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第49話

 野球部員全員でじゃんけん大会をして、俺は負けた。一勝もできなかった。最近、思うのだが、俺は勝負事に向いていないのではないだろうか? 「じゃ、金これな」  茶封筒に入った小銭がじゃらりと重い。部員一人三百円のカンパで、花を買う。  卒業式なのだ、明日は。  野球部の三年の先輩たちに花を贈るのが毎年の恒例だった。しかし、男から花をもらって、果たして嬉しいのだろうか? せめてかわいい女子マネージャーがいればよかったのだが、うちのマネージャーは男だ。 「なんかいい花選んでこいよ」  そのマネージャーが言う。 「いい花ってなんだよ」 「なんかあるだろ。季節の旬のやつとか」 「旬って……食べ物じゃないんだから」  ぶつくさ言いながら部室を出ると、そこに救いの神がいた。 「拓斗、花屋に寄りたい」 「いいよ。明日の花束を買うの?」  なんの説明をしなくても拓斗はすぐにわかってくれた。 「花束ってほどのもんじゃないんだ。先輩十二人に一本ずつ渡す、みたいな感じで」 「じゃあ、水仙なんかどうかな。香りもいいしね。それか……」  救いの神はいろいろな花の名前を挙げていくが、俺にはどんな花か見当もつかない。花なんかチューリップとひまわりくらいしかわからない。 「駅前の花屋さん、七時までじゃなかったっけ?」  現在時刻は六時四十分。間に合うかどうかギリギリだ。 「走るぞ、拓斗!」 「ええ!? 駅まで!?」  学校前の下り坂を駆け下り、いつもとは逆方向に角を曲がる。その辺りで息を切らした拓斗の手を引き走る。走るというより競歩、というより早歩きにしかならない。 「ぼ、僕もう無理……、置いていって……」 「俺一人で花買うなんて無理! 一緒に来てくれ」  俺の懇願に拓斗は「うっ」と息をつまらせ、しかし足を早めてくれた。そんな拓斗の頑張りのおかげで、花屋の閉店五分前に滑り込むことができた。  俺は案の定、咲き乱れる花の前で途方にくれた。どの花もきれいで、決め手がわからない。 「拓斗、まかせた」  振り向いてみたが、拓斗は肩で息をしていて口もきけない。 「大丈夫か?」  拓斗は首を横に振る。 「だいじょばないか。死ぬ前に花の名前だけ教えてくれ」  拓斗は俺を上目使いににらみながら店先にあるバケツを指差した。 「さくら?」  バケツには「啓翁桜」という名札が提げてある。 「なるほど。縁起いいな」  俺は拓斗を置いて店に入ると、桜の枝を十三本、きれいにラッピングしてもらった。それを抱えて店を出ると、拓斗がじと目で俺を見ていた。 「な、なに?」 「べつに」  口を尖らせて歩いていく。 「おーい、拓斗さん。なに怒ってるの」 「べつに」  小走りで追いかけて顔をのぞきこむ。拓斗はぷいっと顔を反らす。 「走らせたから?」 「べつに」 「なあ、話してくれよ」  拓斗はピタリと足を止めると俺の手から桜を取り上げた。 「僕よりお花を優先しちゃダメ」  ぷうっと頬を膨らませる。俺は苦笑しながら拓斗の頬をつっついて、拓斗の手から桜を取り返す。その束からリボンをかけた枝を一本引き抜き、拓斗に渡した。 「プレゼント」  拓斗の顔がぱあっと明るくなる。 「僕に? うわあ、ありがとう!」  拓斗には花が似合う。俺は満足して拓斗の手を握った。  翌日はよく晴れた。雲一つない青空は旅立ちにはぴったりだ。  生徒に加えて保護者まで、体育館にすし詰めになって卒業式は行われた。  相変わらず長い校長の話から始まり、卒業証書が授与される。代わり映えしない景色だけれど、親しい先輩が壇上でシャチホコばっているのを見るのは感慨深いものがある。ある先輩は涙を浮かべ、ある先輩は緊張でガチガチになって。  そうやって野球部の先輩たちの雄姿を見届けていると松田先輩が登段した。先輩が卒業証書を受けとると、 「松田せんぱーい!」  と数人の女子が声を合わせて呼ばわった。松田先輩は笑顔で卒業証書を振ってみせた。さすが先輩、大人気だ。  その人気は卒業式の後で大変なことになった。  松田先輩の周囲を女子生徒が取り囲み、先輩はぎゅうぎゅう揉まれている。野球部の面々が近寄ろうと何度かトライしたけれど無駄だった。  他の先輩たちには無事、桜の贈呈が終わっていた。 「松田せんぱーい!」  