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第28話
「ねえ、春樹」
二人、ひとつのベッドでまどろんでいる夜、拓斗が俺の肩に、顎をのせて呟いた。
「ぅん……?」
寝ぼけ眼でおもだるい腰を抱えて俺は答える。
「デートしようか?」
「ぅん……」
俺は夢見心地に答えた。
翌日はよく晴れた水曜日だった。
俺と拓斗は手を繋いで町営公園の入り口に立っていた。
「……拓斗さん?」
「ん?なに?」
「今日は平日なんですけど」
「そうだね」
「学校は……?」
「ずる休みだよ。ちゃんと学校には連絡しといたから」
「なんて?」
「春樹の痔瘻が悪化したって」
「ぅおおい!?」
「やだな、冗談だよ。風邪で熱があるって言っておいた」
「やめて、そういうの。心臓に悪いから」
「ごめん。かわいいから、つい」
つい、で驚かされてたら心臓がもたない。
俺は憮然とした表情で拓斗の手を引いて公園に足を踏み入れた。
この町には大きな公園が二つある。一つは夏になると花火大会が開催される、小堀公園。
もう一つがここ。町営春日公園。
広々とした芝生広場と野球場やサッカーのコートなんかもある。
ドでかい駐車場があるせいか、休日は家族連れで賑わいをみせる。
今日は平日だからか、犬の散歩をしている人やランニング中の人なんかがぽちぽち見られるだけだ。
俺たちは何をするでもなくぶらぶらと歩く。
夏の陽射しがまぶしい。少し歩いただけで汗ばむくらいだ。
「もう暑いねえ」
「夏だからな」
「まだ夏って言うには早くない?」
「早くはないだろ、もうすぐ夏大が……」
俺は地べたにへたりこんでしまう。
「? どうしたの?」
「あぁぁぁ……。俺、どうしよぅ……」
「なにを?」
「なあ、拓斗、俺、ピッチャーやめてぇ」
「なに言ってるの。控えのピッチャーがいなかったら松田先輩が困るでしょ」
松田先輩はうちのエースで打順も4番。いわゆる天才肌ってやつだ。ベラボーにうまくて、万年一回戦負けだったうちの学校に追い風を吹かせた人物だ。なんでうちみたいな弱小高校にいるのかわからない。
「俺が松田先輩のかわりになんかなるわけないぃぃぃ……」
「じゃ、特訓しようか」
見上げると、拓斗はボールを片手にニッコリ笑っていた。
「そのデッカイ荷物はこれだったのかーあ」
「そーう。たまにはこういうのもいいかなあ、と思ってーえ」
俺たちはグラウンドに移動してキャッチボールを始めた。
拓斗が肩に提げていたデッカイかばんからはグラブが二つとボールが二つ出てきた。
「なんでボールも二つなんだー?」
「それはー……、あっ!」
拓斗のグラブがボールを弾き、ボールはころころころと明後日の方向へ転がっていく。
「……こういうときのためー。そのボール投げて待ってて〜」
言って拓斗はボールを追って走っていく。
いや、走るというか、よたよた早歩きで。
最近、拓斗に腕っぷしでまったくかなわなかったから拓斗の運動能力が上がったのかと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。
言われた通り壁に向けてボールを投げていると、拓斗がゆったりと歩いて戻ってきた。
「おーい、走れー」
「もうむりー。走れないー」
「もう、ってなんだよ。100メートルも走ってないぞ」
俺が笑うと、拓斗はほっぺたを、ぷっとふくらませる。
「そんなことないよ、100キロくらい走ったね。はい、ボール」
俺は拓斗のほっぺたをつっついてボールを受けとる。拓斗がその場から離れないようなので、俺が拓斗がいたポジションまで小走りに移動する。
「いくぞー」
ゆったりとボールを投げる。
「スポーツができること自慢してるでしょー」
拓斗のボールがへにょりと返ってくる。
「たまにはカッコいいところ見せないとな」
