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第41話

「実家からたくさん送ってきたの。よかったら食べて」  朝一番のさわやかな空気の中、拓斗の家のお隣さんが大きな大根を二本くれた。青々した葉っぱがついている新鮮なやつだ。拓斗は相好を崩して受け取り、台所に持っていった。 「今日はちょうど寒いし、これは、おでんだね」  さっきまで寒い寒いと言ってこたつにもぐりこんでいた拓斗は颯爽と袖まくりをして、昆布を水につっこんでいる。   「お前、ほんと料理好きだな」 「うん! すっごく楽しいよ。春樹もしたい?」 「いや、遠慮しとく。俺が皮をむくと大根がごぼうみたいに細くなる可能性が高い」 「その可能性は否定しきれないね」  すっぱりと言われてしまったが、ちょっとくらい否定してくれてもバチは当たらないと思う。  拓斗はザクザク大根を切って、するすると皮をむいていく。あっという間に大根は丸裸にされて、水と米と一緒に鍋につっこまれた。料理ができない俺からしたら、手品を見ているような光景だ。 「ほかの具はなんにする?」 「卵と牛すじと蛸」 「たんぱく質祭りだね」 「育ち盛りだから積極的に摂取しないとな」  大根が炊けるのを待ちながら食卓でだらだら喋る。おでんは暢気な料理みたいで拓斗ものんびりと構えている。冷え冷えした台所の空気がコンロの火で暖められて、すこし過ごしやすくなった気がする。火は偉大だ。  と、思っていると拓斗が俺の膝に乗ってぎゅっと抱きついた。 「寒い。暖めて」  そう言って俺の服の襟もとに手を突っ込む。 「冷たい、冷たい! それに服が伸びるから!」  拓斗の手を服から引っ張り出し、両手で握ってやる。拓斗は楽しそうに笑って俺の頬にキスをする。 「春樹はいっつも暖かいね」 「筋肉だからな。代謝がいいんだろ」  拓斗が猫のようにすりすりと俺の胸元にすりよる。少しくすぐったくて、なにやら恥ずかしくて横を向く。 「こーら。どこ見てるの」  拓斗が俺の頬を両手ではさんで目を合わせる。 「よそ見しちゃだめだよ」  そっと唇をついばむ。 「僕だけを見てなきゃだめだよ」  やわらかなキス。鍋からあがった湯気で暖まった台所。俺の腕の中の拓斗。なんだかそれだけで俺は満たされて、このままでずっといたいと思った。 「なに? なんで笑ってるの?」  拓斗こそ、すごくうれしそうに笑ってる。きっと俺も同じような顔してるんだろうな。俺は返事のかわりにキスをかえした。  大根が透き通ってきた。火を止めて冷ます間に他の材料を買いに行くことにした。エコバッグと財布だけ持ってぶらぶらと出かける。 「ううっ、寒いよう」  拓斗が俺の陰に隠れて寒風をやり過ごそうとする。いまや俺より5センチは背が高い拓斗が俺の陰に隠れるのは土台無理な話で……、と思ったが細身な体を駆使してうまく隠れきってみせた。 「お前、縮むのうまいな」  俺が苦笑い交じりに言うと、拓斗は唇を突き出して俺の背を押した。 「前向いててよ。壁が動いたら風がくるじゃない」 「誰が壁だ」  拓斗は本当に寒さに弱い。秋が始まった頃にはすでにこたつを出し(土台は年中置いてあるから布団をかけるだけだが)、冬の一歩手前にはコートに手袋に耳当てで完全武装するし、はっきりと冬将軍の足音が聞こえるこのごろは、湯たんぽ代わりに俺に抱きつく。もちろん、俺は風よけの壁のかわりにもなる。日々、便利に使われている。  今日も買い物中はスーパーでカゴを持ち、帰りには買い物荷物を持ってやる。拓斗は再び俺の陰に隠れようとした。しかし来る時に向かい風だったのならば、帰りは追い風だ。俺の背中に風はびょうびょうと吹きつける。 「ううう。逃げ場がないよう」  涙目で震える拓斗の手を取り引っぱってやる。 「ほら、急いで帰ってこたつで温まればいいだろ。なんなら走るか? 体が温まるぞ」  拓斗はぶすくれて俺の手を握る。 