。 「なんだ、今日は天体観測してないのか」 「今日は日曜日だよ。野球部みたいに毎日毎日活動してるわけじゃないからね」  肩を並べて、俺たちは歩き出した。 「今日も暑かったねえ」 「そうだな。昼間はたまらんほどだったな」 「この時間になるとだいぶマシになるけどね」 「でもまだクーラーはいるな」 「えー。もしかしてまだ寝る時もクーラーつけてるの?」 「あたりまえじゃないか。なに、もしかして使ってないの?」 「そうだよ。僕は地球にやさしいんだ」  昼の名残の熱がアスファルトから立ち上ってきて、けれど頬にあたる風はどことなく涼しさを帯びている。  空がだんだんと暗い色に変わっていく。どこからか虫の声が聞こえてきて、それがますます涼しさを感じさせるような気がする。いつの間にか東の空にぽっかりと大きな月が昇っていた。 「月がきれいな季節になったよねえ」 「季節によって変わるのか?」 「そりゃ、変わるよ。ほら、枕草子にもあったじゃない。『夏は夜 月の頃はさらなり』って」 「けど、もう秋だぞ」 「秋には中秋の名月っていうのがあるでしょ」 「なにそれ、知らない」  拓斗は色んなことを知っている。空のこと、海のこと、そして山のこと。拓斗と話していると、俺は教えられることばかりだ。  俺は拓斗になにか与えるものがあるのだろうか。拓斗は俺といて、なにかを得ることはあるのだろうか。  会話がとぎれた。  拓斗はなにか鼻歌を歌っている。聞いた事があるようなないような曲だ。 「なあ、その歌、なんだっけ」 「うーん。題名は知らない。歌詞はね『月がとっても青いから、遠回りして帰ろ』って」 「月が青いのか。ポエミーだな」 「歌詞だからね」  鎮守の杜の脇を通る。街灯はまだついていなくて、月の明かりだけが明るい。月明かりでできた俺と拓斗の影は、そう言えばどことなく青っぽい。 「なあ、遠回りするか?」 「月がとっても青いから? うん、いいよ」  拓斗がにっこりと笑う。俺は拓斗の手を握って、神社の階段を上る。  鳥居をくぐると、とたんに空気がひんやりと涼しくなる。虫の声もますます大きくなる。  階段を上りきって、社殿にむかって手を合わせる。なにかをお願いするわけではないけれど、神社に来たらとりあえずお参りをしなければ、という気持ちになる。  何やら神妙に手を合わせていた拓斗を待って、また手をつなぐ。  神社の裏の児童公園の方に歩いて行く。 「懐かしいねえ。小さい頃は毎日ここに来てたよね」 「そうだな」 「ブランコ、こんなに小さかったっけ」 「俺たちが小さすぎたんだろ」 「そうだよね」  並んでブランコに腰かける。ブランコはやはり低すぎて、しゃがんでいる感じになってしまう。これで漕ぐのは大変だろう。ゆらゆらと前後に揺れてみる。 「毎日毎日、僕たちは大きくなっているんだね」 「俺の身長は止まりそうだけどな」  拓斗が俺の顔を覗きこみ可笑しそうに笑う。 「まだまだこれからだって」 「お前はいいよな、順調に伸びてて」 「そうだね。ね、背比べしようか」 「背比べ?」 「うん。昔はよくやったじゃない。木に印をつけてさ」 「そうだな。やってみるか」  公園の中で堂々と枝を伸ばす楠に拓斗が背を預ける。俺は木の枝を拾って、楠の幹に軽く傷をつける。交代して、俺の背を拓斗が記録する。  振り返って唖然とした。 「2センチは違う……」 「そんなに違わないよ」 「お前、もう172くらいあるんじゃないか」 「どうだろうねえ」  飄々と答える拓斗に、俺は抱きついた。 「うらやましいぞ、この野郎。身長わけろ」 「わけろって言われてもねえ。ね、なんでくっついてるの?」 「身長を伸ばすご利益を奪い取ろうとしています」  ははは、と拓斗が笑って、俺の頭を撫でる。 「やめろー。頭を撫でるなー。背が縮む―」  言いながら、でも俺は拓斗から離れる事ができなくなった。杜の冷気で冷えてきた体に、拓斗の体温が心地よかった。拓斗は俺の背に手を回すと、とんとんとあやすように軽く叩く。俺はますます心地よくなって、うっとりと目をつぶった。  拓斗の手が俺の顎にかかり、上向かせる。俺はされるがままだ。拓斗の唇が俺の唇にかさなる。魔法のようなキス。