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第22話

「えー。めんどくせ」 「めんどくせくない! 拓斗ちゃん誘って、行ってきな!!」  母ちゃんに尻を叩かれ家を追い出される。俺はしぶしぶ拓斗の家へ向かう。  スーパーの福引で当たったんだそうだ。日帰り旅行ペアご招待が。 母ちゃんはそれはそれは楽しみにしていたのだが、一緒に行くはずだった父ちゃんが、昨日からぎっくり腰で動けず、母ちゃんは看病のために家を出られなくなった。  母ちゃんはぷりぷり怒り、父ちゃんは平身低頭、俺は母ちゃんのかわりに日帰り旅行に行かされる、というわけだ。  拓斗の家の呼び鈴を押すと、めずらしく美夜子さんが顔を出した。 「こんにちは」 「あら、拓斗なら今出かけたところよ」 「どこへ?」 「コンビニだって。あがって待ってたら?」  俺はお言葉に甘えて上がり込む。 「なんだか久しぶりねえ。小さい頃は毎日うちにいたのに、最近はさっぱりじゃない?」  たしかに俺たちが小さい頃はいつも二人揃って遊んでいた。平日休日お構いなしに。美夜子さんはもう一人の俺の母親のような人だ。 「子供って、どうしてこんなに急いで大人になるのかしら。もっとゆっくり成長すればいいのに」 「美夜子さん、子供好きですもんね」 「そうよ。あなたたちのことも大好きよ。だから反抗期なんてなったら許さないわよ」 「美夜子さんだったら反抗したらぶっ飛ばされそうですね」 「あら、よくわかったわね。ぶっ飛ばします」  剣呑な話になって来て、俺はとっとと拓斗の部屋に逃げ込んだ。  拓斗の部屋の真ん中、こたつの上に、可愛いくまが座り込んでいる。 「なんじゃ、こりゃ」  手の平に乗るサイズのその木製のくまは、振って見るとからからと音がする。中に何か入っているようだが、開ける場所がわからない。寄せ木細工のようで、モザイク模様のオシャレなくまだ。 「あ、来てたんだ」  拓斗が手にビニル袋をぶらさげて入ってくる。 「なあ、このくま何? 中に何か入ってる?」  拓斗は俺の手からくまを受け取ると、鼻の辺りをつまんで捻った。くまの鼻は横にずれ、拓斗はその空いたスペースにくまの額をすべり落とす。 「からくり箱なんだ。こうやって少しずつ木片を移動させていく。全て正解の動きをすると、中を開けるんだ」 「で、中には何が入ってるんだ?」  拓斗は俺の顔をじっと見つめ、 「ひみつ」  かわいらしく微笑んだ。    俺は母ちゃんから渡されたパンフレットを拓斗に見せる。 「へえ、リンゴ狩りとホテルのバイキングランチ。面白い組み合わせだね」 「リンゴも園内で食べ放題だそうだ」 「どれだけ大食漢が集まってくるんだろうね」  拓斗がくすくすと笑う。そうやって楽しんでくれるなら、誘いに来た甲斐があるというものだ。 「明日なんだけど、いける?」 「うん、大丈夫だよ。楽しみだなあ」  拓斗はなんでも楽しめる。日帰り旅行なんてめんどくさいと思っていた俺も楽しみになってきた。  翌朝、待ち合わせて駅へ向かう。駅前から貸し切りバスで出発するらしい。  バス集合場所には主婦らしき女性ばかりが集まっていて、男性は俺たちと、夫婦連れらしい旦那さんが一人だけだった。俺たちはモロにういている。 「……なあ、なんか居心地悪くないか?」 「そう? 僕は平気だけど」  そう言って拓斗は楽しそうに、にこにこ笑う。バスに乗り込む時も、座席についた時も、ずっとにこにこと楽しそうだ。 「なにがそんなに楽しいんだ?」  聞いた俺をちらりと見て、拓斗はいう。 「君と一緒ならどこでも楽しいよ」  俺は顔に熱が集中するのを感じた。拓斗はそれを見てますます嬉しそうに、にこにこと笑う。 「お兄ちゃんたち、高校生?」  前の席のおばあちゃんがシートの上から顔を出してたずねる。 「はい、そうです」 「学校はどこ?」 「茅島高校です」 「あらあ、成績優秀なのね~。