「僕が走るの苦手だって知ってて、よく言うよね」 「お前だって俺が怖いの苦手だって知ってるのに、無理矢理押しつけるだろ」 「それとこれとは話が別だよ」  ますますぶすっとした声を出すが、俺の手を握るその手からは何やら暖かいものが伝わってきて、俺は思わず笑ったらしい。 「なに? なんで笑ってるの?」 「うん。幸せだなあって思ってさ」 「ほんとに!? じゃあ、またホラー映画一緒に見ようね!」 「それとこれとは話が別だろ!」  なんだかんだ言いながら買って帰ったたんぱく質はどう考えても量が多過ぎた。卵2パックは保存がきくからまだいいが、蛸500グラムは店で見た時には小さく見えたのだ。が。帰って食卓に置いてみると、その貫禄は凄かった。牛すじ肉の500グラムとは違ったどっしり感がある。 「よし! がんばってしこむぞ!」  拓斗がふたたび袖まくりをしてたんぱく質たちに立ち向かう。 「これ、全部使うのか」 「うん。生ものはさっさと処置してしまわないとね」 「食いきれないな」 「そうだねえ。何日かおでん生活になるかなあ」  おでん生活。なにやら暢気そうでいい感じだ。しかし拓斗は不満顔だ。 「拓斗は毎日おでんじゃ嫌なのか?」 「いやじゃないけど、その間、料理ができないでしょ。つまらないなあ、と思って」 「じゃあ、がんばって食いきるか」 「そんな無理するほどでもないよ」 「じゃあ、うちに持っていってみんなで食うか」 「そこまでは量が無いなあ……。そうだ、秋美ちゃんと冬人に来てもらうっていうのは?」  拓斗の提案に、俺は実家におつかいに行くことになった。ポケットに手をつっこんでぷらぷら歩いていく。わが家の門をくぐり、懐かしさにため息が漏れた。たった数百メートルの距離なんだから、もっとちょこちょこ帰ってきてもいいのだが、うまれながらの出無精のせいかなかなか拓斗の家から足が伸びない。 「あら春くん。めずらしい、どうしたの」  居間に顔を出した俺をかーちゃんはお帰りも言わず出迎えてくれた。自宅に帰ってどうしたのもないものだが。 「拓斗がおでん炊いてるから秋美と冬人を誘いに来たんだ」 「あらあら、二人ともよろこぶわあ。ぜひ連れていってやってちょうだい」 「かーちゃんもうれしそうだな」 「うふふ、二人分食費が浮くから今夜は奮発しちゃおうかな、と思って」  かーちゃんの良いところは歯に衣着せぬところだとは思うが、ものには言いようというものがあるのではないかと息子ながら心配になる。  秋美と冬人を探すと、なぜか二人揃って俺の部屋でごろごろしていた。 「冬人はまだわかるけどさ、秋美はなんで自分の部屋でくつろがないんだよ」  秋美はぶーたれて、読んでいた雑誌をばさりと下ろした。 「だって私の部屋、お姉ちゃんの荷物だらけなんだもん。本とか本とか本とか本とか」  姉の夏生は読書家で、自室の壁をぎっしり本棚で埋めてしまった。姉が家を出て秋美がその部屋を受け継いだが、本棚はそのまま残されたままだ。秋美もわりと本を読むタイプなのだが、いくらなんでも蔵書量が膨大すぎる。邪魔だろうな、とは俺も思う。 「まあ、いいや。しばらく帰らないし、好きに使えよ。それより、拓斗の家でおでんパーティーだ。来るだろ?」 「拓斗くんのおうち!? いくうー!!」 「ぼくもいくう!!」  二人とも飛び起きてすぐに外出準備を整えてきた。三人で並んで歩く。冬人を真ん中に挟んで川の字歩行だ。 「にいちゃん、もううちにもどってこないの?」 「なんでだ? たまにもどってるだろ」 「冬人、おにいちゃんはもう拓斗くんのうちの子なの。冬人のお兄ちゃんじゃなくなっちゃったのよ」 「そんなのいやだあ」  冬人が涙目になった。俺は秋美の頭を小突く。 「こら、適当なこと言うな」 「だってお父さんもお母さんも言ってるもん。お兄ちゃんは早く片付いちゃったから家は秋美に継がせような~って」 「片付いたって……。俺は物じゃないぞ」  だらだらと歩いて拓斗の家に辿りつく。玄関を入るとおでんの良い匂いがしていた。 「たくとくーん! こんにちはー!」  秋美が靴を脱ぎ散らかして駆け上がっていった。冬人はきちんと靴を揃える。 「お、えらいぞ冬人。良くできたな」  頭をぐりぐりと撫でてやると冬人は「えへへー」と言って胸を張る。