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第26話
「いいよなあ、お前達はラブラブで」
グローブを磨きながら、橋詰が深く長いため息をつく。昼に学食でペペロンチーノかなにかを食べていたらしい、にんにく臭がすごい。俺はちょっと身を引き、そのために生じた罪悪感で、橋詰の話を聞いてやることにした。
「なんだよ、元香となにかあったのか?」
橋詰は手を止めると、俺をチラ見しながら、またため息をつく。俺は身をそらす。
「元香ちゃんさあ、やっぱりまだ、お前のこと好きなんじゃないかなあ」
「なに言ってんだって。元香は俺のこと、すっぱりふったんだぞ」
橋詰はチラ見をやめず、いじいじとグローブをいじる。小柄な橋詰がそうしているとリスか何かを見ているようで微笑ましくなってくる。
「なんだよ! 笑ってないで真面目に聞けよ!」
「聞いてるって」
「元香ちゃんさあ、俺がメールするだろ? そしたら返信がさあ」
「うん。なんだよ」
「『あっそ』とか『ふうん』とか『了解』とかなんだ。なあ、俺嫌われてるよなあ?」
「そんなことないだろ。元香はそういうやつだって」
「お前の時も、そんなだったか?」
聞かれて俺は首をひねる。付き合っていた時も俺から元香にメールや電話することはほとんどなくて、学校で会って話するくらいだったし、デートっていっても一緒に映画に行ったくらいで、それこそ『うん』『そうだね』『よかった』くらいしか話していなかったような気がする。
…………俺たち、ほんとに付き合ってたのかな……。
俺が空を見上げて黙ってしまったのを橋詰はどう思ったのか、いじいじを激しくした。
「どーせどーせ、俺なんかと違って愛されまくってたんだろ、いちゃいちゃしてたんだろ、愛を語り合ったんだろ」
「いやいやいやいや、しないぞ、そんなこと」
「しかも今は拓斗に愛されまくって……、なんだよ、愛され体質かよ」
「いやいやいやいや、どんな体質だよ」
そうやっていじいじねちねち責められながら夕方の練習は無事に終わった。
『なによ、なんの用?』
元香はぶすくれた声で電話に出た。
「あのさあ、お前、橋詰にもっとかまってやれよ」
『なによ、あんたには関係ないでしょ』
「ないっちゃあないんだけど……。見ててかわいそうなんだよ、お前に邪険にされてさ」
『私が悪者みたいに言わないでよ。邪険になんかしてません!』
「そうかあ? 俺の時みたいに飛び蹴りかましたりしてないだろうな」
『……あ、あのころは私も若かっただけよ』
「なに、年よりみたいなこと言ってるんだよ。とにかく、もっと愛想よくしてやれよ」
『わかんないわよ、愛想よくなんて……。具体的にどうするのよ』
「そうだなあ。たとえば……」
『たとえば?』
「かわいらしく好きとか言ったらいいんじゃないか、ハートマークでもつけて」
『ばっ!! ばっかじゃないの! あんたたちみたいに恥ずかしげもなくいっちゃいっちゃいっちゃいっちゃできるわけないでしょ、ばか!』
どでかい声で怒鳴られて電話は唐突に切られた。俺は耳の奥の残響に頭をくらくらとくらませながら、電話を置いた。
「……なんの電話だったのかな」
「うおう! びっくりした!」
拓斗が扉の陰から顔を半分だけ出して覗いていた。
「電話の相手、元香ちゃんだよね。こんな時間になんの相談?」
目が、据わっている。
「こ、こんな時間って、まだ10時……」
「そういうこと言ってるんじゃないってわかってるよね? それに、なに? 『かわいらしく好きとか』って、聞きずてならないんですけど」
拓斗が扉の陰からずいっと出てくる。なにやら強力なオーラを身にまとっているようで俺はたじたじと後ずさる。
「いや、そんな拓斗が気にするようなアレじゃ……って、拓斗!?」
拓斗は俺の服に手をかけると、ぶちぶちとボタンがはじけそうな勢いでシャツを剥ぎ取る。
「どういうアレか、体に聞いてみるよ」
「ちょ、ちょっと、拓斗さん!?」
「黙ってて」
「アレ!? 聞かないの!? 拓斗さん、拓斗ってばー!!」
「おい、春樹だいじょうぶか? ふらふらしてるぞ」
「ははは……、だいじょうぶだ」
朝一番のさわやかな空気、元気なチームメイト、一晩中、拓斗に翻弄された俺。うん、いつも通りだ。問題ない。
俺のそういう気持ちをわかってくれたのか、橋詰は片頬に笑みを浮かべた。なんだか引きつっているように見えるが、気のせいだろう。
「そ、そうか、うん。大丈夫ならいいんだ。……そうだ! 昨夜、元香ちゃんからメールがあったんだよ! 初メール!」
「初メールって、メールくらい何度もやりとりしてるだろ」
「そういうんじゃなくて! 元香ちゃんの方からメールくれたんだよ! 初めて!」
「……なんか、不憫な男だな、橋詰」
「う、うるさい! いいから聞け! あのなあ、元香ちゃんなあ」
「なんだよ、気持ち悪い笑顔浮かべて」
「気持ち悪い言うな! あのなあ、元香ちゃんなあ、エクレアが好きなんだって」
「は?」
「だからさ、エクレア」
「はあ。それが?」
「だからあ、わざわざメールくれてな! 教えてくれたんだよ、好きだって! エクレアが!」
「……なあ、メールどんなんだった?」
「おお。見るか!? 特別に見せてやろう」
橋詰はユニフォームの尻ポケットから携帯を取り出すと、メール受信画面を開いてみせた。監督に見つかったらどんな目にあうかわからない。俺は辺りをきょろきょろ見回した。
「いいから、見ろって! 監督さっきトイレ行ったから! ほら!」
画面いっぱいに拡大されたそのメールには『好き』と書いてあった。
「……で?」
「うん。それで俺、『なにが?』って聞いたのさ。で、二通目のメールが、これ」
画面いっぱいに拡大されたそのメールには『エクレアが』と書いてあった。
「な、だから今日はケーキ屋に行って、家デートなんだ! 家デート! 俺ん家で! どうだ、うらやましかろ!」
「……うん。お前が幸せそうで、俺もうれしいよ」
橋詰はでれーっとした顔で携帯を抱きしめている。なんだかものすごく不憫なヤツ、という気がしてきて、泣けた。
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