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第19話

 部員がみんな帰ったあとの野球部の部室。掃除当番の俺が一人でいるところへ突然、桐生先生がやってきた。  驚いて動けない俺を、冷たく光るシルバーフレームの眼鏡の奥、冷ややかな目が俺の視線を捉えた。  俺は身をすくめ、じりじりと後退していく。 「一人きりなのですね。好都合だ」  そう言った桐生先生の姿は、引き締まった肉食獸に似て。にらまれた俺は怯えた兎のようにビクビクと震えるだけ。  そんな俺を冷ややかな微笑で見つめながら、先生は俺の腕を引いた。 「……っ!! や、やめてください!!」 「嫌なのだったら大声で助けを呼べばいい」  桐生先生の腕が、俺の腰を抱き引き寄せる。その目は俺を射殺そうとしているかのように冷たくキツく。  桐生先生の手が俺の首にかかる。抗おうとしても力ではかなわない。俺は恐怖で掠れた声を出すのが精一杯だった。 「やめて……ください」  桐生先生の唇が俺の口に噛みつくように覆い被さる。俺は頭を振って逃れようとしたが、先生は片手で俺の動きを封じてしまう。  口中を蹂躙され、やっと唇が離れた時には、俺の膝はなさけなくガクガクと震えていた。先生の唇は俺の首におとされた。 「……なんで」  喉から絞り出した声に、先生の動きが止まる。 「俺のこと嫌いなのに、なんでこんなことするんですか……」  先生は顔をあげると嬉しそうに俺に微笑みかけた。 「本当に君は可愛らしい……。愛のないところにはキスもないと本気で思っているのですね」  楽しそうにくすくすと笑う。その屈託のない笑顔は俺をリラックスさせ、俺は先生の口から「全部冗談ですよ」という言葉が出ることを期待した。だけど 「そんなところがキライですよ」  俺の肌がざわりと粟立つ。先生の視線は俺の首に絡まりつく。  先生の脇をすり抜け扉に向かって走る。あと一歩のところを、腕を掴まれ床に引きずり倒された。先生が俺の腹に馬乗りになる。 「大人しくしていないと、怪我をしますよ」  俺は構わず先生の体の下から逃れようと身をよじる。 「私が君に怪我をさせたら、野球部は不祥事で試合に出られなくなりますね」  俺はぴたりと動きを止めた。 「それも楽しそうですね。私はどちらでも構わないのですよ。さあ、どうします」  俺はもがいていた動きをすべて止め、ゆっくりと腕を下ろした。 「ものわかりがいい」  先生の手が俺のシャツのボタンにかかった時、 「春樹?」  扉が開き拓斗が入ってきた。俺と桐生先生を一目見るなり拓斗は先生に飛び掛かろうとする。 「ダメだ、拓斗!」  俺の叫びに拓斗の足が止まった。 「春樹?」 「……やめてくれ、拓斗」  俺は片腕で目を覆いながら懇願する。 「春樹、……なんで?」 「合意の上だからですよ」  桐生先生が嬉しそうに口を開く。 「彼が私に抱かれてもいいと言ったのですよ」 「ふざけるな、誰が……」 「やめて!」  桐生先生の肩に手をかけ引き剥がそうとする拓斗を俺は制止する。 「ほんと……ほんとなんだ、拓斗……だから、やめて……」  拓斗は炎のような瞳で俺をにらむ。けれど先生の肩にかけた手から力が抜けることはなく、一層強く拓斗は俺から先生をもぎはなした。 「桐生……お前をゆるさない」  拓斗が静かにそう言うと、先生は心底嬉しそうに笑った。 「嫉妬に狂った、といった顔をしていますよ。あなたにはその顔が一番似合う」 「ふざけるな」 「ふざけてなどいませんよ。それより、どいてくれませんか? 情事の最中なんですよ。