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第21話

 拓斗に手を引かれ、波打ち際を歩く。  月がぽっかりと海の上、はるかに浮かんでいる。波の上に一筋、月の光が伸びている。 「……僕は」  俺に背を向けたまま拓斗が口を開いた。 「本当は、君を責めることなんてできないんだ」  拓斗の足がぴたりと止まった。 「僕は桐生に抱かれてた」  波の音が耳元をくすぐるように静かに優しく繰り返す。 「初めは無理矢理だった。けど……」  月は冷え冷えと、冷え冷えと俺たちを照らす。  拓斗は言葉を切ったままうつむき、肩を揺らしている。  波の音が耳元でざわざわと騒ぐ。  俺はぼんやりと月を見上げた。 「……ごめん」  拓斗の肩は小さく震えていた。  月が、光っていた。  翌日、拓斗は学校に来なかった。俺は一人、拓斗がいない机を見つめていた。  廊下で桐生とすれ違った。俺のことが見えていないみたいに、桐生はまっすぐ前を見て歩いて行った。その目は、どこか遠く、俺の知らない過去を見るのだろうか?  角を曲がるとそこに金子が潜んでいた。 「ますたー、桐生のことは金子にお任せください! 二度とますたーにひどいことはさせませんから!」 「……お前、……ずっと尾けてたのか」 「もちろんです!」 「……ありがとな」  金子はきょとんとした顔で俺を見上げた。 「元気ないです、ますたー。拓斗ちゃまがお休みだからですか?」  俺はどんな顔をしていたのだろう? もしかしたら泣きそうな顔だったのかもしれない。金子が俺の頭を優しく撫でてくれた。 「もう!! うっとおしいなぁ!! そんなところにトグロ巻いてないでよね!!」  秋美が俺の背を叩く。居間の片隅から、のっそりと立ち上がり、秋美の方へ振り返る。 「な……、なによ」 「ごめん」  立ち去る俺を秋美はあっけにとられた顔で見送っていた。  月を見上げた。あの日から細く細くなっていく月を。月は冷たく、俺の肩を冷やす。  拓斗がいない日を五日過ごし、それでも俺は日常を送っていけた。  朝起きて野球をして授業中に居眠りをして、飯を食って。  拓斗がいなければ生きていけないなんて、きっと幻想だったんだ。  拓斗も同じなんだろう。  だから、拓斗は俺に姿を見せないんだ。  俺たちは、こうやって離れていくんだ。 「春樹、こっちに来て座りなさい」 「……姉ちゃん」  学校から帰ると、姉の夏生が居間にいた。 「どうしたの、姉ちゃん。急に帰ってきて……」  夏生姉はため息を一つこぼした。 「どうしたの、はこっちの台詞よ、春樹。あんたが幽霊みたいになってるって、みんな心配してるの。秋美なんか泣きそうな声で私に電話してきたんだから」 「……秋美が」 「じいちゃんも、ばあちゃんも、とうちゃんも、かあちゃんも、冬人だって心配してる。もちろん、私もよ」 「……ごめん」  夏生姉はもう一つ、ため息をこぼした。 「あんたがこんな風になるの、初めてじゃないけどさ」  俺はぼんやり夏生姉の顔を見つめる。なんだかうまく焦点があわなくて夏生姉が二重に見える。 「前は拓斗の父さんが亡くなった時だったわ。何かしてあげたいのに、俺じゃだめなんだ、って死人みたいになってた」  俺は自分の手のひらを見つめる。そこに今はないぬくもりが残っているような気がして。 「本当は、見たくないだけなのよ」  なにを言われたかわからず、俺は顔をあげた。 「あんたは拓斗が苦しんでいるところを見たくない。だから逃げてる」 「俺は……」  口を開いて、でも俺は何も言葉を持っていない。脱け殻になった俺はただ口を開いたまま突っ立っていることしかできない。 「拓斗のところへ行きなさい」  俺はだまって首を横に振り、自分の部屋に入った。  電気もつけずにベッドに倒れこむ。  窓から月を見上げる。細く細く、ほとんど消えそうになりながら、月は宙空に浮かんでいた。  夏生姉が帰る朝、見送りに出た俺のことを夏生姉はちらっとも見なかった。怒ってるんじゃない。呆れているのでもない。失望しているんだ。俺は何も。脱け殻になった俺は何も言葉を持たなくて、だまって姉の背中を見ていた。  中庭のベンチに座る。昼休みにはいつも拓斗とここに並んで座ってた。一人で座ってみると、ベンチは広すぎて、広すぎて寂しくて、俺の目から涙がこぼれた。 「拓斗……」  帰り道、俺の足は自然と拓斗の家に向かった。怖くはなかった。拓斗がどんな顔をしても俺は……。 