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第11話 韜晦

「炎色反応をしっかり確認するように。それでは実験を開始して下さい。くれぐれもバーナーの扱いには気をつける事」  桐生の言葉に、生徒達はおのおの作業を開始した。  春樹は隣のグループにいる拓斗の背中をぼんやり眺める。同じクラスにいるのにわざわざ別のグループを選ぶなどということを初めて体験して、言い難い違和感を感じていた。  もう二週間も拓斗と話をしていなかった。拓斗は春樹を避け続け、その目を見る事すらできないでいた。  どうしたらいいんだろう。  春樹はずっと自分に問い続けている。拓斗とこのまま離れていくことになったら、と思うと底知れぬ闇に飲まれようとしているかのような恐れを感じた。 「牟田君、白金線、洗浄して」 「あ、ああ」  よそ見をしていた春樹に、試験管を熱していた女子が白金線を差し出していた。春樹は受け取ろうと手を伸ばす。その手は塩酸の入ったビーカーを倒してしまった。 「あっつ!!」  こぼれた塩酸が手にかかり、春樹は小さな叫び声を上げた。その時、拓斗が振り返り、春樹の方へ一歩を踏み出した。 「大丈夫ですか、牟田君。早く水で流して」  桐生が大股に近づいて来て春樹の手を取るとシンクの蛇口を開き、大量の水をかけていく。水がはね、桐生のスーツの袖を濡らしていく。 「せ、先生、大丈夫です。スーツ濡れちゃいますから」  春樹は桐生の手から手を離そうとするが、桐生は軽く眉をひそめる。 「そんなこと気にしなくてもいいです。手当が先です」  教師の優しい心づかいが嬉しく、春樹は自分より身長が高い桐生の顔を見上げ、微笑んだ。拓斗はその笑顔をしばらく見つめていたが、そっと自分の席に戻って行った。   「春樹に触れるな」  桐生は拓斗のものをやんわりとその手で揉みしだきながら、くすくすと笑う。 「まさか、授業中のことですか? 私は教師ですよ、生徒が危険な目にあっていたら助けるのが筋でしょう?」  ぐいっと拓斗の腕をひき、自らの胸に抱きとめ顎に手をかけ、上向かせる。拓斗は強く桐生を睨む。 「あなたの嫉妬心で火傷しそうですね」  桐生は拓斗の唇をべろりと舐め、耳に口を寄せる。 「春樹くんが怪我をするたび、私は彼に触れますよ」  拓斗はもがき桐生の手から逃れようとする。 「春樹になにかしたらお前をゆるさない」 「ふふふ。怖いですね。私はなにもしませんよ」 「信じられるもんか」  拓斗を机の上に座らせると、ぐいっと足を広げさせる。 「信じてもらえないのは悲しいですね」  桐生は拓斗の脚の間に体を割り入れ、侵入していく。 「うっ、くっ!」  拓斗は眉間に皺を寄せ必死に耐える。 「いいですね、その表情。すごくセクシーだ」  桐生の言葉に拓斗は顔を反らせ目をつぶる。桐生は拓斗の首筋に噛みつくようにキスする。 「やっ! やめろ!」 「ふふふ、大丈夫です、痕がつかないようにしますよ」  その時、隣の科学室の方でカタリと小さな音がした。拓斗はハッと息をのみ、動きを止める。桐生はお構いなしに体を揺すり続ける。 「拓斗、いるか……?」  拓斗の体がびくりと跳ねる。扉の向こうに春樹がいる。拓斗は両手で桐生を押しとどめようと押さえるが、力の差は歴然としていた。  身をよじり逃げようとする拓斗の腕をつかみ、ネクタイをはずし拓斗の両手を縛り上げてしまう。その腕にキスを落としながら、桐生は拓斗のものを扱きあげる。 「!!」  拓斗は息をのむ。桐生の手の中で拓斗のものがちゅくちゅくと小さな水音をたてた。しかし、分厚くカギのかかった扉の向こう、春樹にはその音は届かなかった。ただ人がいる気配だけが伝わり、春樹は扉越しに話しかけた。 「拓斗、いるんだろ。話したいんだ。出て来てくれないか」  拓斗は桐生の体を押しやろうと腕を動かそうとするが、桐生は片手でそれを封じ、もう片方の手で拓斗を扱き続ける。拓斗の息はどんどん荒くなっていった。扉を祈るような目で見つめ、拓斗は春樹の声に耳をすませた。 「なあ、拓斗……」    春樹は扉の前、けれどそれ以上どんな言葉も出てこなくなってしまい、立ち尽くす。  扉のすぐ向こうに拓斗はいるのに……。  春樹は小さなため息を一つつくと、科学室をあとにした。  拓斗は春樹が去った気配を察し、ほっと息を吐く。 「つまらないですね」  桐生は拓斗から体を離し、その腕からネクタイをはずす。 「……つまらない?」 「せっかく君のかわいい声を聞かせてあげようと思ったのに。君の春樹くんは薄情ですね」 「ちがう! 春樹は……!」  拓斗は桐生の目を見つめ、言葉を絞りだそうとする。桐生はじっと拓斗の目を見つめ返し、ふいっと顔をそむけた。 「まあいいでしょう。興がそがれましたね」  言い置いて、桐生は身なりを整えると、扉のカギを開ける。 「そうそう」  振りかえり、にっこりと桐生は続ける。 「私は野球部のコーチをすることになりましたよ」 「それがなんだ」 「春樹くんの投球フォームを一から見直すことになったんですよ。私が、手取り足とり、ね」  目を見開く拓斗を、可笑しそうにくすくす笑う。 「ふふ、そんなに心配しなくてもいいですよ。彼には手を出さないという約束ですからね」  拓斗は小走りに桐生に近寄ると、その腕にすがりついた。 「春樹は……! 春樹には手を出さないで!」  桐生は拓斗の身を抱きすくめると、小さくキスをした。 「大丈夫ですよ、大丈夫」  優しく拓斗の髪を撫でる。 「約束は守りますよ」  拓斗の頭を胸に抱き、桐生はひそやかに笑った。

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