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第14話

「ますたー!」  とつぜん呼ばわれて振り替えると、金子が髪を振り乱して走ってきていた。 「金子? どうしたんだ?」 「たいへんなんです!! ちょっと来てください!!」  金子が俺のユニフォームの袖をにぎって引っ張る。 「ちょっと来てって、まだ練習中だ」 「のんびり野球なんかしてる場合じゃないです!!」 「のんびりって……。一生懸命やってるんだがな」 「いいから、早く!」 「どうしました?」  山本のバッティングフォームを見ていた桐生先生が、いつのまにかそばまで来ていた。金子はなぜかひきつった表情で桐生先生を凝視している。 「金子さん、牟田君になにか急用でも?」 「いえ、あのう……。急用と言うほどでは……」  言いながら、金子はじりじりと後ずさっていく。 「おい金子、どうしたんだ、お前変だぞ」 「ますたー、練習が終わるまで待ってますから! お話があります!」  金子はそれだけ言い残すと、踵を返し校舎の方へ走って行った。 「なんだ、あいつ」 「金子さんは、牟田君のことをマスターと呼ぶのですか。なにか意味があるのですか?」  桐生先生がにこやかに聞いてくる。金子め、無用な波風たてやがって。 「いや、あの、とくに深い意味は……。ただのあだ名です」  俺がもごもごと言う言い訳に、桐生先生は、ふと相好を崩す。 「そうですか。仲がいいんですね」 「仲は……、普通です」  桐生先生は、はははと笑って、俺の背中をぽんと叩いた。 「さあ、練習に戻りましょう」 「はい!」  俺は帽子をかぶり直し、ピッチングに戻った。  制服に着替えて部室から出ると、暗闇から声が聞こえた。 「ますたー、ますたー、こっちです」 「なんだよ金子、そんな暗がりにいないで出て来いよ」 「秘密のお話があります。どうぞこちらへ」 「????」  いつも変な金子だが、今日は輪をかけて変だ。しかしその声は断固としていて有無を言わせない迫力がある。俺は言われる通り暗がりをくぐり、金子の後についていった。  たどりついたのは科学準備室。真っ暗な部屋の中、俺と金子は向かい合う。 「なんで電気つけないんだよ」 「人に見られたくないからです」  金子はヒソヒソ声で返事をする。 「ますたーも声をひそめて」  俺は一応、言われたとおりに声を低める。 「で、なんの話だよ」  この部屋にやって来た時点で見当はついていた。しかし、それを俺の口からは言いたくはなかった。言葉にしたら、不安が本当のことになってしまうような気がして。 「拓斗ちゃまは、トラブルに巻き込まれています」 「なんだって?」  予想もしない言葉。俺は膝を乗り出した。 「今日の放課後、拓斗ちゃまは科学準備室に来ました。その後すぐ桐生先生がやってきて、二人は科学準備室で何かを話していました」 「おまえ、また性懲りもなく尾行してたのか」  俺のツッコミを、金子はまるっと無視した。と、いうより、軽く俺を睨んできた。 「科学準備室にはカギがかけられていました」 「……それがなんだよ」 「科学準備室からでてきた拓斗ちゃまは、今にも倒れそうな、ひどくショックを受けたような様子でした」 「……」 「なにか、人に話せないようなことが拓斗ちゃまの身の上に起きています。傍観している場合じゃないです。拓斗ちゃまと話をして下さい」 「桐生先生と話してたなら、そういう悩みを相談してたんだろ」 「桐生先生を、いえ、桐生を信用しないでください」 「なんでだよ。お前なにか隠してるのか?」  金子は無言で俺を睨み続ける。俺はなぜか気まずくて目をそらした。 「話はそれだけです。さようなら」  そう言い残すと、金子は静かに部屋を出ていった。 「……なんなんだよ」  わけがわからない。金子が何を言いたいのか、桐生先生がなんだとか、拓斗が……、どうしたとか。 「わかんねえよ」  帰り道ずっと、俺の頭の中で金子の言葉がぐるぐると回り続けた。拓斗がトラブルに巻き込まれている。  そんなわけはない。  拓斗は何かあれば、いつも俺に一番に話すんだ。俺に秘密にすることなんか……。  いや、ほんとうにそうだったか?  俺の知らないところで、拓斗は何かに悩み続けていたんじゃないか?  そうだ、親父さんのことだってそうだ。親父さんが亡くなってしばらくの間、拓斗は俺のことを避けてはいなかったか? 俺は拓斗がただ落ち込んでいるだけなんだと思って、くわしく話をきかなかった。  あの時も、拓斗は本当は何か困ったことにあっていたんじゃないのか? それを誰にも相談できなかったんじゃないのか?  俺はいてもたってもいられなくなって、拓斗の家に走って行った。  ドアベルを押すと、美夜子さんが顔を出した。 「あら、久しぶり。拓斗なら出かけてるわよ」  美夜子さんは今日も飄々としている。俺は、俺の焦りと美夜子さんの落ちつきの落差に、さらに焦りを募らせた。 「どこに行ったんですか!?」 「それがねえ、最近なにも言わずにふらーっと出て行っちゃうの。二、三時間したら帰ってくるんだけどね」 「二、三時間って……」 「一時間前くらいに出ていったからまだ帰らないかな」 「……そうですか」 「あがって待つ?」 「いえ、いいんです。お邪魔しました」  ドアを静かに閉めて、俺は途方に暮れた。拓斗は俺を避けるために、俺が帰るくらいの時間をみはからって、留守にしているんじゃないか? そんなに俺に会いたくないのか?  だけど……。俺は諦めるつもりはない。このまま、お前を。  無言でドアを開けた拓斗の手をつかむ。拓斗はびくっと身をすくめ俺を振り返った。 「……春樹」  俺は拓斗の手を引っ張り門の陰に移動する。俺はそこに一時間ひそんで、拓斗を待っていた。俺が姿を見せたらきっと逃げていってしまうと思ったから。その考えは間違っていなかったようで、拓斗は俺の腕を振り払おうともがく。俺は全力で拓斗の腕を握りしめる。 「拓斗! なにがあったんだ!?」  拓斗の体がびくりと跳ね、動きが止まる。 「俺に話せないような事なのか?」  拓斗は顔を背けたまま唇を噛んでいる。 「俺じゃ……、役に立てないのか?」  俺の言葉に拓斗は背を震わす。俺は…… 「春樹! 春樹!」  突然、拓斗の腕の中に抱きすくめられた。拓斗の目からこぼれた涙が俺の頬を暖かく濡らす。俺はなにも言ってやることができなくて、そっと拓斗の背中に腕を回した。そうしてしばらく抱き合っていると、拓斗が静かに口を開いた。 「僕は春樹を裏切ってる。だから、もう春樹を好きでいる資格がないんだ」  俺は拓斗の顔を見上げる。拓斗は俺から目をそらし、体を離そうとする。俺は拓斗にしがみつく。 「なんだよ、それ! 資格とか……裏切るとか……、わけわかんねえよ! ちゃんと話せよ!」  拓斗はむりやり俺を引きはがすと 「ごめん」  それだけ言い残して、家の中に入って行った。残された俺は無力感で押しつぶされそうになりながら、それでも拓斗を求めていた。

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