「そろそろ、来る頃だと思ってたよ」  俺の顔を見るなり、拓斗が呟くように言う。 「入って」  招き入れられた拓斗の部屋には、たくさんのダンボールが積み上げられ、部屋の中はなんだか、がらんとしていた。 「母さんが転勤になったんだ」 「……」 「同じ系列の、県外の病院に行くんだ」  拓斗は俺に背を向け、本棚の本を段ボールに詰め込む。 「……俺も行く」 「え?」 「俺も拓斗と同じところに行く」  拓斗が眉を寄せて小さく笑う。 「なに言ってるの」 「行くんだ」  俺はどんな顔をしていたんだろう、拓斗は俺の髪を優しく撫でて、それからまた俺に背を向けた。 「そんなことできるわけないでしょう」 「できる」  拓斗の手がぴたりと止まって肩がふるふると震えた。 「……せっかく」  拓斗が泣きそうな顔で振り向く。 「せっかく君を自由にしてあげられると思ったのになあ」 「だめだ、そんなこと。拓斗は一生、俺を縛りつけてないとだめだ」  拓斗の手が俺の手を握る。俺はその手を振りほどき、拓斗を床に押し倒した。  食いつくように唇を合わせる。何日も、何日も拓斗を取り上げられて、俺は飢えていた。拓斗の唇を貪る。唇で、舌で、拓斗を味わい吸い尽くす。  もっとだ。もっと足りない。  引き裂くように拓斗のシャツを肌けさせ、舌で舐めあげる。腹を胸を首を舐めあげる。胸の突起に吸い付き強く噛む。拓斗が息を飲んだような音が聞こえたけれど、構っている余裕はなかった。  ベルトをはずし、下着まで脱がせると、拓斗のものを口に含みころころところがして味わう。すぐにそれは太く大きくなって俺は口いっぱいに頬張った拓斗が嬉しくて喉の奥、飲み込むほどに深く深く招き入れた。  拓斗がどくん、と一瞬震え、俺の口の中はいっぱいに、甘くとろりとした液体で満たされた。こくりこくりと飲み干す。甘い、甘くて目眩がする。  それでも足りなくて、拓斗に馬乗りになると、俺の中に拓斗を招き入れた。少しずつ少しずつ腰を落とす。  ああ。  俺は拓斗でいっぱいになる。でももっともっと拓斗が欲しくて、腰を大きく上下させ、拓斗を大きく大きく膨らませる。 「……春樹」 「っあ、あん!」  拓斗が腰を突き上げ、俺の口から甘えた声が漏れた。  俺は拓斗の腹に手を置くと、腰を前後に動かし、拓斗は下から俺を突き上げ、もうおかしくなりそうだった。  いや、俺はすでに狂っていたんだ。拓斗が欲しくてたまらない体に。拓斗を貪らないと満たされない体に。そうして俺は拓斗を狂わす。  拓斗に抱きつき、キスをする。それはキスなんかじゃない、捕食行為だ。拓斗に与えるふりをして、拓斗を俺に縛りつけているんだ。  俺は拓斗の頭を胸に抱き、精を吐いた。その収縮で拓斗も俺の中に放つ。  ああ、欲しかったのはこれだ。俺は歓喜する。  でも、もっと欲しくて、もっと足りなくて、腰を振りつづける。拓斗はすぐにまた大きくなって、俺の中はいっぱいになる。 「春樹、春樹」  うわ言のように拓斗が呟く。俺はその声ももっと欲しくて、拓斗の唇に指を這わす。 「春樹……」  拓斗が俺の手を握り、指を口に含む。拓斗の口中で俺は甘やかされ、身体中がとろとろと溶けていく。  拓斗が身を起こす。突き上げが深くなり、俺は悲鳴のような声をあげる。  拓斗の唇が俺の喉を湿らす。 「……あ、あぁ」  安堵のような、祈りのような。俺はたまらなくなって拓斗の首にしがみつく。 「春樹……」  拓斗が何度も俺の名を呼ぶ。俺は返事もできず喘ぎつづける。  拓斗は俺と繋がったまま、俺の背を床に横たわらせると、圧しかかり、強く突きいれた。 「はぁっ!!  んぁ……!」  俺の足を高く押し上げ、上から叩きつけるように拓斗が落ちてくる。  苦しい体勢に息が詰まる。けれど、俺は幸せで、幸せで俺の目から涙がこぼれた。 「……春樹」  ため息混じりに俺を呼ぶ拓斗の声。俺の膝裏に舌を這わせ、太ももまでなぞる。背中にざわりと快感が走る。その快感に、俺の後ろが収縮し拓斗を追い上げ、拓斗が二度目の吐精をした。  もっと。もっと拓斗が欲しい。  その気持ちを見透かしたように、拓斗はすぐに俺の中で大きくなった。俺の腰を持ち上げ、反転させると、背中に負い被さり小刻みに腰を揺する。 「っあ、っんっ、あっ」  揺すられるたび、小さな吐息が漏れる。  俺のものからはタラタラと白い液体がこぼれ続けていて、拓斗の手がその液体を俺にすりこむように揉みしだく。俺はもう何がどうなっているかもわからず、ただされるがままに揺れていた。拓斗だけを感じながら。  