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第4話

「ふぁ……あん!」  胡坐した拓斗の上に俺はゆっくり下ろされていく。お湯の浮力で、俺の体はらくらくと動かされる。ちゃぷちゃぷという湯音とともに、俺の中に拓斗が入ってくる。 「あっ、あっ、あっ……」  湯の暖かさと拓斗の熱さに、喘ぎ声が大きくなる。  拓斗が俺の耳に口をつけて囁く。 「春樹……、あんまり声出すとご近所に聞こえるよ」  そうだ。拓斗の家の浴室は玄関からすぐの場所にあるのだ。  俺は両手で口を塞ごうとしたが、拓斗は俺の手を掴んで離さない。 「ぃやっ、拓斗、ダメ、ああ!」 「なにがダメ?」 「こえっが、でちゃう……ああん! ひゃぁ!」  拓斗はわざと水音を立てるほどに腰を突きあげる。俺の手は拓斗の腰に固定されている。 「もっと、聞かせて、春樹の声」 「っあ、ダメ! だめぇ……」  拓斗は俺の胸に唇を落とす。  そっと口にふくみ、舌で転がす。 「やぁっ……!」 「どうしてそんなに嫌なの? 僕のことが嫌なの?」 「そんな……、わけ、ないっ」  俺は目を開いて拓斗の顔を見る。拓斗はにやにやと俺の目をのぞきこむ。  いつもは見せない拓斗の表情。俺にだけ、この時にだけ見せる顔。 「ほら、もっと動いて……。君が上になるって言ったんでしょ」 「いやぁ、やっん……そんなこと言ってないぃ……」  拓斗は俺の唇をべろりと舐める。 「そうだっけ? ふふふ、僕の聞き間違いかな」  俺の両脇を抱えて、上下に揺する。じゃぶじゃぶと水音が立ち、俺の腰は支えなくゆらゆらと揺れて、常にない感覚が背骨に伝わる。  拓斗のものだけが、俺の支柱になる。 「ほら、いってごらん。お湯の中で、どうなるかな」 「ふ……ん、ゃだあ」 「なにが嫌なの?」  俺は赤い顔で首を振る。 「恥ずかしいの?」  こっくりとうなずく。拓斗が俺の耳に口を寄せる。 「かわいいね」  その声にぞくりと震える。 「あっ! ぁあ!」  耳を噛まれ、かるくいってしまう。 「ほら、見て。君のだよ」  拓斗が湯から、俺が吐き出した粘性の液体を掬いあげ、俺の目の前で垂らしてみせる。それは、つうっと糸を引きながら落ちていく。俺は思わず顔を反らせる。  拓斗は指についたものをぺろりぺろりと舐めとっていく。 「おいしいなあ。春樹はどこもかしこもおいしい」  拓斗が首に噛みつく。俺はたまらず精を吐く。 「んっゃぁ!」  びくりびくりと反りかえるそれを、拓斗が握りしめ、上下に擦る。 「や、だめ、だめ、拓斗、触らないで!」  俺は感じ過ぎて、痛いほどの快感を引きはがしたくて、拓斗の手を押さえる。 「ふふふ、じゃあ、もう一回いこ?」  拓斗は俺の腰に手をかけると、ぐいぐいと前後に動き出す。 「やぁ……、もう、むりぃ」  ぐったりと、拓斗の胸によりかかる。拓斗は俺の尻を掴み、腰をぶつけ続ける。 「んあん、あん、や、だめ……」  俺は意味のとれない声を上げ続ける。だんだん甲高い声になっていき 「あぁぁぁっ!!」  頂点に到達した。  拓斗のものからも俺の体内にどくどくとぬめる液が注がれる。  唇が触れ合う。俺は拓斗に身をあずけ、唇で体を支えてもらう。拓斗は俺の髪を撫でてくれる。  ちゃぷん、と音を立て、拓斗の手が湯の中に沈む。その手が俺の腰を抱き、 「え、拓斗?」  拓斗はにっこりと笑う。 「もう一回、ね?」  それは悪魔の微笑にも似て。  ベッドに寝かされ、水を飲まされる。  結局、拓斗は二時間、俺を離してくれず、俺はすっかり湯のぼせを起こし、拓斗に抱きあげられて風呂からあがった。  そうだ。この「あがる」という言葉がそもそもの発端だ。  俺が「もうあがる」と言った言葉尻をとらえて拓斗が俺を担ぎあげたんだ。