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第31話
「あれ!? 拓斗!?」
早朝、あくびを噛み殺しながら合宿所を出た俺の前に拓斗が立っていた。
「うふふ。来ちゃった」
「いや、なにその80年代ドラマのヒロインみたいなセリフ?」
「ええ? 春樹こそなに言ってるの?」
俺が重ねて拓斗に突っ込もうとしたところ、俺の後頭部に、しぱーん! と突っ込みが入った。振り替えると松田先輩がチョップした手を下ろすところだった。
「おら、ボサッと突っ立ってんじゃねーよ。さっさとグラウンドに……ん?」
「おはようございます」
松田先輩の視線を受け、拓斗は生真面目に頭を下げる。
「……宮城? お前、ここで何してんだ?」
「炊事の手伝いに来ました。マネージャーだけじゃ手がたりないからって」
たしかに。
毎日の食事は部員二名とマネージャーでまかなうことになっていたが、マネージャーは以外に多忙だ。
その穴を部員二名で埋めようとすると、松田先輩みたいな料理上手なら問題ないが、俺や山本のような料理音痴が二人そろってしまうと目も当てられない。
「で? なんでお前なんだ?」
「さあ? 桐生先生に聞いてください」
「ちょっ! 拓斗!?」
俺が拓斗の両腕をつかむと、拓斗はにっこりと余裕の笑みを見せた。
「朝食の時だけ。ただ頼まれただけだよ」
「けど……」
「ほら、心配しないで行ってきて。桐生先生もグラウンドに行くんでしょ?」
「ああ、うん、そうだな……」
俺たちのやり取りを、腕を組んで聞いていた松田先輩が促す。
「なんか知らんが解決したなら、行くぞ」
俺の尻をぱん! と叩いて先輩は走っていく。俺も続いて走ろうとして、拓斗が唇をつきだしていることに気づいた。
「拓斗? どうした?」
拓斗はいかにもな作り笑いを浮かべて、俺の尻を叩いた。
「いいから。いってらっしゃい」
「??? おう、いってきます」
俺は松田先輩を追ってグラウンドへ駆けた。
朝イチの練習は、練習というより目覚めのためのストレッチが主で、ボールもろくに触らない。
監督と一緒に桐生先生もグラウンドに立ち、俺はほっと息をつく。拓斗は炊事場にいて、桐生先生には近づかない。大丈夫だ。なにごともなく平和に、朝練は終わった。
食堂にいくと、エプロンに三角巾を装備した拓斗が配膳をしていた。
「お前、なんか似合うな」
俺は自然と配膳の手伝いをしつつ拓斗に話しかける。拓斗は軽く胸をそらし、ふふん、と鼻から息を吐く。
「そりゃ、僕は主婦のカガミですから!」
「ああ、うん、まあ……」
「なに? なにか異論がありますか?」
「いてぇ!」
くっちゃべっていた俺と拓斗の後頭部に松田先輩のチョップが炸裂した。
「いたいっす、先輩!!」
「いちゃいちゃしてんじゃねーよ」
「いちゃいちゃしてません!」
松田先輩はじろりと俺と拓斗をにらむ。
「おまえら、くっつきすぎなんだよ。春樹、早く座れ」
先輩に背を押され、椅子に座る。拓斗がぶすくれた顔で配膳してくれた。俺の隣に陣取った松田先輩が俺の耳に口を寄せて何事かささやこうとしたとき、
「お味噌汁あついですよ!!」
俺と先輩の間を突っ切って拓斗が味噌汁の椀を置く。
「あぶねーだろ、宮城」
「早く食べちゃってくださいよ!! 片付かないでしょ!」
「……お前はウチのお袋か?」
拓斗と松田先輩の掛け合いを、俺は苦笑して見ていた。視線のすみ、食堂の反対側に桐生先生は座っているが澄ました顔で、何かたくらんでいるようにも見えない。
首を捻りながらも俺は一応、安心することにした。
「じゃあ、また明日。練習がんばってね」
合宿所の玄関で俺は拓斗を見送る。
「おう。おつかれ」
「浮気したらダメだからね」
拓斗が俺に耳打ちする。
「なっ……! しないよ! だいたい誰と……」
言いかけてハッとする。昨日の松田先輩のキスを思い出す。
「ダメだからね」
拓斗がジト目でくりかえす。
「し、しないよ」
拓斗は何度も何度もくりかえし念を押してからジト目のまま帰っていった。
拓斗を見送っていたらミーティングに遅刻した。監督にこってり説教されてからグラウンドに出る。
アップのキャッチボールはなんとなく松田先輩と組むことになった。ボールを受ける手がぎこちなくなる。拓斗があんなことを言うから変に意識してしまう。
「また宮城とイチャついてたのか?」
「し、してません」
「いいけどな」
松田先輩の強いボールが飛んできた。俺も同じ強さで投げ返す。
「イイ球投げるようになったな」
カッと全身の血が沸き立つような気がした。
「ありがとうございます!」
松田先輩に認められて、松田先輩のように投げる。今の俺の最大の目標だ。そこに一歩近づけたようで、ボールを握る手に力がこもった。
練習後のグラウンド整備中、ふと足が止まった。
松田先輩たち三年生は夏で引退だ。一緒に合宿するのも今回が最後だと思うと、感慨深さと共に不安が押し寄せる。
これからは俺がエースとしてチームを引っ張っていかないといけない。考えるたびに胃が痛くなる。
「まーた、ぐるぐる考え出したか?」
いつの間にやって来ていたのか、松田先輩が隣に立っていた。
「他のやつは戻っちまったぞ」
「先輩……」
俺は不安を隠しもせず、先輩を見上げる。
「お前……、そんな顔すんなよ。襲うぞ」
「えっ!?」
「心底イガイ、みたいな顔してんじゃねーよ。なんだよ、煽られてるのかって一瞬、期待したじゃねーか」
俺は何を言われているのかわからなくておろおろぱたぱたと手を泳がせた。それを見て松田先輩は大きなため息をついた。
「お前、決定的にニブイな」
「な、なんですか、決定的って」
先輩が俺の肩をつかみ、抱き締めた。
「―っ!!」
俺は身をよじり逃れようとしたけれど、先輩はやすやすと俺の動きを封じた。
「俺のことが嫌なら、突き飛ばして逃げろ」
「で、できません!」
「なんでだ?」
「先輩に怪我させたら、チームが……!」
「俺は引退だ。ほかには? ほかに逃げない理由はないのか?」
「……それはっ」
俺は混乱してしまって先輩が言っていることがよくわからなかった。ぐるぐると頭のなかを「ナニカガチガウ」という言葉が巡っていたけれど、何がちがうかわからない。
先輩の手が俺の顎にかかり上向かせる。射すくめるような先輩の強い眼差しに、俺は思わず目を閉じてしまった。
「どうかしましたか?」
かけられた声に先輩の腕から力が抜けた。
「なにか問題でも?」
振り向くと、桐生先生が腕を組んで立っていた。俺は先生を見、松田先輩を見て、今起きていたことをやっと理解した。
「……!」
顔が真っ赤になって、けどそれを先輩に見られたくなくて、俺は駆け出した。
「春樹!」
松田先輩が俺の名を呼んだけど、振り向くことなんて、できなかった。
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