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第19話

「明日、一日、僕といっしょにいてほしい」  教室にやって来た拓斗が唐突にそう言った。俺の後ろで金子の鼻息が荒くなった音が聞こえる。 「ああ、いいよ」 「部活あるよね?」 「いいよ、休むよ」  拓斗の顔がぱっと明るくなる。 「ありがとう。じゃあ、明日ね」 「おう」  拓斗が教室から出て行くと、金子が俺の腕にかじりついた。 「ど、ど、どどどどういうことですか!? マスター、ででで、デートですか!?」  金子は気を使ってか一応、小声で話してはいるが、鼻息が腕に当たってくすぐったい。 「明日、拓斗の誕生日なんだよ。お互いの誕生日は、相手のわがままを聞いてやる約束なんだ」 「なんだってーーー!! そんなおいしいシチュエーション、金子黙ってられませんよ!」 「おいおーい、声がでかいですよ」  耳のそばで叫ばれて、耳が痛い。金子の鼻息がかかってくすぐったいんだってば。 「明日は金子も同行させてもらいます!」 「いや、迷惑だから」 「そんなあああ、ますたー、後生ですからご一緒させてくださあい」 「なんだよ、後生ですからって……。第一、約束しただろ? 一、拓斗には近づかない事」  金子はがっくりと肩を落とす。 「ううう。そんな約束するなんて……、私の馬鹿あ!」  叫ぶと金子は教室を飛び出していく。きっと漫画同好会の部室で好きな本に囲まれて心を癒すのだろう。好きなものがあるっていいことだなあ。 「さて。練習行くか」  俺は体がやわらかいのが自慢だ。グラウンドでストレッチしていても、俺より曲がるヤツはいない。妙な自慢だが、体が柔らかいことはいいことづくめだ。投球フォームにも幅が広がる、何より怪我だってしにくい。……デッドボールに当たらなければ。  ランニングからはじまってキャッチボールとシートノック。俺はバッティングピッチャーをさせてもらってる。ゆるい速度とまっすぐすぎるボールがちょうど打ちやすいのがその理由らしい。なんだか残念な理由だが、毎日、相当な数を投げられるのは良い経験になる。……経験だけで実力がついた気がしないが。  だめだ、なんだかネガティブだ。こんな日は思いっきり走って発散するんだ! 「先輩、俺もう少し走ってからあがります!」 「おー。気合入ってるな。やりすぎるなよ」 「はい!!」  俺は思う存分走り、汗と共に色々なものを発散した。  翌朝、久々に筋肉痛で目覚めた。ずいぶんと体が鈍っていたんだと思う。だが、まあいい。今日は部活は休むと連絡している。今日は一日、拓斗デーだ。 「たーくーとー、がっこーいこー」  玄関先で呼ばわる。拓斗はくすくす笑いながら顔を見せた。 「小学生みたいだね。なんだか懐かしい感じ」 「たまにはいいだろ」 「うん」  二人並んで歩く。朝から一緒にいるのは久しぶりだ。 「今日一日一緒って、学校ではどうする?」 「うーん。休み時間のたびに来てもらうのは悪いし、昼休み、一緒しよう」 「ん。わかった。そっちのクラスに行くな」 「うん。ふふふ、うれしいなあ」 「なにが?」 「一緒にいられるのが、だよ。高校に入ってから、なんだかんだであんまり会えなくなったもんね」 「そうだな。クラスが違うと案外、会わないもんだな。部活もあるし」  拓斗が俺の腕を、つん、とつっつく。 「なに?」 「なんでもない」  そう言って、やっぱりつん、つん、とつっつく。少しくすぐったくて、俺の頬がゆるむ。 「だから、なんだよ」 「だから、なんでもないって」  拓斗はにっこり笑うと、俺のシャツのスミっこを、つん、と引っぱって、そのまま歩いた。    教室に入るとすぐに、 「おはようございます! ますたー!」  金子が後ろから声をかけてきた。 「うおう、びっくりした。なんだよ、金子おどかすなよ」 「うっふふふふふ。朝からいいもの見せていただきました、ますたー」  俺は金子のことは放っておいて、自分の席に座る。金子は後ろからついて来て俺の机にすがりつく。 「ますたー、私は今日この日ほど生まれてきたことを感謝したことはございません。そして拓斗ちゃまの誕生も、この世の至宝! ほんとうにおめでとうございます」 「なんかよくわからんが、おめでとうってとこだけ伝えておくよ」 「よろしくおねがいいたします!」  