良い子ついでに洗面所に連れていってうがいと手洗いもさせる。寒くなってきたから風邪予防だ。 「おかえり」 「おう、ただいま」 「ずるい! お兄ちゃんだけおかえりって言われて!」 「秋美ちゃんもおかえり」  苦笑いしながら拓斗が言う。秋美はぱっと笑顔になって 「ただいま!」  うれしそうに言う。おままごとを見ているようで何やら微笑ましい。 「おでんできてるけど、どうする? もう食べる?」 「ぼく、おなかすいたー」 「私もー」 「俺もー」  口をそろえる三兄弟を見比べて拓斗がくすくすと笑う。 「じゃあ、僕の部屋で食べよっか」 「こたつでおでんか。なんかいいな」  日本の冬! という感じが満開で、和やかな気持ちになる。拓斗が鍋を運んで、俺が食器を運んで、冬人が鍋敷きを運んで、秋美は手ぶらで拓斗の部屋に移動する。  小さなこたつを囲んでみんなでおでんをつつく。やはり食べざかりの世代が揃うと、おでんの鍋はあっという間に空になっていく。牛すじがなくなり、卵がなくなり、蛸が消え、大根が姿を消し、つゆまで綺麗になくなった。いくらなんでも食べ過ぎた。胃が重い。 「ううう。上から出そう。でもおいしかった……」 「ぼくも……」 「二人とも、少し横になったら? 胃を伸ばしたら楽になるかも」  拓斗の言葉に従って俺たち三人はごろりと転がる。 「うん、春樹も食べ過ぎてるなーとは思ってたよ」 「うん、明らかに食べ過ぎました。ごちそーさん」  転がっていると全身の血は容易に胃に集約されて体の全機能が消化に尽力していく。まあつまり、眠くなる。俺は重たい瞼に誘惑されるままうとうとと夢の世界に旅立った。  夢の中で俺は紫色のデパートにいた。壁も床も天井も淡い紫色で売っている物もみんなピンクに近い紫色。客は俺と拓斗だけで、がらんとしたフロアを二人で歩いていく。 「春樹はなにがほしいの?」  拓斗がたずねる。俺は一生懸命、陳列された商品の中から欲しいものを探しだそうとする。けれどそこにあるものはどれもこれも薄紫色で見分けも何もできやしない。 「春樹はなにがほしいの?」  拓斗がたずねる。俺は答えられなくて困って拓斗の方を振り向く。するとそこに拓斗はいなくて。俺は広いデパートに一人きりで。おろおろとその場に立ち尽くした……。  目覚めると拓斗の膝に抱かれていた。俺は手を伸ばし、拓斗の唇に触れる。拓斗はにっこりと笑ってくれる。心の底から暖かいものがこみ上げてきて、俺は泣きそうになる。 「どうしたの、春樹。恐い夢でも見た?」  拓斗はにっこりと笑ってくれた。俺も微笑み返す。 「わかったよ、拓斗。俺が欲しいものはもう持ってた」 「夢の話? ふふふ。かわいい、寝ぼけてる」  拓斗が俺の頬を撫でる。心地よくて俺はふたたび眠りについた。 「お兄ちゃんだけ膝枕してもらってずーるーい!」  秋美の叫び声で目が覚めた。驚いてきょろきょろ見回すと、こたつの向こう側で秋美がぶーっと頬をふくらませていた。 「私も膝枕してもらいたい!」 「秋美、わがまま言うな。拓斗は俺のだ。お前にはやらん」  拓斗と秋美がそろって驚いた顔をする。俺は起き上がると拓斗を抱きしめる。 「秋美は冬人に膝枕してもらえ」 「いやよー! 枕が低すぎるじゃない!」 「だから、わがまま言うな」  拓斗がくすくす笑う。俺と秋美のバトルはいつまでも続く。  だけど、妹にだってゆずれない。拓斗の膝は俺だけのものだ、死守するのみだ。 「ぼくもひざまくらー」  騒ぎに起きだした冬人もわけもわからず騒ぎだす。いや、だからたとえ弟でもゆずれないって。 「だめだ。拓斗はやらん」 「けちー!」 「兄ちゃんのけちー!」 「こら、秋美。冬人にヘンな言葉を教えるな」  わいわい、わいわいと冬の日は過ぎていく。拓斗はにこにこと俺の頭を撫でる。たまにはみんなで騒ぐのもいいな。 「おにいちゃんのけちー!!」  ……妹に嫌われていく予感がしなくもないのが、ちょっと心配だけど。

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