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第17話

「あら、拓斗ちゃん、いらっしゃい」 「おじゃまします」 「かーちゃん、拓斗にもメシ」 「はいよ」  それだけで何もかも通じる。うちでは馴染みの光景だった。 「あら、拓斗ちゃん、久しぶり」 「今晩は、おばあちゃん。ご無沙汰してます」 「お。拓ぼう、来おったか」  玄関先でわいのわいのと大騒ぎになる。  小さい頃からずっと変わらない。  我が家の人間は皆、拓斗のことが大好きだ。じーちゃんも、ばーちゃんも、とーちゃんも、かーちゃんも、 「あー!!」  もちろん、妹の秋美ももれなく拓斗のことが大好きで。 「拓斗くん! いらっしゃい!」  両手を広げて拓斗を歓迎する。 「こんばんは、秋美ちゃん。おじゃまします」 「おじゃまだなんて。そんな事あるわけないじゃない。うちのことは実家と思って、ごゆっくり!」 「……秋美、お前は何さまだ」  俺のつぶやきは秋美の鼻息ひとつで粉砕された。 「あのね、拓斗くん、私、宿題わからないところあるの! 教えてくれる!?」 「うん、いいよ。何がわからないの?」  拓斗は綺麗な笑顔で妹の部屋へ連行された。俺はなんだかぐったりと疲れて、自分の部屋に向かった。  うちは父方の祖父、祖母、父親、母親、姉、俺、妹、弟と大所帯だ。  姉の夏生は大学生。家を出て隣県の国立大学に通っている。弟妹のために金を使わぬようにと、奨学金を受け、生活費はバイトで稼ぎ、一流大学で勉学にいそしむ出来た姉だ。  妹の秋美は中学三年生。反抗期らしく何事にもツンケンとタテツキ、とくに俺に対する言動が激化している。拓斗のことは大好きらしく、言うこともよく聞いてくれるので、いざという時は拓斗にお願いして秋美の教育に一言、苦言をもらおうと画策している。  弟は雪人。おとなしく内向的だが、頑固で自分で決めた事はぜったいに実現する小学三年生。神出鬼没でいつも突然……。 「って、びっくりしたあ!!」  いつのまにやら雪人が俺の隣に立っていて、俺のシャツをきゅっと握っていた。   「拓斗にいちゃん、来たの?」 「あ、ああ。秋美の宿題見てくれてるよ」 「ふうん。兄ちゃん、お風呂はいろ」 「おう。一緒に入るか」  雪人は一人になるのを怖がる。風呂も一人では入りたがらず、両親か俺と一緒に入る。俺は先日、拓斗にもらったアヒル隊長を手に、風呂場へ向かった。 「わあ、あひるちゃんだ。かわいい!」 「いいだろ? 拓斗にもらったんだ。風呂に浮かべようぜ」  俺は雪人の体を洗ってやり、湯をかけてやる。雪人は俺の背中を流してくれる。そうして二人で湯船につかった。 「あのね、兄ちゃん。今日ね、学校でね……」 「うん? なんだ?」 「結衣ちゃんが、BLっていう本を貸してくれたんだ」 「BL? なんだそりゃ」 「なんかね、むずかしい恋愛を書いてあるんだって。それでね、結衣ちゃんはBLが大好きなんだって。ねえ、兄ちゃん、俺もBL、勉強した方がいいかなあ」 「そうだな、雪人。好きな娘の趣味に合わせる事は大事なことだと思うぞ」 「やだ、兄ちゃん、ス、好きな子だなんて! ぼく、結衣ちゃんとはそんなんじゃ……」 「照れるな、照れるな。初恋って言うのは甘酸っぱいよな……」 「兄ちゃんなんか、きらいだ!」  雪人は勢いよく風呂から飛び出して、浴室のドアを叩きつけるように閉めて出ていった。 「あいたあ。からかい過ぎたか」  俺は頭を抱えた。雪人は普段、温厚な分、怒らせたらあとが長引くのだ。俺はアヒル隊長を頭に乗せて、鼻までお湯にもぐった。  秋美には軽んじられ、雪人には敬遠され、俺にはもう心の安らぎは……。 「おじゃましまーす」  そう言って、拓斗が脱衣所に入って来た。 「どうした、拓斗?」 「おばさんがお風呂に入っていけって、タオル貸してくれたんだ。入るね」 「おう!」  そうだ、俺には拓斗がいた。  タオルを腰に巻いて入って来た拓斗に、俺は誠心誠意つくした。  かけ湯をしてやり、頭を洗ってやり、背中を流してやった。 「どうしたの? 今日はなんだか待遇がいいね」 「な、なんでもないぞ。