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第39話

「美夜子さん、おめでとう!」 「ありがとう、拓斗!」  美夜子さんが拓斗の頬にキスをする。拓斗はちょっとたじろいで、けれどくすぐったそうな嬉しそうな表情を浮かべた。 「おめでとう、美夜子さん」 「ありがとう、春樹!」  同じように俺の頬にキスしようとした美夜子さんの肩を、拓斗がぐいっと引く。 「なによ、拓斗。今日くらいいいでしょ!」 「だめ。春樹は僕のだから」  きゃいきゃいと言いあいを始めた親子を、伊勢谷さんがにこにこと見ている。 「拓斗くんはほんとに君となかよしなんですねえ」  伊勢谷さんが俺に話しかける。俺は今日の挙式で初めて伊勢谷さんに会ったのだが、一目で伊勢谷さんのことを好きになった。ちょっとふっくらしたお腹と、人の良さそうな笑顔。なにより拓斗が満面の笑みで接しているのだ。悪い人のはずがない。 「小さい頃から一緒ですから」  俺が答えると、伊勢谷さんはにこにこと俺にうなずき返す。俺もにこにこと笑み返す。伊勢谷さんの周りには、笑顔のフィールドが発生しているようで、近づいた人は自然とみんな笑顔になる。とくに美夜子さんは最上級の笑顔で伊勢谷さんを見つめる。 「なになに、陽助さん、なにかいいことあった?」  拓斗と一時休戦した美夜子さんがやってくる。まっ白なウエディングドレスはマーメイドタイプとかいうらしく、すっきりとして長身の美夜子さんによく似合っている。対してずんぐりとした体型の伊勢谷さんがタキシードを着ていると、クマのぷーさんを連想させるから不思議だ。  いつのまにか拓斗が俺の横に立って俺の手を握っている。 「どうした、拓斗」 「ううん、なんでもない」  俺はにやりと笑って聞く。 「さては美夜子さんを取られて意気消沈したか?」 「うん。そうかも」  意外な返事に拓斗の顔をのぞきこむと、拓斗はにやりと笑い返す。 「心配した?」  俺は少しむっとして頬をふくらませる。 「してない。てか少しくらい泣いたりしてみせろよ」 「僕が泣いたってしかたないでしょ。あ、ほら、泣くべき人が泣いちゃったよ」  言われて見やると、かあちゃんが感極まったという様子で着物の袖で涙を拭いていた。美夜子さんがあわてて駆け寄り背中を撫でる。ふたり、なにかしんみりと話しあっているようだ。 「でもさ、僕びっくりしたんだよね」 「なにが?」 「美夜子さんが孝子おばさんと遠く離れて伊勢谷さんと結婚するなんてさ」 「そりゃ、恋人と幼馴染みだったら恋人を取るだろ」 「そんなものかなあ」  なぜか拓斗は不満げで、俺は首をかしげた。 「拓斗はちがうのか?」  俺がたずねると、拓斗は不敵な笑みを浮かべた。 「僕は幼馴染みが恋人なんだから迷う必要はないんだよ」  俺は顔に血が集まるのを感じた。  美夜子さんの挙式は伊勢谷さんが通っているという教会で行われた。伊勢谷さんはクリスチャンだそうだ。結婚したら美夜子さんも教会に通うらしい。いつも豪快な美夜子さんが神妙にお祈りしているところが想像できなくて、俺は唸った。 「鬼の目にも涙って感じだよね」  拓斗がよくわかるようなちょっと違うような感想を述べた。  今日は、結婚式というものに初めて列席した俺にとって非常に感慨深いものとなった。美夜子さんがかぶったヴェールの裾を、冬人と、伊勢谷さんの姪っ子の千尋ちゃんが持ち、粛々と祭壇に向かう姿を見てガラにもなく泣きそうになってしまったり。式の直後に配られたドラジェをその場で食べて拓斗に笑われたり。  伊勢谷さんの親族も美夜子さんのお母さん達もにこにこと、いい結婚式だった。  新郎新婦が着替え終わり、そろそろ引き上げようかと言う頃に、秋美がやってきて拓斗の手を引いた。 「ねえ、拓斗くん。一緒に写真撮ろう。バージンロードで!」 「お姉ちゃんだけずるい! ぼくも撮る!」    冬人もやってきて拓斗の手を引っ張る。 「じゃあ、俺が撮ってやるよ。三人で並べよ」  拓斗をめぐってぎゃいぎゃいと騒いでいる二人を拓斗を挟むように並ばせて、カメラのシャッターを切る。三人共満面の笑みで仲の良い三兄弟のように見える。 「春樹、あんたも拓斗と並びなさい、私が撮ってあげるわ」  夏生姉が俺の手からカメラをとりあげ、秋美と冬人を蹴散らす。 「お兄ちゃんだけずるい! 私もツーショットがいい!」 「ぼくもー!!」 