金子のテンションがいつも以上におかしい。聞きたくないが、聞かないでいられるほど達観してはいなかった。 「で、なにが『いいもの』だって?」  金子がぐっと顔を近寄せる。いや、ちかい、ちかい。 「萌えです、金子の萌えポイントです。『シャツの裾をちょっと引っ張って一緒に歩く』! これほど萌えるシチュエーションは他にない!!」 「あ、あ そう」  力説する金子の迫力に押され、俺はたじたじとなる。 「お願いですから、毎朝、拓斗ちゃまと一緒に登校して下さい!」 「無理だよ、俺、朝錬あるし」 「そこをひとつ! なんとか!」 「なんともなるか。だいたい、お前、どこでそんなもん見てたんだよ」 「ますたーのお宅の近くです!!」 「は!? もしかして待ち伏せしてたのか!?」  金子はぐいっと胸をそらす。 「はい! ますたーと拓斗ちゃまの行く末を見守るべく、早朝から待っていました。いやあ、おかげでいいもん見させてもらいましたわ」 「見るな! 来るな! 尾けるな! 忍者かお前は!」 「いいじゃないですか、遠くからそっと見守るくらい。ますたーはちょっとケチですよ」 「ケチ言うな!」  朝から騒々しく拓斗デーは始まった。    昼休み、弁当を抱えて拓斗のクラスに顔を出す。このクラスに知り合いは拓斗くらいしかいないので、ちょっと入りにくい。ところへ持ってきて、このクラスの二人目の知り合い、南原さんが俺の進路を絶った。 「こ、こんにちは、南原さん」 「こんにちは。宮城君に用事ですか?」 「そうなんだけど……。呼んでくれる?」  南原さんは無表情で、けれど拓斗の席に近づくと、声をかけてくれている。拓斗が席を立ち、こちらへやってきた。 「どこで食べようか」 「どこでもいいぞ」 「天気がいいし、中庭にしようか」 「おし、行くか」  この学校はロの字型になっていて、中央に中庭がある。木が生い茂っていて、ちょっとした植物園だ。ベンチもいくつか設置してある。俺たちは空いているベンチを探して座る。でかい桜の木の下だ。俺はさっそく弁当を開く。俺は母親製の弁当だが、拓斗は自作だ。 「いつ見てもうまそうだな」 「味見する?」  そう言って拓斗が卵焼きを箸でつまんで俺の口元へ持ってくる。俺はそれにぱくりと食いつく。 「うん、うまい。やっぱり卵焼きは甘くないとな」 「それ、小さい頃からずっと言ってるよね」 「俺の人生哲学だからな」  拓斗がくすくす笑う。 「食い意地が張った人生だね」 「生きてるって事は、食うって事だ」 「深いね」  まったりと二人並んで弁当を食べる。それだけで拓斗はにこにこと楽しそうにしてくれる。 「いい天気で、ぽかぽかして、お弁当が美味しくて、となりに君がいて、これ以上幸せなことはないと思うなあ」 「安上がりな幸せだな」  拓斗は弁当箱のフタを閉めると、俺の肩にぽすっと頭をあずけてきた。 「贅沢な幸せだよ。毎日こんなふうだったらいいのにな」 「なんなら、毎日いっしょに食べようか?」 「え! いいの?」 「もちろん」 「わあ、うれしいなあ。今日は朝からほんとうに幸せつづきだ」  にこにこと楽しそうに拓斗は笑う。俺はこの笑顔を見られるなら、どんなことでも出来る気がする。いつからだろう、こんなに拓斗のことを喜ばせたいと思い始めたのは。小さい頃はただ一緒に転げ回っていればそれで十分だったように思う。泣いても怒っても、もちろん笑っても、拓斗といれば楽しかった。今ももちろん楽しいけれど、泣いたり怒ったりしないで欲しいんだ。いつも幸せそうに、俺の大好きな笑顔で笑っていて欲しい。そう思うんだ。    弁当箱をしまって、俺たちはそれぞれの教室に戻った。俺の席にはなぜか金子が座っていて、ぽーっと顔を赤く染めて夢でも見ているような表情をしていた。 「どうした、金子。寝ぼけてるのか?」 「ええ、そうですね。夢を見ているみたいです」 「俺には起きているように見えるんだけどな」 「金子は……。金子はいつ死んでも悔いはありません。今日ほど幸せな時は今までになかった」 「なんだよ、お前も拓斗みたいなこと言って」    金子はくわっと目を見開くと、俺の方に身を乗り出した。 「さあ、中庭で話していたことを細大漏らさず話していただきましょうか」 「な! もしかして、また覗いてたのか!」 「人聞きが悪いですね。