俺がしたいからしてるだけだ」 「ふうん。そうなんだ」 「そうだ。けっして弟妹に相手にされない鬱憤をぶつけているとかじゃないんだ」 「へーえ」 「お前が家族にうけがいいから嫉妬してるとかじゃないんだからな!」 「はいはい。」  拓斗はなにやら訳知り顔で、湯船の中に入ってきた。俺たちの容積分のお湯がこぼれていく。  湯船につかると、拓斗はぎゅっと俺を抱きしめてきた。 「どうした、拓斗?」 「うん。あのね、秋美ちゃんに聞かれたんだ」 「なにを?」 「『拓斗くんは好きな人っている?』って」 「なんだそりゃ? なんでそんなこと……?」 「秋美ちゃん、片思い中らしいよ」 「なにいいい!?」  俺の口から思わずうなり声が上がった。  片思いだと!? そんなこと、お兄ちゃん許しませんよ! 「相手はクラスメイトだって。小学生の時から好きだったんだってさ」  そんなこと、ぜんぜん気付かなかった。だって秋美は、いつの間にか俺と話さなくなっていて…… 「そうか、俺の知らないところで、秋美は大人になってたんだな……」 「そうだね。女の子は成長が早いね」  なんとなくうつむいてしまった俺の頭を、拓斗がぽんぽんと撫でてくれた。 「お兄ちゃん、そんなに落ち込まないで。いつか秋美ちゃんもお兄ちゃんに話してくれるよ。今はまだ恥ずかしがってるだけだよ」 「……うん、そうだな」  俺はぶくぶくとお湯に顔を沈めた。    夕食はソーメンとゴーヤチャンプルー。妙な取り合わせだけれど、夏の終わりと言う感じがして、俺は嫌いじゃない。拓斗はソーメンが大好物なのでウキウキと座布団に座った。 「はい、拓斗くん、どうぞ」  秋美がゴーヤチャンプルーをつぎ分けた皿を拓斗に手渡す。 「ありがとう、秋美ちゃん」 「うふふ。どういたしまして」  傍から見ていると初々しいカップルのようで、俺は秋美をジト見した。  秋美はそんなことには気付かぬ素振りでソーメンをすすっている。  大家族のわが家ではソーメンは争奪戦になる。  なくなればかーちゃんが次の束をゆでてくるのだから焦らなくてもいいようなものだけれど、みんな我先にと箸を伸ばす。拓斗も負けじと箸をひらめかせ、つぎつぎとソーメンをすすっていく。  ソーメンがあまり好きでない俺はゴーヤチャンプルーで白米をかきこみながら食卓の阿鼻叫喚を眺めていた。  ひとしきりソーメン争奪戦の第一回戦が終了し、レフェリーのかーちゃんがソーメンの器を抱えて台所に行くと、食卓はインターバルで落ち着きを取り戻し、おのおのゴーヤの細切りを齧っている。 「明日は野球部は朝錬あるのかい?」  祖母ちゃんに聞かれて飯を飲み込み答える。 「いや、しばらくは朝錬なし」  秋美が横から口を挟む。 「お兄ちゃん、ただでさえ下手なのに、練習がそんなに少なくなったら補欠にもなれないね~」 「うるせえ。今に見てろ、甲子園で名左翼と言われてみせるからな!」 「はあ? なんで政治の話になるわけ?」 「いやいやいや。左翼っていうのは……」 「はいはい、ソーメンできたわよお」  食卓はまた戦場と化した。 「うあー。食った食った」 「僕ももう水も入らないよ」  食後のまったりした空気の中、拓斗と俺は、俺の部屋へと引っ込んだ。 「それにしても拓斗はソーメンだったらよく食うよな」 「ほかのものだって食べてるよ?」 「そんなところ見た事ないぞ。お前、いつも女子みたいに食うの少ないじゃないか」 「うーん。今日の秋美ちゃんの食べっぷりを見ていたら、女子が小食とは思えないけどね」 「たしかに」  くだらない話をしながら、俺は胃の重さに負けて拓斗の膝に倒れ伏した。 「うあー。胃が重いー」 「食後は体の右側を下にして寝そべるといいんだって」  その通り、体をごろんと転がしてみると、なんだか急に胃のあたりが楽になったような気がした。 「おー。なんかすごく消化されてるって感じ」 「胃の中のものを小腸に押しやってるだけらしいけどね」 「それって、体に悪いんじゃないか」 「さあ、どうだろうねー」  拓斗がくすくすと笑う。からかわれたのか?俺は憮然として仰向けに体勢を戻す。  俺の額を撫でていた拓斗の手が俺の頭を抱き、キスを落としてくる。