うちの子は落ちちゃったのよねえ。もう子供もいる年だけどね。あの孫もどうかねえ……」  おばあちゃんは家庭の事情について長々と話しだした。拓斗はにこにこと相槌をうって聞いている。俺はあくびを噛みころすのに必死だ。 「ほら、これ食べなさい。どうせ朝ごはん食べてないんでしょ、最近の若者は」  おばあちゃんはミカンを二つ拓斗に手渡すと、ようやく自分の席に収まった。俺は拓斗に小声で「お疲れ様」と言ってやった。拓斗は苦笑いしながら俺にミカンを手渡した。  りんご園は、そのままずばり『りんご園』という名前だった。なんというか、いさぎよい。  収穫したりんごを入れるためのカゴと、枝切りばさみを借りる。りんごは園内でならいくら食べてもいいけれど、もってかえるヤツは金がかかるそうだ。一キロ千円。高いのか安いのかさっぱりわからない。俺と拓斗がのんびりと鋏の品定めなどしている間に、他の客はさっさとりんごを狩りに散らばっていった。 俺たちのすぐそばの木の下にやってきたおばさんは、さっそくりんごを一つもぎると、齧りだした。こちらにまでりんごの爽やかな香りがただよってくる。 「じゃ、俺たちも行くか」 「うん!」  カゴをぶらぶらさせながらりんごの木を見比べていく。どの木も立派で、りんごも綺麗な色つやをしているように見える。 「なあ、どれがいいりんごだと思う?」 「うーん、どれもきれいだよね。ためしに一つ食べてみよっか」  拓斗は適当に腕を伸ばして一つのリンゴをもぎり、噛み砕いた。 「どう? うまい?」 「うん! 新鮮だからかな、すっごく美味しいよ!!」 拓斗がかじりかけのりんごを俺の目の前に差し出す。 ああ、 「白雪姫みたいだな」 「え? 白雪姫?」 「そう。悪い魔女がりんごを半分かじってみせるんだ。それで、もう半分には毒が入っていて白雪姫は死んでしまう」 拓斗はふと笑う。 「りんごって悪さばかりしているみたいだね。聖書にもりんごは悪者ででてくるよね」 「そうなのか?」 「なにも知らずに幸せだったアダムとイブが誘惑に負けて食べちゃって、人間は永遠の命をなくすんだ」 「なんか、りんごっていいとこなしだな」 拓斗は次のりんごに手を伸ばし、刈り取る。 「そんなことないよ、おいしいよ」 そう言って笑う拓斗を見つめながら、俺はりんごをカシュッとかじった。 りんごは刈っても刈っても刈りきれないほどたわわだった。 俺たちは次々と赤く実ったくだものをもぎってはかじり、もぎってはかじりしていく。 「こんなに食べたら、ランチバイキングが入らなくなるね」 「それが狙いに違いないな。ランチバイキングの店と交渉してるんだ」 「はは、そんな悪代官なこと、今時しないよ」 拓斗に笑われてしまった。 けれど、その笑顔が嬉しくて、俺はつまらない冗談を誇りに思う。 拓斗に話したら、「親父ギャグの温床」と半眼で睨まれただろうけど。「猫が寝込んだ」 「トイレにいっといれ」 「白鳥がくしゃみした。はっくちょん」 いやいやいや、それらは必ず地雷を踏む。我慢だ、俺!!  拓斗は1キロ分ほどのりんごをカゴに入れていく。 「こんなに食べられるのか?」 「りんごジュースにすればあっという間だよ」  なるほど。好物の収穫か。それはなにやら効率が良いような気がする。 「あ、すごい、真っ赤なりんごだ」  それは店で売っているようなりんごとは違った。樹上で時間をかけて熟した、どこまでも赤いりんご。そうだ、きっと、聖書に出てきた果物はこんな見た目だったのだろう。  拓斗はそのりんごをもぎると、かしゅっとかじった。 「……なんだろう。今まで食べたことがないような味がする。ねえ、食べてみて」  拓斗が俺に真っ赤な果物を差し出す。  たしかにそれは、今まで見たことがないような真っ赤な果実で。拓斗がかじった時にもりんごとは違うような不思議な香りがしたようで。 「ねえ、どうしたの? 食べてみて」  それは誘惑の木の実のようで。俺はおののく腕を押さえながら真っ赤な果実を受け取り、かじった。