私はただ中庭で昼食をとっていただけのこと。そこにますたーが拓斗ちゃまとご一緒にいらして、私の前のベンチにすわって、卵焼きをあーん、って……。頭をこてんって……。ああもう! 萌え死にしそうです!」 「死ぬなよ、迷惑だから。それから、俺たちの会話について話すことは何もない」  金子は悲壮な顔で俺の腕にすがりつく。 「そんな殺生な! 金子は飼い殺しですか、ますたー!」 「飼ってないし、餌をやった覚えもないんだが」  それでもギャーギャー言う金子をむりやり椅子から引き剥がし、ようやく俺は自分の席に戻ることができた。金子は授業中もうらみがましい目で俺の方をにらんでいた。やれやれだ。  放課後も、俺は拓斗をクラスに迎えに行った。 「たーくーとー、かーえーろー」  教室のドアから声をかけると、拓斗はくすくす笑いながら近づいてきた。 「小学生みたいだね」 「今日はそういう日だな」  拓斗のカバンを持ってやり、帰路につく。 「カバン、いいのに」 「なんとなくな、サービスだよ」  拓斗は空いた両手で俺の脇腹をくすぐる。 「うああ。やめろー」 「ふふ、だって、がら空きだったから」  俺たちはふざけ合いながら歩いて行く。昇降口を出る時に、視線に気づいた。振り返ってみると、南原さんが俺を睨んでいた。……ような気がする。南原さんがすぐに顔をそらし歩き去ってしまったので、見間違いかもしれない。けれど俺は気になって拓斗に聞いてみた。 「なあ、南原さんとは、その後どうなってるの?」 「どうもなっていないよ」 「それって、やっぱり……お断りしたから?」 「そうだよ」 「じゃ、南原さんの気持ちは……その、変わってないかもしれないんだな」  拓斗はちらりと冷ややかな一瞥をくれる。 「そんなこと君には関係ないでしょ」 「それはそうなんだけど……。気になって……」 「気になるってなにが?」  拓斗は足を止めると、くるりと俺の方へ振り向く。 「何がって……。よくわからないけど」 「ふうん」  拓斗はふいっと視線をそらすと、早足で歩いて行く。俺はどう言ったらいいのか、何を言ったらいいのかわからないまま、ただ後をついていった。 「ハッピーバースデー、拓斗!!」  クラッカーに出むかえられ、紙テープを頭にかぶった拓斗は美夜子さんのテンションに眉一つ動かさず 「ありがとう」  それだけ言うと、さっさと自分の部屋に向かった。 「あれれ? なんでご機嫌ななめ?」 「ごめん、美夜子さん。俺が余計なこと言ったみたいで」  美夜子さんはため息をつくと、笑顔で俺の頭をぽん、とたたいた。 「拓斗は君といると、喜怒哀楽が激しくなるみたいね。お世話かけますが、これからも息子をよろしく」 「こちらこそ、よろしくお願いします。ちょっと今から拓斗を宥めてきますんで」 「うん。よろしく」  美夜子さんがひらひら手を振って俺を送り出す。俺といると拓斗は喜怒哀楽が激しくなる……か。そう言われると、俺と二人きりじゃない時、拓斗が怒っているのを見たことがないような気がする。いつも俺だけが怒らせているような……。 「拓斗?」  部屋に入ると、拓斗はベッドに突っ伏していた。 「どうした? 気分でも悪いのか?」 「……平気」  俺はベッドに腰かけると、拓斗の頭を撫でてやる。ふわふわの栗毛が指に心地いい。いつまでもさわっていたくなる。 「……金子さんと、仲良いんだね?」  拓斗の声が低い。俺は手を止める。 「仲良い……かどうかはよく分からないけど、けっこう話すな」 「今日、金子さんに腕をつかまれてるとこ、見た」 「ああ、あれな」 「何を話してたの?」 「え……っと」  俺は何をどう説明していいかわからず、口ごもった。 「話せない事? 人に聞かせたくない事?」 「うーーん。まあ、あんまり聞かれたくはないなあ」  拓斗はごろりと寝返ると、壁にぺったりくっついてしまう。顔が見えない。 「拓斗、何怒ってるの」  俺の言葉は完全無視だ。俺はベッドに横になると、拓斗の背中を抱きしめた。うなじにキスを落とす。拓斗はもぞもぞと体を動かして、俺の方へ向き直る。 「嫉妬してる。僕は、君に触れる何もかもに嫉妬するんだ。心がせまい、醜い自分がいやだ。でもどうにもならないんだ。君の口から他の人の名前が出てくるだけで、すごく苦しいんだ。誰もいない世界で、僕だけを見ていて欲しい。