俺は上に乗りたいと言ったわけでは決してない。 「ごめんね、春樹。あんまり君がかわいいから、つい」  拓斗は口移しで水を飲ませる間にそんなことをのたまう。反論しようにも口を動かすのもだるいほど、体はいうことをきかない。  拓斗の「つい」に付き合っていたら、俺の身はもたないのではないだろうか。恐れを込めた目で見上げると 「?」  拓斗は天使の笑みで答えた。だめだ。勝てる気がしない。  俺は新年早々、完敗だ。 「初詣、どうする? 行けそう?」 「いや……。だるいな」  なんとか起きあがって、水を飲む。体はまだ熱を持って、ストーブを切った部屋の中だというのに、ずいぶんと暑い。  寒がりな拓斗はコートを着てこたつに入って震えている。自業自得だ。 「じゃあ、お雑煮だけでも作ろうかな」 「え、もしかして準備してたの?」 「とうぜん。お正月だからね」  台所に立つ拓斗を、俺は尊敬のまなざしで見つめる。  拓斗の家の雑煮は、透き通った出汁に蒲鉾と鶏肉、春菊、丸餅が入ったシンプルなものだった。 「これは美夜子さん流?」 「うん。北九州のほうのお雑煮だって。美夜子さんの出身、その辺だから」 「うちはじいちゃんの好みで作ってるから、伝統とか関係ないらしい」 「そうだろうね。ウインナーなんか入ってるもんね」 「あと、コロとかな」 「具だくさんでお腹にたまっていいよね」  俺が雑煮を食い終ると、拓斗がお代りをついでくれた。 「春樹はお餅四個だよね」 「おお。覚えてるのか」 「まあね。ね、僕、いいお嫁さんになると思わない?」  俺は餅をのどに詰まらせそうになって咽た。 「げは! がほ!」 「大丈夫? お水いる?」  首を横に振る。なんと返事をしていいかわからず、しばらく首を振り続けた。 「……ああ。死ぬかと思った」 「びっくりしたあ。新年早々、救急車を呼ばなきゃかと思ったよ。えーと。それで、何の話だったっけ?」 「さ、さあ? なんだったっけな。あ、そうだ! かくし芸大会みるか!」  俺は飲み込むようにしてのこりの雑煮を胃袋に収めた。 「うーん、テレビはもういいかなあ、昨夜の紅白で満喫したし」 「じゃあ、百人一首?」 「……してもいいけど、僕の圧勝だと思うよ」 「……ですよねー」  俺たちは、何もすることなく、ぼーっとする。 「ねぇ……」  拓斗が悪魔の微笑を浮かべてすりよってくる。やばい。 「おー! そうだ、やっぱり初詣行くかあ!! せっかくだしな!!」 「あ、そう? うん、じゃ、行こうか」  危なかった……。悪魔にすべてを吸いとられるところだった。  拓斗はありとあらゆる防寒を施し 「準備できたよー」  と嬉しそうに笑う。 「おー」  俺はシャツにセーター、ダウンジャケットのポケットに両手をつっこんでおわり。 「だめだよ、そんな薄着じゃ!! さっき倒れたばっかりじゃない」  いや、倒れるほどナサッタのはあなた様ですがね。拓斗は俺の首にぐるぐるとマフラーを巻き 「よし!!」  会心の笑みを浮かべた。 「どこ行く?」 「天満宮かな?学問の神様だし、きみは願掛けするべきでしょ?」 「俺は多くは望まない質だ」 「またまたあ」  電車を乗り継いで天満宮へ。 「うーん、受験シーズンだよねぇ。さすがに混むね」 「おい!! あそこの警備員、踊ってるぞ!!」 「警備員、じゃなくて交通誘導員だよ……って、ホントだ、踊ってるね」  人も車もごった返す参道口、交差点の整理をしている、その交通誘導員は、左から来る車を左手を立て華麗に停め、右の通行人を小粋に渡らせ、ステップを踏んで右から来る車を直進させる。  誘導灯はくるくるとワルツを踊るように回り、安全靴が刻むステップは、タップダンスを見ているよう。  信号がかわり、彼の仕事が一段落ついたとき、観衆から拍手が巻き起こった。  