女子の壁の向こうに叫ぶ。 「野球部は、グラウンドに集合ですー!」  遠くで先輩が手を振ったのを確認して、俺たちはグラウンドに移動した。しばらく待つと揉みくちゃになった松田先輩がのんびりとやって来た。 「松田先輩、ものすごいことになってますね」 「まあな。イイ男の勲章だぜ」  にやりと笑う先輩の制服からは、ボタンというボタンが消えていた。それでも、まだ虎視眈々と狙う女子が何人もグラウンドの端で機会をうかがっている。 「お前たち、卒業おめでとう」  監督がいつもは見せない柔らかい笑みで先輩たちを祝福する。隣に立った桐生先生も今日はずいぶん優しげに微笑んでいる。監督は長く送辞を述べ、締め括った。 「三年生の願いを受け取って、今年は甲子園に行くぞ!」  監督の高すぎる願望も今日という門出には似合う気がして、俺たちは気焔を上げた。  ひとしきり盛り上がって先輩たちと肩を叩きあい解散するというときになって、俺は花のことを思い出した。 「松田先輩!」  桜の枝を持って先輩の元へ行き、きちんと両手で持って差し出す。 「ご卒業おめでとうございます!」  先輩はひょいと受け取ると、桜の枝を肩に担いだ。 「おう。春樹、これからはお前がチームを引っ張るんだからな。しっかりしろよ」 「はい!」 「投げるだけじゃなく打つほうも伸ばせよ」 「はい!」 「それでお前も叡智大に来い」 「は……」  俺は勢いで、つい「はい」と言いそうになったがぎりぎりで踏みとどまった。 「いえ、いきません」 「なんでだよ」 「俺は枝府大目指すんで」 「枝府ー!?」  先輩が目を丸くする。 「お前、あんな成績で何言ってんだ? 正気か?」 「来年までに猛勉強します」  松田先輩は半眼で俺を見下ろす。 「……宮城についていくのか」  俺は正面から先輩を見返す。 「はい」    松田先輩はがりがり頭を掻いた。 「あーあ。お前を宮城からかっさらうつもりだったのに、タイムオーバーだな」 「すみません」  なんとなく俺は謝ってしまう。先輩は優しく微笑んだ。 「うまくやれよ」 「はい」  気恥ずかしく、うつむくいた俺に松田先輩がふっと顔を寄せた。 「?」  ちゅ、と音を立て頬に温かいものが触れた。 「!!!!」  俺は声にならない声を上げながら後ずさる。遠くで女子たちの「キャー」と言う声が聞こえた。先輩はその女子たちに向かって悠々と歩いていく。俺は真っ赤になったままその背中を見つめた。    部員が三々五々帰宅を始めたころ、俺は桐生先生がいないことに気づいた。きょろきょろして見るとグラウンドの端、桐生先生と拓斗が差し向かいで話をしている。俺は駆け出そうとして、踏みとどまった。拓斗が落ち着いた表情だったから。二人は穏やかに語り合い、桐生先生は校舎へと戻っていった。拓斗がその背中を見送る。なぜかちくりと胸が痛んだ。  部員が全員帰ってしまっても、俺はベンチに座ったままだった。 「春樹、まだ帰らない?」  拓斗がやってきて隣に座った。俺はなんとなくそちらを見ることができなくて、地面を見つめた。拓斗が俺の顎に手をかけ上向かせ、頬をぺろりと舐めた。 「わ、なに、とつぜん?」 「うん。マーキング」 「マーキング?」 「春樹が僕のものだっていうマーキング」  松田先輩が触れたあたりを、拓斗は飽きることなく舐め続ける。松田先輩が残した痕跡を消すように。俺はぼんやりと舐められ続ける。 「春樹、元気ないね。どうかした?」  俺は首を横に振った。 「なんでもないんだ」  拓斗はじっと俺の顔を見た。 「……帰ろうか」  立ち上がり、拓斗が俺の手を引き、立ち上がらせる。俺はぼつぼつと拓斗の後をついて歩く。 「あのね、春樹」 「なに?」  拓斗は苦しげに眉根を寄せてうつむいた。 「今年度いっぱいでやめるんだって」 「……桐生先生か」 「うん」  俺は何も言うことができなくて、何も聞くことができなくて、拓斗の手をぎゅっと握った。  家に帰りついても俺は拓斗の手を離せずにいた。拓斗の部屋に入って、部屋を見回す。拓斗が小学校高学年になってから後ずっと変わらない部屋。ここに、桐生先生がいたんだ。拓斗と一緒に。  俺は拓斗に抱きつくと、首を舐め上げた。 「春樹?」 「……マーキング」  拓斗の首に手を回し口付ける。ぺろりぺろりと唇を舐める。頬にキスをして耳を噛む。俺のしるしをつける。俺以外の痕跡を消す。 