邪魔しないで欲しいですね」  先生に殴りかかろうとした拓斗の腕に、俺はすがりついた。 「ダメだ、拓斗!!」  拓斗は無言で俺の手を振りほどこうとする。俺は必死にしがみつく。 「やめてくれ!怪我をさせたら夏大が!」 「夏大?」 「試合に出られなくなる……」  拓斗は静かに腕を下ろす。その瞳から炎が消え、いつもの涼やかな目に戻る。俺はほっと胸を撫で下ろす。 「つまらない」  静かに俺たちの様子を見ていた先生が呟く。カツ、カツと靴音をならしゆっくり俺たちに近づいてくる。後ずさる俺の前に拓斗が立ちはだかる。 「あなたはまるで牟田春樹のナイトですね。ですが、甘やかしていたら」  先生が拓斗の胸ぐらを掴み引き寄せる。 「どこの誰についていくかわかりませんよ、その尻軽は」  拓斗の胸を突き放し、冷ややかに俺たちを見下ろした先生は静かに扉を出て行った。  水をうったようにしんとした部屋のなか、俺は動けずにいた。  拓斗が静かに振り向く。その目には再び炎が宿っていた。 「ほんとなの?」 「え?」 「合意したってほんとなの?」  俺はなんと言ったらいいのかわからず、下を向いた。たしかに脅されていたとは言え、俺はあの時腕を下ろした。それは間違いないことで。 「ほんとなんだね」  拓斗の両手が俺の首にかかる。ゆっくりと力が込められる。だんだん息が苦しくなる。拓斗は俺の唇にそっと口づけを落とす。  拓斗は優しく俺の唇を舌でなぞりながら、首にかけた手に力を込め続けた。  呼吸が苦しい。目が霞む。思わず俺は拓斗の腕に爪を立てた。けれど拓斗は力を抜いてはくれず、俺は酸素を求め口を大きく開いた。その口も拓斗のキスで塞がれた。 「何してるですか!?」  ふいの大声に、拓斗の手から力が抜ける。俺は拓斗から逃れ、げほげほとむせた。 「何してるですか? なんでますたーを……」  金子が目を見開いて拓斗と俺を見比べている。 「君も、僕の邪魔をするの?」  拓斗はゆっくりと金子に近づく。金子は気圧されたように後ずさる。 「拓斗!」 振り向いた拓斗の目は、怒りとは違う炎に彩られ、ぞくりとするほど美しかった。 「……拓斗、いったいどうしたんだ」  金子は拓斗の背中をしばらく見ていたが、くるりと身を翻すと走って逃げていった。支えを失った扉がぱたんと閉まる。 「ゆるせないんだ」 「……え?」 「君に触れる何もかもが、ゆるせないんだ」  拓斗は手を伸ばし、俺の頬にそっと触れる。 「誰にもさわらせたくない、見せたくない。誰も見ないでほしい」  ぎゅっと拓斗の胸に抱きすくめられた。 「僕だけを見て、僕だけを感じて、僕だけを思って」  拓斗の言葉に、俺は恐怖を感じる。 「誰もいない世界で二人きりに……」  その言葉に憧憬を感じる俺に、恐怖を覚えたのだ。  拓斗は自分からその言葉を発しているのだろうか?それとも、もしかしたら、俺が、そうさせたのだろうか?  拓斗だけを見ていたいのは俺。  拓斗だけを感じていたいのは俺。  拓斗だけを思っていたいのは俺。  誰もいない世界に拓斗と二人きりになりたいのも俺。  俺は拓斗の体を抱き締める。できることならこの体を裂いてその魂まで抱き締めてしまいたい。  拓斗の肩に頬をあずける。拓斗のキスが降ってくる。首を伸ばし、キスを受け止める。拓斗は俺の頬を両手ではさみ、優しく俺の目を見つめる。 「……本当に行こうか、誰もいない場所へ」  俺は返事を返せない。ただ、拓斗の言葉に酔いしれて、うっとりと目を閉じた。  拓斗のキスが唇に頬に目蓋に落ちる。俺を味わおうとするかのように舌でなぞる。耳を、首を、胸元を。