お願いだよ、今日だけは聞いてくれるでしょ?」  俺は拓斗にキスする。唇を合わせるだけのキス。拓斗が俺を抱きしめる。俺が拓斗を抱きしめる。そうして二人で一つになって、じっとしていると、体温も脈もまざって、本当に一つの生き物になったような気がする。拓斗の手が俺の背中をすべる。俺も拓斗の背を撫でる。だんだん息が荒くなって、唇を吸いあうキスに変わる。  拓斗の足が俺の足の間に挿し挟まれる。唇を重ねあったままで、息が苦しい。でも離したくはなかった。拓斗を、繋ぎとめておきたかった。  俺は拓斗のシャツのボタンに手をかける。一つ一つゆっくりと外していく。拓斗の手も俺のシャツにかかる。俺たちは互いに撫でさすり、むさぼり、舐めあう。  いつの間にか拓斗が俺の上に覆いかぶさる形になり、俺の唇に噛みつくようにキスを落とし続ける。 拓斗の手が俺の首にかかる。そのままゆっくりと力をかける。 ゆるい圧迫感。怖くはない。拓斗になら、どんなことをされても赦せると思った。 拓斗の手は俺の肩から下へ向かって駆けおりていく。俺も拓斗の胸をいじる。突起をつまみ、捻りあげる。 「―っ!!」 拓斗の息が荒くなる。それが手元まで伝わったかのように、乱暴に俺の体を這う。 その強い刺激に、俺は達しそうになる。懸命にこらえ、拓斗のズボンに手をかける。拓斗の腰から邪魔なものを取り去る。俺も拓斗から脱がされる。 裸の体を押し付けあう。 熱い。 体の芯から熱が全身に向かう。拓斗の体もたぎるように熱い。 その熱で俺は蕩けそうになる。 拓斗が腰を擦り付けるように動く。 「んぁぁ!」 俺はたまらず爆発する。 拓斗は構わず腰を振りつづける。俺はすぐに立ち上がる。拓斗が俺の唇を貪る。口の中を舌で蹂躙し、吸い、軽く噛む。 俺はそれから顔を背けて逃れる。拓斗は両手で俺の顔を挟み、無理矢理、唇を重ねる。俺はまた達しそうになり、拓斗の胸を押す。けれど拓斗はただ腰を擦り付け、キスを深くするだけ。 強く舌を吸われ、俺は二度目の精を吐いた。 俺と拓斗の間にはどろどろと俺の精が撒き散らされ、拓斗が動くたびにぬるぬると滑る。その感触に俺はまた肥大する。 拓斗の唇が離れ、俺の肩を噛む。歯形がつくほどに強く。首に吸い付き、跡をつける。腕に、胸に、腹に、拓斗は印をつけていく。俺が拓斗のものだという印を。 俺はぞくぞくと身の内から歓びと悦楽が込み上げてくるのを感じる。俺は拓斗のものだ。拓斗は俺のものだ。 この世にたった一人だけ、俺たちは求めあう。 拓斗が俺の脚を持ち上げ、太股に噛みつく。その痛みも、甘く感じた。 俺を、拓斗の口が吸う。強く強く吸われ、俺は三度目、吐精する。 もう俺の腰には力が入らず、拓斗のなすがままだ。 拓斗は俺の両足を高くあげ、俺の腰を持ち上げる。 性急に拓斗が中に入ってくる。 「あぁ……」 拓斗が囁くように呻く。 そのまま、口づけを落とす。そっとそっと、こわれものを扱うように。大切に。 拓斗の手が俺の手を握り、指を絡める。優しい感触。心から安堵するような愛撫。拓斗はゆっくりゆっくり腰を動かす。味わうように、宥めるように。 俺たちはゆっくりのぼりつめる。 その場所へ。 その先へ。 拓斗が果てて、俺の体に体重をあずける。 それは幸せな重みだった。俺はぎゅっと拓斗を抱き締める。 「……今日が終わらなければいいのにな」 拓斗がぽつりと言う。 「なんで?」 「そうしたら、明日も明後日も僕のものでいてくれるでしょ?」 拓斗の頭を撫でてやる。 「俺はお前のものだよ」 「……ほんとに?」 「ああ」 拓斗が身を起こして俺の目を見つめる。それから嬉しそうに、にっこりと笑う。 ほら、その笑顔だ。その笑顔を俺は手放すことはできない。 俺はいつだってお前のものだよ。 「僕は君を……」 「拓斗?」 拓斗は苦しげに眉を寄せる。 「このまま閉じ込めてしまいたいんだ。一生、このまま」 俺は拓斗の苦しみを和らげてやりたくて、そっとキスをした。 拓斗の鎖に繋がれて、拓斗のことだけを見つめて考えて。それはどれほどの歓びだろう。そうやって一生を過ごせたら……。 けれど時間は過ぎていく。魔法がとけるまで。あとほんの少しだけ、このまま囚われていよう。 お前の胸のなかに。

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