交通誘導員の彼は、片手を胸にあて、華麗なお辞儀をした。 「……すごいもん見たな」 「ね。来てよかったね」  動き始めた人波にのり、俺たちは鳥居にむかって歩いていく。  参道のわきには、たくさんの屋台が立ち並び、歩みののろい行進はしばしば良い香りを放つ屋台の前で立ち止まる。 「なあ、イカ焼き食べたくないか」 「だめだよ、お参りが先」  拓斗に袖を引かれる。  その後も焼き栗、たこ焼き、焼き鳥、焼きとうもろこしなどなどなど。胃袋を刺激する匂いの襲撃に、俺は耐えに耐えた。  境内に入ると屋台はなくなり、行列は横に広がり、一歩も先へ進めない状況が長く続いた。 「あ! 結婚式だ!!」  拓斗が拝殿を指差す。確かにそこには白無垢の花嫁と紋付き袴の新郎がいた。 「元旦に結婚式ってできるもんなんだな」 「すごいね、記念になるね」  参拝待ちの列のあちらこちらからカメラのシャッター音が聞こえる。みんな結婚式を遠巻きに撮影しているらしい。 「彼らにも記念だけど、今日ここで参拝した人にも、いい記念ができたね」 「そうだな、俺たちもな」  拓斗は遠く拝殿を眺めたまま、口を閉ざした。  横から顔をのぞきこんでみたが、意に介さない様子で真っ直ぐ前だけを見ている。 「拓斗? どうかしたか?」  拓斗はぽつりと呟く。 「白無垢って、いいよね」 「へ?」 「着てくれない?」 「へえ!?」 「ねえ、お願い」  拓斗は手を組んで、こ首をかしげ眉根を寄せて俺を見つめる。 「ちょ、それ、ただの変態だろ!!」 「似合うと思うんだ、小麦色の肌に」 「ただの部分焼けだよ!!」  いきなり言いあいを始めた俺たちを周囲の人が怪訝な目で見る。  ただでさえ拓斗の容姿は人目を引くのに、これ以上目立ってどうする!! 「わ、わかったよ! いつかな」 「いつかっていつ? 今から?」 「そんなわけあるか!! いつかはいつかだよ」 「わかった一月五日ね」 「それ、面白くねーぞ」  ぎゃわぎゃわと煩い俺たちは周囲の人のご迷惑になっていただろう。  けれど、拓斗の気を逸らすことが最優先課題だったのだ。ご迷惑を平にお詫びしたい。  小一時間立ちっぱなしで、やっと拝殿前にたどり着いた。  と、言ってもまだ最前列にはほど遠いがこの場所から賽銭を投げてお参りし、去っていく人が結構いる。 「ね、これ投げて」  拓斗が五円玉を俺に手渡す。 「あ、ここで終わらせる系?」 「僕はそれがいいな」  異論がない俺は五円玉を受けとると、せまいスペースでできるだけの投球フォームをとり、賽銭箱目掛けて投球した。 「ナイス……ピッチ……?」 「入った……のか……?」  あまりに遠い的にあまりに小さい球。はっきり言って五円玉の行方はさだかでない。 「ま、まあ、気は心だよね」  そう言うと拓斗は両手をあわせ 「なむなむ」  と呟いた。  俺たちは早々に参拝の列から抜け出し、社務所前に避難した。そこだって人であふれていたが、拝殿前よりは自由に動けた。 「御守りいるかな?」 「学業御守りならいらないぞ。実力勝負だ」 「……買っておいた方が良さそうだけどね〜」  失礼な拓斗の発言はスルーして先へ進む。 「あ、おみくじ引きたい」 「お、俺も」  ぐるりと円形に配置されたおみくじ自動販売機に50円玉を投入する。  出てきたのは 「凶……」 「あらら。でも、それは今の運勢だから、これからは上がる一方だよ。って誰かが言ってたよ」 「……下にはまだ大凶もあるよな」 「え、えっと」 「拓斗はなんだったんだよ」 「え、えっと」 「……さては」 「はい、大吉でございます」 「するいぞ! どんな良いことが書いてあるんだ!?」 「え、えっと……。あ!」 「なんだよ。そんなにいいこと書いてあったかよ」 俺は口を尖らせる。 