「ああ、はいはい、後でね」  俺は拓斗と並んでカメラの方を向く。何やら面映ゆい。 「じゃ、撮るよー」  夏生姉がシャッターを切る瞬間、拓斗が俺の頬にキスをした。 「!!!!!」 「おおー! ナイス、拓斗!」 「あー! ずるいー!」 「ぼくもチュウするー!」  夏生姉と秋美と冬人が叫ぶ。俺は真っ赤になって頬を押さえ、拓斗はにっこりと笑う。俺はぱくぱくと口を開け閉めして何かを申し立てようとしたが、拓斗の笑顔に勝てるわけがないと諦めて口をつぐんだ。    拓斗のじーちゃんとばーちゃんが拓斗の家に泊まるということなので、俺は久しぶりに実家に戻った。 「あんたもすっかり宮城家の人間になったわねえ」  夏生姉が頬杖ついて煎餅を齧りながら言う。 「お兄ちゃんだけ拓斗くんの家で暮らしてずるいのよ、お姉ちゃん。私も拓斗くんのところで暮らしたい」 「じゃあ秋美は拓斗の妹になったら?」 「それナイス! お姉ちゃん!」  なんだかおままごとの設定のような話で二人が盛り上がっていると、とーちゃんがデジタルフォトフレームを持って居間に入ってきた。 「今日の写真、よく撮れてるぞ。やっぱり夏生は写真うまいなあ」  とーちゃんがフォトフレームをテーブルに置くと、家族がみんなでのぞきこむ。 「やっぱり美夜ちゃんはきれいだわあ」 「伊勢谷さんてかわいい系だよね」 「あ! 拓斗くんにちゅーしてもらってない!」  俺と拓斗が並んで写っている写真を見て秋美が叫ぶ。俺は写真を見た瞬間に真っ赤になってうつむいた。 「ずーるーいー! 私は拓斗くんの妹だからちゅーしてもらうー」 「なんだ、秋美、父さんがちゅーしてやろうか?」 「いや!」  激しい拒否にとーちゃんががっくりと肩を落とす。その後もみんなでわいのわいの言いながら今日の思い出を語り合った。本当に、良い結婚式だった。 「春樹、写真できたから拓斗くんのおじいさんに届けてくれ」  とーちゃんから封筒に入った写真の束を渡される。大部分は普通サイズだが、数枚大きく引き伸ばしてあるものが封筒の中に入っている。 「デカイのはなに?」 「新郎新婦が並んでる写真だよ」 「ああ、そうか。じゃ、行って来ます」  久しぶりに拓斗の家へおつかいに行く。小さい頃はよく夕飯のおかずなんかを持たされて、そのまま拓斗と遊んで夕飯を食べさせてもらって帰るなどという本末転倒な事をしたりしていた。拓斗が家事をまかされるようになってからはそういうこともなくなっていた。懐かしい気持ちで口笛など吹きながらぶらぶらと歩く。 「あら春樹ちゃん、いらっしゃい。……じゃないわね、お帰り」 「えっと……、ただいま、おばあちゃん」  拓斗の祖父母とは小さい頃から知り合いで、というか夏休みにはしょっちゅう泊まりに行かせてもらっていて可愛がってもらった。俺がじーばー育ちで古臭い言葉を使っている子供だったせいか、とても気に入ってくれて、遊びに行けば大盛りの笑顔で迎えてくれた。  台所に入ると拓斗がおじいちゃんと碁を打っていた。俺は封筒を食卓に乗せる。 「おかえり、春樹」 「ただいま。写真できたぞ」 「あらまあ、よく写ってるわあ」  おばあちゃんが封筒から大きいほうの写真を取り出す。おじいちゃんが立ち上がって隣からのぞきこむ。 「おお、いいなあ」  俺もお祖母ちゃんの隣に立ってのぞいてみて、うっと唸ったまま動けなくなった。一枚目は俺と拓斗の写真だった。とーちゃんめ! 「春樹ちゃんが拓斗のお嫁さんに来てくれて、ほんとによかったわあ。美夜子がいなくなって拓斗が一人暮らしだと何かと不安だもの」 「そうだな。春樹なら宮城家の嫁として安心だ」 「そうでしょ、僕の自慢のお嫁さんだよ」 「ちょ! 俺は嫁じゃ……!」  俺が反駁しようと口を開くと、三人はそろってにやりとした笑みを浮かべて俺を見た。 「……っ!!」  からかわれた俺は真っ赤になってプルプル震える。 「ああ、ごめん、ふざけすぎたね」  拓斗が俺の肩を抱き頭を撫でる。そうだ、久しぶりで忘れてた。拓斗のからかい癖は爺婆からの遺伝だったんだ。 「もう帰る!」 「あらあら、拗ねちゃった」 「送って行くよ」  拓斗がついてくるけれど、俺はお構いなしにずんずん歩いて行く。 「春樹、ごめんてば。はーるき」  拓斗が追いついて来て俺の手を握る。俺はその手を振り払う。 「もうしないから」 「うそつけ! お前はいっつもうそばっかり!」 「じゃあ、またするから」 「するなよ!」  