ボールがゆるい放物線を描く。拓斗がしっかり受け止める。
「惚れ直したー」
俺のグラブがボールを弾く。俺はくるりと振り向くと、ボールを追って走る。
「惚れ直したー」
拓斗が繰り返す。俺はボールを拾うと拓斗の方へ向き直る。
「分かったから!!」
これ以上近づくと真っ赤になった顔を見られてしまう。
離れた位置からボールを投げる。ボールはまっすぐ拓斗のグラブに向かって飛んでいく。
「ナイスピッチー!」
拓斗が両手をあげて叫んだ。
しこたまボールを投げて汗をかいたまま、芝生に寝転がる。
拓斗は肩で息をしている。
「お前、運動不足すぎ」
「僕は、理系、だから、ね」
「理系と運動は関係ないだろ」
拓斗がごろりと俺の隣に寝そべる。
「あるよ。体育会系っていっつも走ってるじゃない」
「けどお前は山登るじゃないか。あれも運動だろ?」
「登山は登山だよ。運動じゃない」
「俺にはよくわからんなあ」
拓斗はくるりと寝返り、俺の脇腹にタックルしてくる。俺はゲフっと妙な声をあげる。
「春樹も一緒に登ろうよ!!」
「そうだなあ、夏大終わったら、行こうか」
「うん! 約束だからね!!」
子供みたいにはしゃぐ拓斗の頭をぐりぐりと撫でてやる。ふわふわの栗毛が指に優しい。
そのまましばらく拓斗の髪をいじってぼんやりしている。
真っ青な空に夏のしっかりと固そうな雲が浮かんでいる。陽射しが俺たちの肌を焼く。俺の腹が、ぐうと鳴る。
「お腹すいたね、ご飯にしようか」
拓斗がクスクス笑いながら立ち上がり、俺に手をさしのべる。俺が手をとるとぐいっとその手を引き起こし、勢い余った俺を胸に抱き止めた。
「力は僕の方があるんだよねぇ」
そのまま俺を離そうとしない。
「あの、拓斗さん、ちょ、離して」
「なんで」
「人目が……」
「こんな炎天下の芝生に人なんかいないよ」
きょろきょろと見渡すと、なるほど誰もいない。
「木陰に移動しよっか」
拓斗に手を引かれて歩いていく。野球部で重ね着するユニフォームに比べたら今日のティーシャツははるかに涼しくて居心地良いので、気温が上がりすぎて人目がなくなっていることになんか気づかなかった。
拓斗はけっこう見てないようで色んなことを見ている。
きっと俺のことも、俺以上に見えてる。
「拓斗」
「ん? なに?」
「ありがとな」
「なにが?」
「キャッチボール」
最近の俺は野球に必死になれずにいた。練習に参加していてもぼんやりと決められたメニューをこなすだけだった。
プレッシャーに押しつぶされそうだったのだ。
「春樹は、野球大好きだもんね」
「うん。思い出した。俺、野球が好きだ」
俺は拓斗を見上げて笑う。
「ありがとな」
拓斗が俺にキスをする。
「いつも笑っていて。僕は、春樹が幸せなら幸せでいられるから」
それから夕方まで木陰でまったりして、俺は立ち上がった。
「部活いくよ」
「熱が出たのに?」
「知恵熱だったって言うさ」
「君ならほんとに知恵熱だしそうだよね」
「なんだ、それ。俺がバカだって言うこと?」
「違うよ。繊細だって言うこと」
拓斗がふわりと微笑む。まあいいさ。
拓斗が笑ってくれるなら俺はなんだっていいんだから。
「野球、がんばって」
「おう」
「投げてる春樹、好きだよ」
「……おう」
俺は下を向いて足早に歩き出す。拓斗が小走りについてくる。
「赤くなってる?」
「なってないよ」
「なってる、なってる」
「なってないよ!!」
俺は駆け出す。
「あ! 待ってよ!!」
拓斗が叫ぶ。
待てるか!!
俺は全速力で、逃げ切った。
拓斗は走り疲れてとぼとぼと歩いてくる。
俺に向かって大きく手をふる。
「いってらっしゃーい!!」
俺は拓斗に手を振り替えし、駆け出した。
俺の夢に向かって。
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