「恋愛! この人より他になし!! だって!」  俺は思わず拓斗を見る。拓斗は満面の笑みで俺を見る。カッと顔に血が集まる。 「この人より他になし。だって!」  拓斗が繰り返す。俺は口を押さえてあらぬ方を向く。  その俺の耳を追って拓斗が言い募る。 「他になしだって! この人より!」 「わかったよ! わかったから!」  拓斗は執拗に俺の視線を追う。俺は逃げようと赤い顔のままぐるぐる回る。 「ね、凶にはなんて書いてあるの? 恋愛!」 「お、おう。えーとな。恋愛……」 「ねえ、なんて?」 「いや、大したことじゃないよ」 「えー。逆に気になるよ。見せてよ」 「だ、ダメだって! 悪いおみくじは人に見せちゃいけないんだって」  拓斗が頬を膨らませる。 「そんなこと聞いたことないよ」  俺は拓斗の隙をついて、おみくじをポケットにしまった。 「ちぇー。けち」  むくれる拓斗の頬をつついて、手を握る。拓斗が驚いて目を見開く。  俺は耳まで真っ赤になっているだろう。 「ほら、いくぞ」 「うん!!」  拓斗は満面の笑みでうなずく。俺はそちらを見ていなかったけど、声だけでわかる。  だって俺たちは「逃したら他に縁なし」の恋愛運だそうだから。おみくじに、そう書いてあったんだから。天神様の言うとおり、だ。  帰りの参道で俺は焼き餅を、拓斗は焼き栗を買い、歩きながら食べた。 「焼き栗って、フランスではあちこちに屋台がたつほどメジャーなんだって」 「へー。天心甘栗じゃないんだな」 「ヨーロッパだしねえ」 「中国からは遠いか」  拓斗がにこっと、俺の顔をのぞきこむ。 「ね、いつか一緒に行こうね」 「ヨーロッパか?」 「どこでもいいんだ。君となら、中国でもヨーロッパでもインドでも」 「インドかあ。インドは楽しそうだな」 「ね! じゃあ行こうね!!」 「いいけど、拓斗、そんなに旅行好きだったか?」 「うん、好き……だけど」 「だけど?」  拓斗が立ち止まって俺の腕を引く。 「春樹と行きたいんだ。君と色んなものを見たい。君と色んなことを知りたい。そうしたら、僕はもっと世界を好きになれると思うんだ」  拓斗の瞳は真剣で。  今まで見たことがないくらい真剣で。  俺はその切っ先におののいた。 「春樹?」  呼ばれてはっと我にかえる。 「春樹、大丈夫?」 「あ、ああ。大丈夫。ぼーっとしてた」 「人波に酔ったかな?どこかで休も?」 「あ、ああ。」  わけのわからない感情に翻弄されて、俺の脳みそはカラカラと空回りしている。  今すぐ拓斗の手を振りほどきたいような  永遠に抱き締めていたいような、  不思議な気持ちに揺さぶられて、俺はくらくらと目眩を感じていた。  帰り道、田んぼの中の一本道を、俺は拓斗に手を引かれて歩いた。  出掛けるのが遅かったせいで、空は真っ赤に夕焼けていた。 「良い天気でよかったよね」 「そうだな、お日柄もよく、な」 「あの花嫁さん、幸せになれると良いね」 「きっと大吉を引いたさ」 「……そうだといいね」 「お前も幸せになれるさ」 「他人事みたいにいわないでよ」 「なんで? おれは凶だぞ」 「僕の幸せは、春樹がいることだよ。大丈夫、良い運勢なら僕のを分けてあげるから」  俺は拓斗の顔を見つめる。拓斗はにっこり笑うと、ちゅ、と軽いキスをくれる。 「僕は春樹といれば、いつだって、幸せだよ」  ああ、きっと拓斗は何度でも、そう言ってくれるだろう。そして俺を幸せにしてくれる。だから俺は前を向いて歩いていける。 「ずっと幸せでいようね」  拓斗が俺の手を引いて歩き出す。 「そうだな」  手を強く握り返す。  俺たちの影はどこまでも長く伸びていった。

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