拓斗が俺の肩を抱いてちゅ、とキスをする。 「だってかわいいんだもん」 「かわいくてもするな!」 「あ、そこは否定しないんだ?」 「か、かわいくなんかないぞ!」  拓斗がふふふ、と笑って俺をぎゅっと抱きしめる。 「だーいすき」 「……うるさい。ごまかされないぞ」 「いつでも大好きだよ」  拓斗が俺の顔をのぞきこむ。俺は目をそらす。 「ね、僕たちもいつか結婚式しようね」 「……やだ」 「まだ拗ねてる」 「拗ねてない」 「じゃあなんでこっち向いてくれないの」  俺は拓斗の方へ顔を向けると、断固として言う。 「ウエディングドレス着ろとか言うんだろ」 「わあ、以心伝心だ。うれしいなあ」 「うれしくない! 着ない! しない! もう帰る!」  猛然と歩き出した俺のあとを、拓斗が小走りでついてくる。俺はもう怒ってはいないんだけど、どういう顔をして振り向けばいいのか迷ってまっすぐ前を向いて歩き続けた。実家の門扉が見えてきて、俺ははたと気づいた。  くるりと振り返り拓斗の肩を押す。 「? どうしたの?」 「帰れ」 「なんで? 久しぶりだし夏生姉ちゃんと話しようかと……」 「いいから帰れ。秋美がお前をねらってる」 「秋美ちゃん、スナイパーにでもなったの?」 「お前にちゅーしてもらおうと虎視眈々なんだ」 「ちゅーぐらいいいけど……。もしかして、妬いてくれてる?」  拓斗がにやにやしだす。俺は真っ赤になりながらも宣言した。 「そうだよ! お前のちゅーは俺だけのものだ!」  拓斗ががばっと抱きつく。通りかかった女子高生が振り返り振り返り俺たちを見ていく。 「ちょ、拓斗! 人が! 人が通る!」 「いい! もう、だいすき!」  俺はわたわたと両手をばたつかせた。  結局、拓斗が離れてくれないので、俺の家に一緒に行くことになってしまった。 「あー、拓斗くん! いらっしゃい!」  秋美がグリコのポーズで歓迎する。 「こんばんは。おじゃまします」  拓斗はいつもより澄ました顔で靴を脱ぐ。秋美は拓斗の態度にひるみ、俺の顔を見上げてくる。 「あとでな」  俺は秋美の頭を撫でてやる。拓斗は居間に入っていくと家族に挨拶して夏生姉とカメラの話など始めた。秋美が俺の服の袖を引っ張って小声でたずねる。 「なんか拓斗くん、へん……」 「疲れてるんだろ。あんまり騒ぐなよ」  秋美は素直にこくりとうなずいて、冬人と風呂に行った。拓斗はひとしきりみんなと喋ると腰を上げた。 「あれ? 秋美ちゃんは?」 「風呂」 「じゃあ、もう少し待ってようかな。春樹の部屋に行く」 「? おう。いらっしゃいませ?」  なぜか断固とした口調で部屋に押し掛けてきた拓斗は、扉を閉めると同時に俺に抱きつきキスをしてきた。何度も何度も唇を吸われる。 「!! なに!?」  びっくりして顔をもぎはなして聞く。 「秋美ちゃんにちゅーする分、その倍、春樹にちゅーしとく」 「いやいやいや、どんだけ人の妹にちゅーする気だよ! しすぎだろ!」 「おっと、間違えたね。千倍しておく」 「いや、しすぎだろ!」  俺が拓斗から逃れようと暴れていると、ドアがノックされた。開けてみると、神妙な顔をした秋美が立っていた。 「なんだよ、ノックするなんて珍しいな」 「拓斗くん、元気出た?」  心配そうな秋美に、拓斗はにこりと笑ってやる。 「うん、元気だよ」  秋美がぱっと笑顔になる。 「よかった! なんか元気なかったから心配だったの」  拓斗は少しかがんで、秋美のほっぺにちゅっと触れた。秋美の顔が真っ赤になる。 「ありがとう、秋美ちゃん。やさしいね」  秋美はわたわたと両手を振り回し「やー」だか「わー」だか良く分からない声をあげて自分の部屋に走っていった。俺は思わず吹きだす。 「かわいいね、秋美ちゃん」 「だろ? 自慢の妹だ」  拓斗は俺の顎をあげると軽くキスをした。 「僕にとってもかわいい義理の妹だよ、奥さん」  俺が真っ赤になって肩をいからせると、拓斗はにやにやしながら家から駆けだしていった。俺は玄関先まで追いかけていって拳を振り上げる。 「二度と来るな!」  拓斗は笑いながら答える。 「明日には機嫌直して帰ってきてね、奥さん!」 「まだ言うか!!」  通りすがりのサラリーマンが俺たちをかわるがわる見て行った。俺は真っ赤なまま拓斗の背中を見送って、そっと唇を撫でた。

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