俺は軽く身を起こしてそれを受ける。拓斗の両手は俺を掻き抱きぎゅっと俺を抱きしめる。拓斗の唇は思うさま俺の口中を蹂躙し、俺の意識がもうろうとした頃に離れていった。  拓斗の手が俺の背中を撫でて……。 「ねえ、兄ちゃん」  突然、脇の方から掛けられた声に、俺は飛び起きる。拓斗の動きもぴたりと止まっている。 「ねえ、兄ちゃん。BLって、むずかしいよう」  そこには雪人が一冊の本を手に佇んでいた。 「雪人! いつからそこに……!?」 「今だよう。ねえ、兄ちゃん、これ、読んでよ」    俺は雪人から渡された一冊の本をまじまじと見つめた。拓斗も横から顔を出して見ている。  表紙には二人の男性の絵が描いてある。少女マンガみたいなキラキラした瞳だ。その男性二人はどうやらサラリーマンのようだが、そのうち一人はスーツを脱がされ、シャツを肌蹴られ、もう一人の男に迫られているように見える。 「……雪人、これは……?」 「こういう本をBLっていうんだって。ねえ、これって僕にはよくわからないんだけど、どうしてこの人たちは男同士でちゅーしてるの?」 「そ、それは……」  口ごもる俺の横から拓斗が口を挟んだ。 「ねえ、雪人。キスって、好きな人同士がするの。それは知ってる?」  雪人は顔を真っ赤にしてもじもじとうつむいて答えた。 「……うん、知ってる」 「じゃあ、この人たちがキスしていたのなら、それはこの人たちが好きあってるからだって思わない?」 「……。じゃあ、兄ちゃんたちも、好きあってるからちゅーするの?」  俺の毛穴は全開し、脂汗がにじみ出た。 「えっ……と。そ、そうだね。ほら、人類みな兄弟と言うか……。そ、そうだ。僕は雪人も好きだよ」  そういうと、拓斗は雪人の頬にキスをした。雪人はくすぐったそうな表情で笑う。 「わかった! この人たちもみんな大好きなんだね!」 「……みんな?」 「うん。この主人公の人、色んな人とちゅーするの。きっとみんなのこと好きなんだね」 「あ、ああ。そうなんじゃないかな」 「わかった! 拓斗にいちゃん、ありがとう。僕あしたまでにこの本読むから。じゃあね、お休みなさい」  雪人がいい笑顔で部屋から出ていく。俺と拓斗は呆然とドアを見つめ続けた。 「……雪人くん、ご両親と一緒に寝ているんじゃなかった?」 「……そうだけど」 「いまからあの本読むって、寝床で読むんじゃない?」 「……あああああ!」  俺は飛び起きて、雪人のあとを追った。 「なんか、今日はばたばたしてゴメン」  玄関先で、靴を履いている拓斗に頭を下げる。 「やだなあ。謝らないでよ。すっごく楽しかったよ」 「そうか? それなら良かったけど」 「いつきてもこの家は暖かくて賑やかで。僕、ほんとにこの家が好きだよ」 「……それなら良かった」  玄関から出る拓斗に続いて俺も軒先へ出ていく。  とっぷりと日が暮れた通りはみょうにひんやりして、秋の声を感じさせた。 「……それじゃ、また明日」 「……おう。またな」 「……」 「……」  俺たちはどちらからともなく、手をつなぐ。 「ね、明日も遊びに来ていい?」 「あたりまえだろ。いつでも来い。なんなら毎日来い」 「ふふふ。ありがと。じゃあ、ほんとに、さよなら」 「……なあ」  俺はなぜか拓斗の手を離せなくて、ぐいっと引きもどした。 「なに?」 「明日、一緒に学校行こう」  拓斗は弾けるような笑顔でうなずいた。 「じゃあ、また明日!」 「おう、またな」  小さく手を振り、俺たちは別れた。  拓斗の背を見つめ続ける。  日に日に、俺は拓斗と別れがたくなっていく。  なぜこんな気持ちになるのかわからない。  ただ、いつまでも手を握っていたいと思う。  いつまでも見つめていたいと思う。  拓斗がくるりと振り向いて手を振る。 「おやすみー!」  俺は軽く手を振り返す。  拓斗も同じ気持ちなのかもしれない。  いつまでもここに、俺のそばにいたいのかもしれない。  そう思うと、なぜか自然と笑みが浮かぶ。  俺は拓斗の背中をいつまでも見つめていた。

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