それはやはり、今まで食べたことがないような魅惑的な味で。 「ね、知っているりんごと違う味でしょ?」  知ってしまったら引きもどせない魅惑の果物のようだった。  拓斗がくれた真っ赤な果実。俺はもう食べてしまったのだ。  結局、拓斗はりんごを2キロ収穫した。もちろん、持ち帰り用の話だ。そういえばキティちゃんの体重はりんご三個分と言う話だが、それならば、子猫としては結構重い。    ランチバイキングは、戦争だった。  とくにデザートコーナーがすごかった。ケーキは瞬殺。果物は徐々に。料理より先にそれらが消費されていった。 「とにかくバイキングに来たらケーキを取らなくちゃ」  とはバスで前の席に座っていたおばあちゃんの談だ。とかく女性はバイキングに強い。  俺はカレーライス、拓斗はなんとかのパスタなんかを食べていて、おばあちゃんに叱られた。バイキングでは単価が高いものから先に攻めるのが鉄則らしい。なるほど、勉強になる。助言に従って、俺はステーキ、拓斗は刺し身系に手を伸ばす。これでおばあちゃんに叱られずにすむだろう。  やはり、りんご食べ放題のあとのバイキングはきつく、俺たちは二度お代わりしただけで満腹になってしまったが、奥様方は別バラがあるのだろうか? 間断なく食べ続け、げっぷも出さずにバスへ戻った。なんというか、俺たちは完敗である。  その後、お土産を買う目的、というか、今回の旅行のスポンサーだろう、宝飾店に立ち寄ることになる。その時間、約二時間。 「……暇だな、この間」 「……そうだね。でも鉱石の勉強だと思えば」  拓斗は何事においても前向きだ。 「いらっしゃいまっせー。どうぞご自由にごらんくだっさーい」  黒いスーツを身につけた男女店員が宝飾店とは思えない軽い感じの声掛けをする。その声に導かれるかのように奥様方はショウケースに釘づけになる。  ある奥様はリングを試着し、ある奥様はイヤリングを耳に当て。皆様とっても楽しそうだ。  俺と拓斗と夫婦連れのご主人の方は手持無沙汰で店の隅にかたまっていた。 「君たちには、こういうものはまだ早いだろうね」 「はあ、そうですね」 「結婚したら、いや、そのもっと前から、女性は男にこういったものを求めるもんだよ。参考に見ておくといいよ」 「はあ。わかりました」  俺と拓斗がショウケースの方へ移動していると、ご主人に奥さんが買ってコールし始めたのが目の端にうつった。  なんというか、ご愁傷さまと言うか、ごちそうさまと言うべきか。 「いかがですかあ? こちらのリングなんか、高校生にも人気のデザインですよお」  俺がなんとなくショウケースをのぞいていると黒服の女性が近づいて来て、無駄に親身な笑顔で話しかけてきた。 「彼女さんにプレゼントに最適ですよお」  言われたリングを見てみると、お値段なんと、39800円。俺のスズメの涙の貯金じゃとても買えない。 「いや、はははは……」  微妙な笑いを浮かべて、少しずつ後退。フェードアウトする。拓斗は、と探してみると、熱心にショウケースをのぞいている。 「なんか面白いものあったか?」 「うん。プラチナとゴールドとシルバーでずいぶん値段が違うんだ。どれもデザインはほとんど変わらないのに」 「へえ。原材料自体の値段の違いなのか?」 「そうだよね、きっと。でも金よりプラチナが高いって知らなかったな」  俺なんかはプラチナって言葉すら知らなかったけどな。 「なあ、拓斗はこれ、土産に買うの?」  拓斗はくるりと振り返ると、小首をかしげた。 「誰に?」  俺は返答に困る。 「えっと……。美夜子さんとか?」 「無駄遣いするなって叱られちゃうよ」 「じゃあ……、南原さん?」  拓斗の表情が固まる。能面のように真っ白に見える。 「いや、えっと、あの……」 「君こそ、買っていけば、金子さんに」 「なんで金子が出てくるんだよ」 「ずいぶん仲よさそうじゃないか。