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第34話

「松田先輩こんなところで遊んでていいんですか」  松田先輩は制服姿のままベンチに座り、片手で頬杖をついて片手でボールを弄んでいた。 「遊んでない。応援してやってんだろ」  先輩がボールを俺に放ってよこす。 「受験、大丈夫なんですか」 「そんなん野球特待に決まってんだろ」  なにげなさげに言う先輩の言葉に、俺は度肝を抜かれた。 「もう決まってるんですか!」 「あたりまえだろ。なんせ俺だからな」 「どこですか」 「叡智」 「叡智体育大学……、県外ですね」  そこは野球の名門として有名な大学で、大学野球では優勝常連校だ。 「さびしいだろ」 「さびしいです」 「お前……、それは天然なのか?」 「なにがですか?」 「それとも煽ってんのか?」 「なにをですか?」  先輩は、はーーーっと深い溜め息をつく。 「そんなんだから俺は……。ま、いいや。がんばれよ、エース」 「がんばります!」 「また来る」  先輩の後ろ姿を見送っていると、少し離れたところで見学していた拓斗と目が合う。  拓斗がジト目で俺を見ている。なんとなく手を振ってみるとパッと笑顔になって両手をぶんぶんと振りかえしてきた。俺は吹き出してしまう。 「春樹先輩、いちゃこらしてないで練習してくださいよ~」  トモが俺の背中に呼びかける。 「い、いちゃこらなんてしてないだろ」 「どっちでもいいから投げてくださいよ~」 「わかったって」  俺は真面目に、トモに向かってボールを投げた。   「だから、ますたーはいろいろ甘いって拓斗ちゃまに言われるんです!!」  練習が終わって部室へ向かう途中、今日も今日とて金子につかまった。 「甘いって、なにが?」 「松田先輩ですよ! なーにが『寂しいです』ですか! ガツン! と突き放してくださいですよ」 「なんでお前がその会話を知っている……」 「拓斗ちゃまから聞いたですよ」 「拓斗から?」 「ずいぶんと傷心のご様子でした……。ますたー!! 幸せにしてあげてくださいですよ!!」 「……ああ」 「絶対ですよ!」 「ああ」 「ますたーと拓斗ちゃまの幸せが、金子の幸せなんですから!」  金子は両こぶしを握りしめ、涙目で懇願する。 「ああ、まかせとけ」  金子は安心したように微笑むと、軽く頭を下げて帰っていく。 「そう言えば最近、ストーキングがないな……」  金子は金子なりに忙しいのだろうか。なにか充実しているなら良いことだ。俺も安心して部室へ向かった。  帰宅すると着替える間もなく拓斗は俺を押し倒す。学校が始まってから毎日だ。 「春樹……春樹……」  何かにとりつかれたように、うわごとのように俺の名を呼び続ける。  俺はされるがまま、拓斗の首に手を回して快楽を貪る。  俺は、拓斗が求めるものを与えられているのだろうか。わからない。  今日も今日とて松田先輩はグラウンドにやって来て、ベンチを占領しボールを弄んでいた。 「だから松田先輩、いくら内定もらったって勉強あるんじゃないですか」 「俺はな、下から数えた方が早いお前と違って優秀なんだよ」  俺の喉の奥で「ぐうっ」と変な音がなる。反論できない。 「お前、こないだのテスト何位だったんだよ」 「……下から14番目です」 「なんなら俺が勉強教えてやろうか?」 「いいです、拓斗に教えてもらってますから」 「そのわりに学年下位をキープしてるじゃねえか。宮城の教え方が悪いんじゃねえの」  俺は先輩の言いざまにムッとする。 「そんなことないです。拓斗はちゃんとしてます。悪いのは俺の頭です」  松田先輩が、ぶはっと噴き出す。俺はきょとんと先輩の顔を眺めた。 「自分で自分の頭の悪さを認めるか!?」 「ち、ちがいますよ! そういう意味じゃなくて!」 「そういう意味でしかねえよ! あいかわらずお前は面白いな。ああ、腹がいてえ」  ゲラゲラ笑っていた先輩は目に涙を浮かべて腹をさする。俺は恥ずかしさのせいで真っ赤になった。 「もういいじゃないですか! 先輩は帰って勉強して下さいよ!」 「はいはい、わかったよ。じゃあな」  先輩は急に真顔になって、俺の目を覗き込むと、小声で囁いた。 「お前、ほんとに宮城が好きなんだな」  俺の顔がカッと熱くなる。 「俺は、拓斗がすきです」  俺は真っ赤な顔で、けれど真正面から先輩の目を見る。その瞳がふいに揺れ、先輩は顔を背けた。 「あーあ。俺も面と向かって言われてみてえなあ。好き! とかさ」 「ちょ、やめてくださいよ、大声で!」  先輩の声を聞きつけたらしい友枝が駆け寄ってくる。 「なんですか!? 春樹先輩の恋バナですか!?」 「ち、ちげーよ! トモ、さぼってないでさっさと守備につけ!」 「さぼってたのは春樹先輩じゃないですかあ」  俺はぶーぶー言うトモの背中を押していく。 「春樹!」  振り返ると、松田先輩が俺にボールを放った。 「がんばれよ」  小さくそう言うと、先輩は校舎の方へ歩いて行った。なんだかその背中がいつもより小さく見えて。俺はその背を追いたい衝動をぐっと堪えた。 「春樹……」  拓斗に抱きしめられながら、俺はぼんやり天井を見上げる。 「なあ、拓斗」 「なに? 春樹」 「あの鎖、俺、うれしかった」  拓斗が両手で俺の顔をやさしく包む。 「うれしがってたら、僕はほんとうに君を閉じ込めるよ」 「ああ、そうしてほしい」  拓斗はくすっといたずらっ子のように笑う。 「そうしたら、春樹は甲子園に行けないね」 「……それは困るな」  くすくす笑いながら拓斗は俺の頭を撫でる。 「でしょ? だから、いつもそばで応援してる。君から目を離したりしないから、安心して?」 「……うん」  拓斗の手が、拓斗の言葉が、俺をいましめようとする拓斗の心が、うれしくて俺は目をつぶった。

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