「くすぐったいよ」  笑う拓斗の制服を脱がせる。首から鎖骨を、胸を、腹を舐め、吸い、赤い跡をつける。これは俺のものだというしるし。拓斗の過去も全部消して俺でいっぱいにするんだ。  拓斗のものを口に含む。 「ん……」  拓斗が俺の髪を撫でる。優しく柔らかく甘く。  俺はその手を引き、拓斗をベッドに横たえさせる。拓斗の腿に抱きついて拓斗を舐めあげて、その先端を舌でくすぐる。拓斗はゆるりと身をよじる。拓斗の両足を抱え上げ、後ろに舌を這わす。 「春樹?」  舌を差し入れ軽く揉み、指を差し入れる。 「ああっ、だめ、だめだ春樹! やめて!」  起き上がろうとする拓斗の胸を押さえ、指を回す。 「んっ、やめて、春樹!」  拓斗は真っ青になってささやき程の小さな叫びを上げる。恐怖を隠そうとするように。思い出に引きずられ、拓斗の目は虚空をさまよう。  俺は指を増やし、その場所を探り当てる。 「はうっ! んやだぁ……」  拓斗は小さな子供のように泣き出した。俺は指の動きを止めずに拓斗の涙を舐めとる。 「拓斗、拓斗、俺を見て」  片手で拓斗の頭を抱く。片手は拓斗のその場所を抉る。  拓斗はそっと目を開けると俺の顔を見つめる。 「拓斗、俺がいる。ここにいるのは俺だよ。俺だけを見ていて」  拓斗のものを口に含み、じゅるじゅると吸い上げる。拓斗の中、その場所を引っ掻くように刺激する。 「あ! だめ!」  拓斗のものがびくりと震え、温かく甘い液体が噴出す。俺はこくりこくりと飲み干し、またころころと刺激し続ける。 「や、だめ、春樹! くるしいから」  拓斗の上に被さり、俺のものと拓斗のものを一緒に握りこむ。俺はぱんぱんに膨らんだものを拓斗に押し付ける。いつもよりずっと熱い拓斗。この熱も俺のものにするんだ。拓斗の首筋に顔をうずめ、牙を立てる。拓斗が再び震え、放出する。俺はその滑りも手で掬い取り口にする。 「春樹……」  拓斗がぼんやりした目で俺を見る。ぎゅっと俺を抱きしめる。俺の唇に口付ける。そうだよ、拓斗。お前を気持ちよくしてやるのは俺だ。  拓斗のものを擦り上げ、それにまたがり腰を下ろす。そのまま前後に激しく腰を振る。拓斗が下から突き上げる。 「はあん! ぁあ……あん!」  胸をそらせて拓斗を深く深く飲み込む。拓斗が俺の手をとり、指を絡める。指先からぞくぞくと快感が駆け上がる。拓斗の手をベッドに押し付け、肩を噛む。 「うぁ……」  拓斗が不快げに呻くけれど、拓斗のものはさらに膨れ上がり俺の中を圧迫する。俺は拓斗の首を舐め上げる。耳に噛り付く。拓斗からもらったものを全部、全部かえす。俺がもらったもの。拓斗しかしらない俺と拓斗しか。   「拓斗、拓斗、拓斗……」  繰り返し、繰り返し、何度も呼ぶ。何度だって呼ぶ。拓斗が俺の声しか聞こえなくなるくらい。 「春樹」  拓斗が俺の髪を撫で、俺の中に放つ。俺も拓斗の上に俺のものを吐き出す。拓斗はそれを口に運び啜る。 「ああ、春樹だ。春樹の味だ」  拓斗が俺を抱きしめる。 「春樹だ。僕の春樹だ」  拓斗はいつまでも俺を抱きしめ続けた。 「春樹」  いつのまにかうとうととまどろんでいたようだ。拓斗に呼ばれ、目を薄く開ける。見上げると、拓斗は微笑んでいた。 「ありがとう、春樹」 「うん」 「僕はもう、大丈夫だよ」 「うん」  拓斗は俺の額にキスを落とす。 「拓斗は俺のものだから。何度だって思い出させてやるから。だから安心して」  拓斗はまた俺にキスを落とす。俺は拓斗を抱きしめ鎖骨に吸い付いた。 「マーキング」  俺たちは顔を見合わせて笑った。  拓斗の机の上の一輪挿しに桜が生けてある。花と一緒に小さな若芽が萌え出ている。 「春がくるね」 「そうだな」  拓斗は俺の髪をやさしく撫でる。 「冬はいつか終わるんだもんね」 「そうだな」  拓斗は俺をぎゅっと抱きしめると体を起こした。 「じゃ、勉強しよっか」 「そうだな」  俺も勢いをつけて起き上がる。  いつまでも思い出にひたってはいられない。俺たちは先に先に進み続けるんだから。春が来て、夏が来て、秋が来て。今度の冬には。  俺たちの新しい冬には、新しい思い出と、新しい悩みと。  それと思いっきりたくさんの新しい喜びと。  俺たちは作っていくんだ。未来を。

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