いつも一緒でさ」 「いつも一緒って……あれはつきまとわれてるだけだ」 「その割に楽しそうですけど」  それだけ言うと、拓斗は店の奥へ歩いて行ってしまった。  人の気も知らないで! 金子の迷惑をこうむってる俺の身にもなって欲しい。  俺と拓斗はそれ以上話すことなく、2時間きっちり暇を持て余し、バスに乗り込んだ。  帰りのバスの中、いびきの大合唱が始まった。前後左右、すべての座席からいびきが聞こえる。居眠りしていないのは、どうやら俺と拓斗だけのようだった。  俺たちは、たがいに話すこともないまま、拓斗は窓外を、俺は通路を挟んだ隣のおばさんを、それぞれ眺めていた。 「帰り」  拓斗がぽつりと呟く。 「うん?」  俺は通路を見つめたまま答える。 「家によってよ」 「わかった」  バスはゆるゆると安全運転で、ゆるゆると帰りの目的地まで向かった。  駅前でバスを降り、拓斗は2キロのりんごを抱え、てくてくと俺たちは歩き出した。  やはり今も会話はない。  話すべきことも、話さざるべきことも、なにもかも忘れてしまったようだった。  拓斗の家についたが、美夜子さんは留守のようだった。どういう顔をしていいか分からず、俺はしかめつらで拓斗の部屋に足を踏み入れた。  拓斗はりんごを置くと、無言でくまの置物を手に取る。 「それ……」  口を挟もうとしたが、拓斗は無言でくまを解体していく。  鼻をひねり、額を押し下げ、右耳を中に押しいれ、後頭部を右へ。  複雑怪奇な動きを繰り返しながら、ポツリポツリと話しだす。 「これ、父さんからもらったお土産なんだ。八ヶ岳に上った時に買って来てくれた。僕はすっかり忘れていたけど、押し入れの隅から出てきたんだ」 「押し入れ?」 「うん。幼稚園の時に宝物を段ボールに詰めてさ、押し入れに隠したんだ。それを今までずっと忘れてた」 「リスみたいなやつだな」 「そうだね」  拓斗がふ、と笑う。ああ、笑ってくれた。 「それで、これの開け方も思い出したんだ」  くまのしっぽを中へ押し込むと、かちり、と音がした。拓斗はくまの体を半分に割る。  そこから出てきたのは、プラスチックの輪っかだった。 「? なんだ、それ」 「やっぱり、覚えてないよね」  拓斗が寂しそうに、それを机の上に置く」 「これ、君にもらったんだよ」  フラッシュバック、が起こった。幼稚園の時だ。そうだ、この輪っかは俺が拓斗にやったんだ。 「けっこんゆびわ……」 「そう。僕、すごく嬉しくて、だいじなくまの中にしまったんだ。忘れてしまってたけど、これ、僕の宝物だったんだよ」  忘れていたのはお互い様だ。  俺はそんなに小さい時から、拓斗を一人占めしたかったんだ。そのために結婚指輪を贈るんだって同級の女の子に教わったんだ。 「……ははっ。俺たち、馬鹿みたいだな。馬鹿みたいなことで喧嘩して」 「馬鹿みたいじゃないよ。僕は本気で怒ってたんだよ」 「俺だって本気だ。俺は指輪なんか……」  俺は言葉を飲み込みたくて下を向いた。でも、胸元まで上ってきたこの言葉は、簡単には飲み下せなくて。 「指輪なんか、お前にしかやらない」  顔を上げられない。  体が震える。  俺の視線の先、ばらばらに解体されたくまの姿がある。  あのくまは、俺の心かもしれない。  大事なものを守るために、ばらばらの欠片をつなぎ合わせただけのただのモザイク。  拓斗が、ぎゅっと俺を抱く。 「僕、あの指輪買えばよかった」 「……なんで」  答えなんかわかってる。そんなこと聞く必要ない。だって、俺は拓斗のくまだったんだから。 「病める時も健やかなる時も、ずっと君のそばにいるよ」  俺は、ばらばらに崩れ落ちそうな自分を感じた。それをつなぎとめるカギは、拓斗だ。拓斗がいるから、俺は俺の形を保てる。ずっと前から知っていたんだ。だから、俺は……。 「そばにいて……」  俺はただ、その言葉を口にすることしかできなかった。

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