手の指を、手のひらを、手の甲を。  優しいその感触に、俺のものに血が集まる。  拓斗は俺のシャツをゆっくり脱がせると、肩に、胸に、腹にキスをする。床に膝まずき、俺の手を握り、まるで祈るように。  ベルトをはずし、下着ごと服を剥ぎ取り、俺のものを口に含む。 「んっ!」  びくりと肩が揺れる。  ちゅくちゅくと水音を立てながら、拓斗の舌が俺を味わっている。俺の腰から力が抜け、拓斗の肩に両手をついた。拓斗は俺の腰を支えると強く吸い付き激しく動く。 「っあ! あぁ……」  俺はたまらず精を吐く。拓斗はそれを一滴残らずすすり飲んだ。そうしてまた柔らかくなったものを撫でるように噛むように様々になぶり、固く太く育て上げる。 「ぃや……、拓斗、もう……」  けれど拓斗はゆるしてくれず、俺を戒めたまま舌で愛撫を続ける。達したばかりの場所に、その刺激は強すぎて、俺の腰はひくひくと痙攣した。  つぷり。  後ろに拓斗の指が差し込まれる。 「あん!」  俺の喉から甲高い声が出る。  指は二本、三本と増やされ、ゆるゆると出し入れされる。そのたびに俺の口から、鼻にかかった声が出て拓斗を誘う。  拓斗が動きを速め、俺は二度目の精を吐いた。拓斗が手を離すと立っていられず、床にへたりこんだ。拓斗は俺に覆い被さり、口づけをくれた。  ゆっくりと俺たちは互いを貪りあう。すべてをすすり、飲み干すように。  唇が離れたと思うと、ぐいっと腰を持ち上げられ、一気に拓斗が入ってきた。 「ぁぁあ!」  体の芯が痺れるような衝撃。その衝撃が収まらないうちに拓斗が動き出す。にちゅにちゅといやらしい音が部室に響く。日暮れて真っ暗な室内に俺たちは蠢く。 「……あ、だめ!」  深く穿たれて俺は三度、吐精した。  拓斗は俺の体を反転させ、腰をぐいっと持ち上げる。俺は床に頬をつけ、ぐったりとする。  拓斗の指が俺の背筋を下から上へなぞる。 「……!」  声にならない声。  指は何度も何度も往復する。   「っやめっ……、たく、」 「誰にもさわらせたくない」  拓斗のキスが背中に落ちる。 「……ぁあ!」 「誰にも聞かせたくない」  拓斗の動きが速くなる。 「……ぁ、や、もう、……むり……」 「いこうか?」  俺はがくがくと首をふる。けれど拓斗は動きを止めてくれず、俺は内蔵を掻き回されるような苦しさを感じた。 「春樹、春樹、春樹、春樹、はるき!!」  小さく叫んで、拓斗が放った、その衝撃で俺も果てた。  抱き合ったまま、ぼんやりと天井を見上げる。月の光が差し込み、電灯の影が天井に長く伸びる。電灯の影なんて矛盾したこと、今まで考えたこともなかった。 「春樹……」 「春樹……」  拓斗は呟きを繰り返し、俺の髪を撫でている。俺はぎゅっと拓斗に抱きつく。 「このまま消えてしまおうか、誰もいない何もない場所へ」  拓斗の囁きは媚薬のように甘い。俺はそれを口に含み、拓斗に口移しに飲ませる。 「行こう、拓斗」  拓斗は俺の体をぎゅっと抱き締めた。俺の頬に雫が垂れる。  本当に。  本当にそんな場所があるのなら。  誰もいない、二人だけでいられる場所があるのなら。  俺は願わずにはいられない。  拓斗を一人占めするためなら、どんなことでもするだろう。  拓斗に口づけて、その瞳を見つめる。  俺にできる事は、それしかないから。  どこにもいかないで、誰にも触れないで、いつまでも二人で……。  それはどちらの祈りだったろう。  ただ抱き合って、俺たちは二人きりでいた。

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