世界が止まってしまって、この世に動いている者はたった二人だけになってしまったような。いつまでも、俺たちは唇を重ね続けた。  手をつないで住宅街へ歩いて行く。 「そう言えば、その買い物なに?」  拓斗が手に持っている買い物袋を指差す。 「スイカだよ。横山さんの無人販売で買って来たんだ」 「ああ、山際の」  この町は駅を越えてしまうと、山側に行けばいくほど田舎になる。田んぼと畑とぽつぽつと農家があるだけだ。その農家がそれぞれに無人販売店を設置していて、わざわざ買いに行く価値があるほど、どこもいい野菜や果物を置いている。なかでも横山さんの果物は評判が高いそうだ。拓斗は半分主夫みたいな生活をしているせいか、安いスーパーだとか店によって値引き時間が違うだとか妙な事にくわしい。 「冷えてないけど、うちについたら食べようか」 「冷えるまで待つんでもいいけどな」  拓斗がちらりと横目で俺を見る。 「待ってる間、ひまだよ」 「たまにはひまもいいじゃないか」  そう、たまにはいい。  ただ手をつないで歩くなんて事も。 「ただいま」 「おじゃまします」  拓斗の家についたころには日が暮れて真っ暗になっていた。秋の日暮れは早い。拓斗が玄関の明かりをつける。家の中は真っ暗で、ひっそりとしている。 「美夜子さんは夜勤?」  冷蔵庫を開けてスイカを押し込んでいる拓斗にたずねる。 「ううん、出かけてるんだ。同僚の結婚式だって」 「へえ。めでたいな」 「なんかね、お寺でするんだって」 「結婚式を?」 「そう。指輪の交換じゃなくて、数珠の交換をするって」 「え、まじで? 美夜子さんの冗談じゃなく?」 「まじらしいよ。で、今日帰ってこないんだけど、どうする? 泊まっていく?」  俺たちはじっと見つめ合う。  昔は、なんにも考える事なく「うん」って返事ができたのに。俺たちは変わってしまったんだな、とぼんやり思う。その変化がいいのか悪いのか、俺にはわからなかった。 「とりあえず、スイカを食おう」  拓斗がふと笑う。 「そうだね」  拓斗の部屋で窓を開けて、月を眺める。電気は消えたまま。 「月の明かりのせいかな。空が青っぽく見えるな」 「そうだねえ。満月って明るいんだね」  電気をつけていなくても、お互いの顔まではっきり見える。拓斗が俺の背に肩を預けてきた。俺も拓斗に体重を預ける。ただ静かに、時間だけが過ぎていく。   ~~~~~~~ 「スイカ、切ってから冷蔵庫に入れれば良かったね」 「だな。皮だけしか冷えてないな」 「それでもおいしいけどね」 台所の窓からリー、リー、と鈴虫の声が聞こえる。窓際に吊るされた風鈴がチリンと鳴る。 「あの風鈴ってさ、小学校の修学旅行で買った奴?」 「そうだよ。あれからずっと掛かったまんま」 「もの持ちがいいな。俺が買って帰ったやつなんか次の日に割れたぞ」 「それは早過ぎだね」  冷えていないスイカはいつもより甘い気がする。手首に垂れてきたスイカの汁をべろりと舐め上げる。拓斗がじっと俺を見ている。俺は気付かないふりをして、スイカを齧る。 「ごちそうさん」 「ごちそうさま」  俺は立って皿を洗う。拓斗が横から手を出して手を洗う。二人並んで狭いシンクを使うと、体がぴたりと密着する。水を止めても、俺たちはなんとなくそこに立っていた。 ~~~~~~~ 「じゃあな、おじゃましました」 「うん」 「また明日」 「うん」 「……うん、しか言わないの」 「うん」  俺の手を握ったまま、拓斗は手を離さない。俺は靴を履いたまま、そこから動くことができない。 「そこまで送っていこうかな」  そう言って拓斗も靴を履く。 「送るって言ったって、すぐそこじゃないか」 「うん」 「……うち、寄っていくか?」  拓斗はにっこりと笑う。 「うん!」  たまにはこんな日も、いいじゃないか。  夏の名残りの熱に、あてられただけなんだから。  俺たちはまた手をつないで歩き出す。月は高く昇って、俺たちの影をアスファルトに縫いつける。  俺たちはいつまでも縫いつけられたまま、歩いて行く。  いつまでも。

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