何度も互いを貪りあって、何度も吐精して、俺たちはぐちゃぐちゃなまま、それでもまだ抱き合っていた。  できることなら、拓斗を飲み込んでしまいたい。どこにも行けないように咀嚼して全部俺のものにしたい。そうして俺はこの世でないところへ…… 「行かない」  突然、拓斗が口を開いた。 「行かないよ」 「拓斗……」 「君を自由になんてしてあげない。一生、僕は君を縛りつづける」  俺は言葉もなく、拓斗の胸に頬を寄せた。 「ちょっとお、春樹、早くしなさいよ」  美夜子さんに急かされ、俺は急いでダンボールをトラックに積み上げる。美夜子さんは引っ越し当日だと言うのに、未だ梱包を終わらせていない。 「引き継ぎで、時間とれなかったんだもの!!」  となかばキレぎみにSOSを出したので、俺たちは一家総出で引っ越しの手伝いをしていた。  かあちゃんと秋美が梱包を手伝い、俺と拓斗がダンボールを運び、冬人がダンボールを組み立て、じいちゃんとばあちゃんがタンスに緩衝材を巻き付けている。 「ほんっとにありがとね、たかちゃん。いつもたかちゃんを頼ってごめんね」  美夜子さんは、かあちゃんに申し訳なさそうに頭を下げた。 「なに言ってるの、水くさい。私たちの間に遠慮なんかいるわけないでしよ!」 「たかちゃん……」  美夜子さんが母ちゃんの手を握りしめ涙を浮かべる。 「ああ、それにしても心配だわ。美夜ちゃん一人で引っ越し荷物をほどけるかしら。やっぱりついていこうか?」 「たかちゃーん! だいすきい!!」  母ちゃんに抱きつく美夜子さんを拓斗が急かす。 「早く次のダンボール詰めてよ。もう運ぶもの終わっちゃったよ」 「もう、人の恋路を邪魔したら、馬に蹴られるんだからね!!」 「はいはい、わかりました」  俺と拓斗は顔を見合わせて苦笑して、美夜子さんの代わりに梱包を始めた。美夜子さんと母ちゃんはなにやら俺と拓斗を横目で見ながらイチャイチャヒソヒソしている。俺は不穏な空気を感じて、できるだけそちらを見ないようにしながら手を動かした。 「じゃあね、拓斗。私がいないからって不摂生するんじゃないわよ」 「美夜子さんこそ、飲みすぎないようにしてよ」  美夜子さんが口を尖らす。 「わかってるわよお。……あ、それから」  拓斗の耳に口を近づけなにやら囁く。拓斗の顔が、ぼっと赤くなる。珍しい、拓斗がうろたえてる。 「わかったから! もう、美夜子さん、早くいきなよ!! 引っ越し屋さんが待ってるよ!!」 「はい、はい。春樹、拓斗のこと、よろしくね。そばにいてやって」  俺は美夜子さんの目を見つめる。美夜子さんは常にはない真剣な表情で俺の目を見た。 「はい」  俺が深くうなずくと、美夜子さんは安心したように微笑んだ。  美夜子さんが家族それぞれに挨拶して、かあちゃんと一緒に車に乗り込み行ってしまうと、なんだか急に寂しくなって、俺は拓斗の肩に身を寄せた。  拓斗も俺に体をあずけてくる。 「もう! イチャイチャするなら家に入ったら?」  後ろから秋美の声がする。振り向いてみると、不満顔でほっぺたを膨らませていた。 「なんだよ秋美。なに怒ってんだ?」 「私だって拓斗くんとイチャイチャしたいんだもん」 「僕もイチャイチャする」  冬人も加わり、拓斗の両腕にそれぞれぶら下がる。  拓斗は嬉しそうに二人を見下ろした。 「じゃあ、家に帰って、みんなでイチャイチャしようか」 「なんか、イチャイチャの意味が違うような気がするぞ」  拓斗がにっこりする。 「いいじゃない。みんなでいれば、幸せで」 「そうだな」  俺は拓斗の頭をぽんと叩くと、家の中に入ろうと…… 「お兄ちゃん、なにナチュラルに拓斗くんの家に入ろうとしてるのよ」 「なにって、なに?」 「うちにご飯用意してあるってば!!」 「……あ」  忘れてた。 「ふふふ。じゃあ、春樹は置いていこうね。みんなでご飯食べよう」  喜ぶ秋美と冬人に挟まれて拓斗はさっさと行ってしまう。 「おいおい、本気で置いてくなよ!」  大股で追い付いて拓斗の肩を引っ張ると、拓斗がにやにやと俺の顔を見下ろす。 「春樹は寂しがりやだね」 「にいちゃん、寂しがりやなの?」 「まったく拓斗くんがいないと何もできないんだから」  俺は言い返そうとしたが、なぜだか口から出たのは違う言葉で。 「うん。俺は拓斗がいないと、ダメなんだ……」  秋美はあきれたような顔でそっぽを向き、冬人はふうん、と興味なさげで、拓斗は。  拓斗は、嬉しそうににっこりと笑った。

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