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第10話 潜伏

 それから拓斗は春樹を避け続けた。  席が隣どうしだというのに、春樹は拓斗を捕まえられずにいた。休み時間になると拓斗は声をかける間もなくどこかへ消えてしまい、授業が始まるぎりぎりまで戻ってこない。  授業中にこっそりと話しかけても、完全に無視された。  夕焼けの赤い陽を浴びながら、球児たちの掛け声がグラウンドにこだまする。春樹はライトの位置に立ち、けれどこころはどこか遠くに飛んでいた。  その腕にボールが当たった。 「てっ!」 「すまん、春樹、大丈夫か!」  グラブを抱えた山本が駆け寄ってくる。 「ああ、大丈夫だ。ちょっとぼうっとしてた」  監督が大股に近づいて来て、春樹の袖を捲りあげ腕の様子を見た。赤く腫れてしまっている。 「とにかく冷やせ」  監督の命令で春樹がベンチに戻ると、そこに桐生が立っていた。グラウンドに立つには場違いな細身のスーツに身を包んだ姿は、空調の利いたオフィスに出もいるかのように涼しげだった。 「大丈夫ですか、牟田君。アイシングしましょう。座って」  桐生はてきぱきと手を動かし、的確な処置を施していく。アイスバッグに氷と水を入れ、患部にあててタオルで覆いテーピングする。  春樹はされるがまま、ぼんやりと桐生の手元を眺めていた。 「どうかしましたか?」  桐生の声にハッと我に返り、春樹はあわてて首をふる。 「いえ、なんでもないんです」  春樹は桐生と目をあわせないように下を向いた。 「何かあったらなんでも相談して下さい、部活以外のこともね。私はそういう時のためにいるんですから」  ちらりと桐生を見上げる。桐生は優しそうな笑みを浮かべていた。春樹は顔を上げ口を開きかけた。 「先生、じつは俺……」 「春樹、腕は冷やしたか?」  監督がやってきて春樹の腕をとる。 「お、完璧じゃないか!」 「桐生先生が手当てを……」 監督はにんまりと顔いっぱいに笑うと、桐生の背中をバン!!と叩いた。 「さすが、科学の先生! 科学的に正確な治療ですな!!」  桐生は曖昧な笑みを監督に返す。 「桐生先生、ぜひ彼らにコーチしてやってくださいよ! 野球経験を活かして科学的に!」  監督は、苦笑いを浮かべた桐生を無理矢理連れていってしまった。  そのまま春樹は桐生と話す機会もなく部活を終えた。  帰り道、拓斗の家の前を通りかかり、 春樹は門をくぐろうかどうしようかと手を伸ばしたが、その手を門にかけることができず、手を下ろしてしまった。見慣れた玄関灯の光が今夜はなぜかとても冷たいものに感じられた。春樹は背を丸め、うつむきがちに自宅へと戻った。 「ますたー!!いったいどうしちゃったんですかぁ!」  放課後の野球部の部室へ続く渡り廊下。  すっかり待ち伏せポイントになったその場所に、金子が立っていた。 「なんで拓斗ちゃまは、ますたーを避けてるんですかあ!!」  涙目で春樹の腕に取りすがる金子を、引き剥がす元気もなく、春樹はただ溜め息をついた。金子はそんな春樹の腕にすがりつき、引っぱる。春樹はされるがまま校舎裏まで引きずられていった。 「なんでだまってるんですかあ。拓斗ちゃまを怒らせるようなことしちゃったんですかあ?」 「知らねえよ。突然ああなったんだよ」 「うそです! なにか心当たりがあるはずです!」 「そんなんねえよ!! あったら俺が教えて欲しいよ!!」  春樹の怒鳴り声に金子は怯み手を離した。  気まずい沈黙に、春樹は視線をそらす。 「ごめん……。お前に怒鳴ってもしょうがないよな」 「ますたー……」 「ありがとな、心配してくれて。きっとさ」  顔をあげ、無理に作ったような微笑を浮かべる。 「きっとさ、拓斗のやつ、くだらないことで腹立ててるんだろ。すぐに元に戻るよ」  金子は眉根を寄せて春樹を見つめていたが、思いを払うように首をふり、笑顔をうかべてみせた。 「そうですよね! 私、いつまでもお二人の味方ですから。何かお役にたてることがあったら、言ってくださいね」 「ああ、ありがとう」 元気に手をふって金子は教室の方へと駆けていく。春樹はその背中に小さく手をふりかえし、小さな溜め息をついた。  放課後の科学準備室に、拓斗はいた。  桐生の体の下、いいように嬲られて。 「ほら、どうしたんですか? 我慢しないで。イイ声で啼いて下さいよ」  桐生が体を揺すりあげる。 「……っ!!」  拓斗は息をのみ、口を大きく開いたが、すぐにぎりぎりと歯を噛み締め、声を押さえた。 「強情ですね。あの頃は素直に感じてくれていたじゃないですか」  桐生の細く長い指が拓斗の体を這う。それを追うように唇を近づけ、歯を立てる。 「!! やめっ……!!」 「やっと声を出してくれた。痕が残るのは嫌ですか?」  赤く歯形をつけたところを、桐生の舌がぬるりと舐める。  拓斗は桐生を睨みあげて歯をむき出す。 「お前のすることも存在も嫌に決まってる」 「つれないですねえ」    体に指を這わせながら、桐生はぐっと拓斗に顔を近づける。 「でも言いなりになるしかないですよねえ。大事な大事な春樹くんのためですからね」  顔をそむける拓斗の顎をつかみ、正面を向かせ、その唇をべろりと舐める。 「さて、それじゃあそろそろイカセてもらいましょうか。野球部の練習に参加しなければなりませんから」  拓斗は桐生の顔を睨めつける。 「……春樹に何かしたら、お前をゆるさない」 「ははっ。怖いですねえ。大丈夫ですよ。あなたがこうして私の言うことを聞いてくれる限り、彼に手出しはしません」  そういうと桐生は拓斗に強く腰をぶつけた。拓斗はせり上がる息を飲み込み、耐えることしかできなかった。

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